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夢への挑戦


遠くから見ていたらぼんやりと見えていて、「もしかしたらそこまでいけるかも」と思う。

少し近づいてみる。

するとぼんやり見えていたものが少しだけはっきりと見えてくる。

これなら自分でも辿り着けそうだと感じてもう少し近づいてみる。

前よりももっとはっきりと見える。

はっきりと見えたその景色。

近づいていたと思っていたその目的地。

絶望的な距離があることに気付く。


でもこれって、

近付かないと気付けなかった。


小学生からサッカーを始めて約20年。


"ワールドカップに出る"という夢を持ち続けた。


20年という時間をもってしても


"叶わなかった"



理由は至って簡単。



"実力不足"




それ以上でもそれ以下でもない。



今の時代、情報は日常に溢れかえっている。


本やテレビ、YouTube。


誰かの追体験をすることは容易になった。



でも追体験とは全く異なるもの。



ドイツにきて本物の"体験"を沢山した。



大人と子供くらいの差がある選手たちとの文字通りの"闘い"



性格も文化も大きく違う人たちとの交流。




泣いても笑っても止まってはくれない人生。


夢が叶った場所であり、終わった場所。



全て自分の目で見て、感じた。




色々あった。



でも



「ドイツにきてよかった。」って心の底から思う。




そんな想いを今回記します。


その想いが見ていただいた人にとって少しでもプラスになれば嬉しいです。


そして、今回のこのnoteは投げ銭制にしました。


集まった収益はサッカーに関わる団体に寄付する形で考えています。

僕自身の経験が目に見える形、目に見えない形で誰かの力になれれば嬉しいです。


"努力は継続力と方向性"



この話をする前にまず"努力"というものを定義する。


努力:目標達成のために必要な行動


だと捉えている。

ここで大事なことは目標達成がゴールであり、努力することは手段であるということ。

その上で話を進める。


努力しなくても目標達成できるなら努力する必要はない。

努力しないと目標達成できないのであれば努力する必要がある。


努力は報われるとか報われないとか言う人がいる。

そもそも努力って闇雲にやればいいというものなのか。

やったから必ず結果に結びつくのか。

そんなものは誰にもわからない。

報われるかもしれないし報われないかもしれない。

でも報われる可能性を上げることはできる。


方向性を意識することが必要になる。



一つ例を出す。

試合に出るために求められるサッカー選手として必要な走力や体力を身に付けるために毎日10km同じペースで走ったとする。

これを目的と手段でまとめると以下のようになる。

目的:試合に出るために求められるサッカー選手として必要な走力や体力を身につける

手段:毎日10kmを同じペースで走る


これはどうだろう。


実際にそれをした人の意見としては、

方向性が間違っていたと感じている。

確かに、毎日10km走ることで体力はつけることはできた。

「しんどくてもやる」というメンタルと鍛えられた。

でも目的は達成できていない。

サッカーは同じペースで走り続けるスポーツではない。

短い距離を速く走る場面もあれば、ジョギングしながら体力を回復する場面もある。

スピードのアップダウンがあるわけだ。

マラソン選手を目指すのであれば毎日10km同じペースで走ることは意味のある練習になるのかもしれない。(専門じゃないのでわからないが)

でも確実に言えることはサッカーにおいてはもっと方向性が正しいメニューがあった。


1ヶ月間10kmのランニングと筋トレ体幹とボールを使ったトレーニングをやり続けた。

でも1番の目的であった「試合に出る」ことはできなかった。

今思えば、

「毎日頑張ってる風な自分」に満足していただけだった。

「毎日頑張ってる風な自分」に対してもらえる「すごいね」に喜んでいただけだった。


「試合に出る」という方向ではなく「すごいね」と褒められる方向に努力をしていた。



努力は報われるとか報われないとか言う人がいる。

そもそも報われるのかどうか。

報われたとしてもいつ報われるのか。

そんなものは誰にもわからない。

明日報われる場合もあれば、1年後かもしれない。

5年後や10年後かもしれない。

それでも報われる瞬間までやり続けるしかない。

その瞬間までやり続ける継続力が求められる。



直近2ヶ月間、リーグ戦出場はほぼなし。


そんな中で迎えた、リーグ最終節。

久しぶりのスタメン。

そして、交代でピッチを後にする瞬間。

場内のアナウンスで交代が告げられる。

スタンドにいた500人もの観客たちがスタンディングオーベーションと拍手で労ってくれた。

チームにきて1年しか経ってない外国人の荒木秀介に対してだ。


自分のサッカーを通して笑顔を届ける。


ドイツ生活の最後の最後に自分の納得いく形で目標を達成することができた。


ドイツでの2年間はもがき続けた。

うまくいかないことだらけだった。

帰る選択肢だって全然あった。

それでもドイツで挑戦し続けた。


2年かかったけどやっと報われた瞬間だった。



努力は報われるか報われないか。


報われる。必ず。



サッカーを通して笑顔を届けるために自分にできることを日々やり続けた。


努力は継続と方向性。

それができていれば必ず報われる。


大丈夫。


何者でもない荒木秀介という人間でもできたんだから。



「なりたい自分になる」


こんな最高な経験ない。


ぜひこれを読んでくれている人にもその経験をしてほしいので僕の経験が参考になれば嬉しい。



"解像度を高める"







