見出し画像

今までと今

自分の人生どんなに引っくり返しても見直しても 何度多分経験しようと 辛いな…となる事が沢山あって、簡単に言ってしまえば誰でも経験するような辛さをそれは頻度と密度が高く 繰り返し経験してきた。
実家は田舎の薄暗い集合住宅 色んな事情を抱えた人が多くいたので 治安は良くなかった。その中でも特に治安の悪い棟に暮らしてた。
物心付いた時には 既に家庭は崩壊してて 何故か母は私を嫌い 暴力や暴言 「生まれてこなければ良かった」と頻繁に言っていた。
今はもうどうでも良いが、当時はそれはそれはとてもキツかった。実の親に勝手にこの世に連れてこられて 自分の思うようにならないからと 「要らない」と言われても そんな簡単に飲み込めるわけがないのである。 そんなこんなで物事付いたときから始まっていた 自己に対する否定が この後現在に至るまで酷く私の人生をぶち壊して行くことになるのです。

一番肯定されたいはずの 親に存在を否定、拒否され続けて 残ったのは 異常なまでの恐怖感 誰かに少しでも注意されると それは「お前に生きてる価値はない」と同義に捉えるほど 根深く私の中に根を張っていた。 そうして起こる色んなトラブル 自分は存在してては駄目なのだと思うからこその歪で異常な執着や自己犠牲 そうして擦り減らした精神や肉体は 限界を迎えて 24歳の時 遂に「潰瘍性大腸炎」「精神疾患」の2つを抱える事になった。それからは 世界がもう私に対する嫌がらせをするために存在してるんだなと思う程絶望して極端な思考にのめり込んで行き 心身そして生活共に全てが駄目になった。この頃病状とストレスにより円形脱毛症になっていた。それも塞ぎ込む要因になりもう抜けられない程底に押し付けられてるよう気持ちで過ごしていた。
家族仲も友人関係も職場関係も全てが破綻していて 何が正しくて 何をしたら上手くいくのかもう何も分からない状態になっていた。ずっと一生このままなのかな…?と思っていた所で 本当に独りぼっちになる瞬間が訪れた。 友人も私の元から去ったのだが、これがある意味転機になったのかなとも思う。誰や何かに対する異常な執着をそこで 少しだけ断ち切られた事から とても穏やかになった。生活は破綻てしてたけど。誰かに異常に期待して何とか自分の存在を見てほしいの先には何も残らない。それが分かった時 存在を誰かに委ねる事の歪さにふと気が付いた。存在したいなら存在してていいし誰かの許可は特に要らなくて 別に誰かに必要とされる事だけが自分の価値でない事に
その時気が付いた。それから別にとても生活水準が上がったみたいな そんなお伽噺のようにはならないが 今は生きてることに酷い罪悪感を感じることは無くなった。それだけでも息がしやすくなった。現在抱えてる病気や様々な制約により 生活は酷く苦しい。明日どうやって生きてこう?の中を溺れながら泳いでいる。いつか岸にたどり着いてその足を地につけ ゆっくりと呼吸をしたい。
その為に一つずつ 自分の人生をどっかに吐き出して 行こうと思った。現在溺れてる川の水をちょっと減らせるかもしれないので。
それがどこかで 同じように溺れてる人の足を下から少しだけ押せるようになれたらいいなって思ってる。自分が溺れてる時(今も)誰かの経験を見ると勇気や知恵を貰えてとても助かったので……この記事がそこまでになるとは思えないが……それでも色んな思いを載せて 流して行こうかなと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?