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「吹くな風」と言うときー尾崎翠のふるさとー

・吹くな風こころ因幡いなばにかへる夜は山川とほき母おもふ夜は
/尾崎翠・稲垣眞美編『迷へる魂』筑摩書房2004
 
尾崎

尾崎みどりは鳥取高等女学校(いまの鳥取西高校)を卒業したあと補習科へ行き、それから地元岩美いわみの大岩小学校の代用教員をつとめながら雑誌に投稿する。その後、20歳をすぎてから東京に出て日本女子大学に入り、あれこれ寄稿。そのうち雑誌「新潮」に作品を寄せていたことがよろしくなかったとかで退学させられてまた鳥取に帰ってくる。映画にもなった「第七官界方向」とか「こほろぎ嬢」などは小説として有名であるし、全集は何冊か出ている。筑摩の『定本尾崎翠全集(上・下)』には例えば短歌はまったく入っていない。残念。ただ地道な仕事をするひともいて、全集から漏れたものを稲垣眞美編『迷へる魂』筑摩書房が採り入れてくれていて、多くはないが短歌も載っている。ここでは一首だけ鑑賞してみたい。

掲出歌。「吹くな風」という初句の入りがとても切実で、なんでそうまで初句で言ってしまうかというくらいつよい。これはもうお願いとうようなやさしいものではなくて、言い捨てるような、祈るようなそんなモードだ。頼むから風よ吹いてくれるな、と。まずそれがあって、後半は対句のようにふたつが並べられている。ひとつは「こころ因幡にかへる夜」。これは単純に実家のある因幡=鳥取のことを思い出している夜なんだということ。いま単純といったけれど、想像してみればすぐわかるように、地元を思うときってどういうときだろう。単に地元愛が強いとかそういうのではない。翠が置かれている状況を想像してみたい。そうしてその翠がおもう因幡は漠然とした鳥取ではない。次には「山川とほき母思ふ夜は」とあるので、幼い頃に遊び生活の場所として身近にあった鳥取の山や川、そしてお母さんのことを思う夜なのだ。もう具体的に身体感覚として思い描いているのだ。もうそこまでこころが故郷にいってしまっているんだから、そのうえ、風が吹いてしまったらこの私の身体も鳥取に飛んでいってしまいそうだという感じだろう。

東京に出て、鳥取出身の尾崎翠はなにかと苦労しているのだろう。うまくいかなかったり、お金がなかったり、ひと恋しかったり。つらいことはいくつもあっただろう。そのようなつらさを全身にうけながらそれでも文学を求めて懸命に原稿と格闘しようと机に向かっている翠。因幡の山や川や母を思いつつも、ぐっと歯を食いしばって、踏ん張りながら文学へ向かっている感じ。そこにこころを揺さぶられる。


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