「プロサッカー選手になる」

「ワールドカップに出る」


小学1年生でサッカーを始めて以来持ち続けてきた夢。


「俺なら叶えられる。」


大した実力もなければ、実績もない。


それでも本気でそう思っていた。



だからドイツに行った。


夢には近づいた。


大学卒業後も日本でプレーしていてもおそらく乏しい実績を見られて関西リーグ2部(上から6番目のリーグ、J6相当)にでも入れれば御の字だったと思う。


ドイツに行ったことで5部のチームに入ることができたので、日本にいるよりも上のカテゴリーのチームに入れたことになる。


そこから4→3→2→1部とカテゴリーを上げることができればワールドカップに出るという夢も現実味を帯びていただろう。


でもそううまくはいかなかった。



日本にいた時には全く見えていなかった夢が少しだけ見えた気がした。


それと同時に気付いた。


夢までの高く険しく果てしない道に。









「ワールドカップに出る」ことはできずにサッカーを辞めることになる。


理由は多岐に渡る。


簡単に言えば実力不足。


もっと正確に言うとすれば、



「解像度不足」




もっと具体的に言うと、


「ワールドカップに出る」という状態の解像度。


いつのワールドカップに出るのか。


どこのポジションで出るのか。


2030年のワールドカップに出るとすると今からでも6年あるから時間的な余裕ができる。


でも2026年のワールドカップだと今からでもあと2年しかない。


2026年にワールドカップはあるが、ワールドカップの予選は2024年から始まるから最低でもそこには出てアピールしないと本大会に選ばれることは難しい。


となれば、遅くとも2024年には最低でもドイツ2部でプレーしていないとそもそもの選考にも入らないだろう。


それでは2022年夏の段階で5部の選手が2024年夏に2部にいるためには2022年冬、2023年夏、2023年冬の3回の移籍のタイミングで4→3→2部とカテゴリーを上げていかないと間に合わないことになる。


カテゴリーを上げるためにはチームで昇格するか、個人で上のチームに移籍するかの二択になる。


急いでいることを考えると後者の方でカテゴリーを上げていかないといけない。


上のチームに移籍するために結果を残す、上のチームが欲しがるようなプレーをしないといけない。


4部に所属するAチームはテクニック重視のチームだとしたら、テクニックが求められる。


それにもかかわらず毎日筋トレして、ランニングして、を繰り返しても「ウチでは必要ない」となってしまう。


どこのチームに移籍したいかを定めることでそこで必要とされることを鍛えていくことになる。


じゃあこの練習をしよう!となり、そのチームに加入する可能性が上がることになる。


と、「いつ?」を定めるだけでこれだけの思考が働く。


いつまでに何をやるべきかが明確になる。



どこのポジションで出るのか。も重要である。


フォワードの方が出れる可能性が高そうなのであればフォワードで必要とされることを練習する。


極端な例だが、フォワードでゴールを決めることが求められるのにディフェンダーのように守る練習をしても無駄とまでは言わないが、とにかく時間がない中でそれをするのは賢明とは言えないだろう。



夢や目標の解像度を高める。


そうすれば進むべき道がはっきりと見えてくる。


あとはその道を進むだけ。



もちろん険しい道もあるだろう。


道とは呼べない道かもしれない。


簡単に叶わないから夢なんだと思う。


時に回り道をすることもあるかもしれない。


時に寄り道をすることもあるかもしれない。


でも本当にその夢や目標を叶えたいなら進み続けるしかない。



解像度が上がった道を進み続ける。


そうすれば必ず夢は叶う。


"人それぞれに幸せの形はある"



