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まるで1週間もあったような

おはようございます。
毎日編み物をしながら暮らしたいアランアミです。

先日、結婚10周年を迎えました。
結婚記念日が5月なのです。
10年で節目だからと何か特別なことをすることもなく、「今後もよろしく」くらいの軽いノリで過ごしました。

無事に11年目がスタートしています。

私は自分の結婚10周年よりも両親のその日の方が記憶に残りそうです。

当時6歳、その後30年も引きずる悲しみ

両親は結婚10周年の際に2人で横浜に旅行に出かけた。

私と2つ下の弟は同居の祖母と留守番。

それが本当に辛くて、何日も何日も母親に「置いていかれた」悲しさを抱えて帰宅を待っていた。

あとから「1泊しかしていないよ。」と聞かされて自分の幼い頃の認識とのズレに驚く。
でもそれくらい私にとっては長い時間だった。

夕方になり応接間の出窓から道を通り過ぎる車を弟と一緒に眺めては両親の帰りを待ち侘びていた。

ちなみに実家には「応接間」と呼んでいた洋間があるけど、実態としてはリビングだった。

祖母と折り合いの悪さがピークの頃だった

物心ついたころから父方の祖母と折り合いが悪い。
同居していたので、逃げられない。
間に挟まれた母は実家に帰りたかったそうだ。

何がどう上手くいかないのか分からないけれど、両親がいる時といない時での私に対する態度が明らかに違い、その差がダメだったのかもしれない。

なんていえば良いのか分からないけれど、愛情表現が歪んでいる…というか。
まあ、そんな祖母はまだ健在である。
きっと祖母には祖母の言い分があるのだろう。

まだ人間関係における諦めも、適度な距離感も、表面だけ合わせて受け流す術も持たない6歳児にとって嫌いな相手と過ごす1泊2日は永遠にも思えた。

親になった自分と子どもの頃の自分が向き合っている

こうやって文章にしてみると、私は幼少期に母親と過ごしたかったという思いがだいぶ強い。

弟が生まれる前、引っ越して父の実家で祖母と同居を始める前は母とべったり過ごしていたらしい。

残念ながら3歳以前の記憶は残っていないので、「あんなに一緒にいたじゃない」と母から言われても覚えていないのだから私の中ではノーカウントである。

「お母さんじゃないとイヤ」という気持ちがどんどん育ち、小学生になっても母が不在の日は悲しかった。

だから私は自分が子育てをするときは「お母さんじゃないとイヤ」に子どもたちがならないようにしようと決めた。

母親も子どもも苦しくならないように。

今のところ母不在でも大丈夫そうなので、このまま親子揃ってすくすくと育ちたい。

ではでは、良い1日を〜



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