見出し画像

Twitterとの「新たな付き合い方」を考える。

 最近、Twitterとの距離をどう取るか?を考えるようになりました。つぶやきやRTはしてますが、以前よりは減ってます。というより「あえて」そうしてます。

 一番の理由として、アチラで何かマイナスエネルギーを感じるようになったからです。

 マイナスエネルギー=負の感情、すなわち恨みや憎しみ等々ですが、不満や不安もそこに類するでしょう。思えば昨年春先から徐々にそうなってきて、夏から秋にかけて少しマシになったかと思いきや、今年に入って急に強くなった感があります。理由はまあ……想像が付きますね。

 先の見えない中で、マイナスエネルギーに満ちた文章を読むと、例え一瞬でもしばらく心に引っ掛かり、やる気や意識を削いでいく。これがよろしくない
 仕事で忙しい最中の休憩時や、晩飯食べて家事をした後にようやく来る「自分の時間」の折に、チラと覗いたSNSがそんなだと非常にモヤモヤします。

 ……とはいえ、誰が何を呟こうと自由ですし、まず受け止める側、つまり自分にスルースキルが無いだけなのかもしれません。逆に自分の呟きやRTを不快に思う方も当然いるでしょう。でも、それだけなのかなぁ、と。

 自分には、アチラで聞こえる批判や愚痴がどんどん先鋭化してるように見えます。普段からそんな調子の方はRTの内容もやはり似てくるので、ますます尖ってくるのですね。そこにマイナスエネルギーを感じてなりません。

「愚痴って悪いことじゃないと思うのですが、ネットに吐き出す愚痴は、不幸が大好物のハゲタカや怒り狂ってるウニみたいな人など、明らかに悪いモノを引き寄せる効果があると思うんだよなぁ。」

 なので、どうも読み手(自分)側だけの問題には思えないのですね。時おり「何か最近はずっと不満だらけですけど、大丈夫ですか?」と心配してしまうレベルの方もいますし……

 しかし、そこでフト気付きました。

「……それでも、なぜ自分は『そこ』を見に行くのだろう?

 そもそもスルースキルを発動させるならTwitterをやらないという手もあります。しかしマイナスエネルギーを感じてるとはいえ、Twitter自体は情報交換や交流ツールとして十分魅力的です。呟きたくなる時は当然ありますし、興味のある(特に趣味等で関係の深い)話題があったらやはり覗かずにはいられないでしょう。

 となると『そこ』を見に行く理由は単純明快、「Twitterを覗く」行為そのものが習慣化していたからでしょう。

 ……ならば、Twitterとの「付き合い方」を改めて、新たな習慣を作るのはどうか? 

 冒頭で書いた「つぶやきやRTを『あえて』減らす」のもその一つです。これを基本に「巡回地点の一つ」として考える。つまりTwitterを軸にしないである程度分散させるのがいいかな、と。

 映画やアニメの実況、そして今のご時世はアレですけど旅の行程を記す時にはやはりTwitterがベストです。しかしそれとは別に何かを語りたい、というか「読みたい文章を書く場所」を用意するのもいいでしょう。
 考えてみればnoteはそのために始めたわけですし、ココなら長々と記せます。要は使い分けです。

 文句や愚痴を言いたくなる時もあるでしょうが、マイナスエネルギーを増やさないためには「そういう時ほど、あえて呟かない」のも手かと。よく「キレないためには6秒待て」ともいいますし、どうせなら6秒といわずじっくり考えてみるのもいいかも。上手くまとめられれば、心の整理も付きます。

 もちろん「それで済んだら苦労しない」とか「現実逃避」と言われそうですが、マイナスエネルギーを感じ始めた場所に自分からその素を投入する必要もないですし、ましてやTwitterが世界の全てでは無いでしょう。むしろTwitterを軸にしてる人が多いからこそマイナスエネルギーが溜まるんじゃないでしょうか。

 ……というか「noteで執筆」し始めると、気が付いたらもうこんな時間に? となることもしばしば。これだけでもうTwitterにいる時間が減らせるんですよね。こんな感じで新しい「付き合い方」を習慣化出来ればいいかな、と思う次第です。

 Twitterに関してはまだ思うトコがありますが、いずれまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?