億万長者になることが幸せという人もいれば、お金はなくてもやりたいことができていれば幸せという人もいる。


美味しいものがいっぱい食べれれば幸せな人もいるし、異性からモテモテなのが幸せな人もいる。


幸せの形って何でもいいんだ。そう感じた。


ドイツ人は家族をとても大切にする。


仕事よりもサッカーよりも家族。


家族との予定があれば仕事でも練習でも試合でも休む。


「家族といればそれで幸せだからいいんだ。」ってチームメイトが言っていた。


財布を盗まれたチームメイトがいた。


クレジットカードもキャッシュカードも現金も全部盗まれた。


でも彼は笑っていた。


「生きてるだけで幸せだからいいんだ。」って。


生きてたら家族とも会えるし、友達とも会える。


生きてたら美味しいご飯も食べれるし、大好きなサッカーもできる。


「生きてたからこうやってShuとも出会えたしね。」


彼はそう言ってくれた。


幸せの形は人それぞれ。


自分のものさしでいい。



幸せの形なんて自分で決めたらいいと思う。


そもそも生きてるだけですごいんだから。



僕は自分の周りで何人か大切な人を亡くしている。



その人たちが生きたかった今を生きてる。



ドイツにいると戦争のニュースが日本にいる時よりも入ってくる。


泣き叫ぶ子供や苦しむ人たちの姿を見る。



言葉にできない感情になる。



僕らは日本に生まれた。


海外で生活して改めて感じた。


日本は本当に恵まれた国だなって。



もちろん嫌なことだってある。



しんどいことだってもちろんある。


誰かに怒られた、とか、


仕事が楽しくない、とか。



でも今生きれてる。



それ以上に幸せなことはないと思う。



食べ物を持っていない人は誰かに食べ物を分け与えることはできない。



何も持っていないから。



自分が幸せじゃない人は誰かを幸せにすることはできない。


幸せを持っていないから。



僕は、


大好きな人たちに囲まれて生きれてる今が幸せ。


自分がやりたいことをやれている今が幸せ。


大切な人たちが笑っている姿を見れる今が幸せ。


僕よりもお金を稼いでる人も、有名人に囲まれている人も、すごいことをやっている人たちも社会にはたくさんいる。


でも僕は幸せ。



それが僕のものさし。



それでいいと思う。



これを読んでくれた人が今幸せならすごく嬉しい。



これを読んでくれた人がこの本を見て何か少しでもプラスになってくれたらもっと嬉しい。


「自分にとっての幸せはなに?」

自分に問うてほしい。

自分のものさしで幸せを感じて幸せに生き続けてほしい。


"目に見える成長だけが成長ではない"


筋トレをして筋肉がついた。

英単語を毎日やったおかげで単語テストで100点が取れた。

何かを行った結果、結果という形で成長を実感できたパターン。

植物は目に見えるところで花を咲かせたり、実をならせたりする。

でも花や実はそれだけで成り立つだろうか。

目には見えないところ(地面の中)で根っこを張っている。

大きな実や花を咲かせてもちゃんと重さに耐えられるように。

ちゃんと咲き続けられるように。


目に見える成長は目に見える分続きやすい。

成長実感を得られるから。


一方、目には見えない成長は続きにくい。

成長実感を得づらいから。


本当に大事なのは根っこの部分だと思っている。


目に見える成果が出ていない時でも、やるべきことをやっていれば必ず成長している。


でもそこで目に見える成果を求めてしまい、結果が出ていないからといって辞めてしまったら勿体無い。




良い時に頑張れる人は多い。



大事なのは良くない時。


やっていることの方向性さえ合っていれば目標達成は必ずできると感じている。


生まれ持った人間の能力に大きな差はない。


「うまくいかない時に踏ん張れるかどうか」が大きな差となる。


人生なんてうまくいかないことの連続。


うまくいかない時にどうするのか。


諦める?

愚痴を言う?

なかったことにする?



逃げるのは簡単。


でも「逃げるな!」だけやと難しい。



マインドの持っていきかたの問題。



「今は根を張っている時期だ。だから大丈夫。」


そうやって自分をコントロールする。



花を咲かせることも大事。


根っこを伸ばすことも大事。


いや、根っこを伸ばす方が大事かもしれない。


むしろ大きな花を咲かせるチャンス。


しんどいことの方が多い人生。


そこを乗り越えられるマインドを持っていれば人生はもっともっと楽しくなる。


"歩みを止めないこと"



生きていれば色んなことが起こる。


楽しいことも嬉しいことももちろんある。

でもそれ以上に悔しいことも苦しいこともある気がする。

ドイツでの生活だってそうだった。


リーグ戦出場なしで終えた前期を終え、中断期間にかなりの負荷をかけたトレーニングを行い、満を持して臨む予定だった後期開幕直前。


セカンドチーム行きを告げられた。


僕に選択肢はなかった。


5部から8部のチームに変わる。


これは2026年のワールドカップを本気で目指していた自分にとってその夢が叶わないことを意味した。




夢を叶えるために行った地で夢が叶わないと悟った。


20年という長い時間をかけた夢の終わりを感じた。



目の前が真っ暗になった。



今までのサッカー人生はなんだったんだろう。

なんでわざわざドイツまできてるんだろう。

そもそも何のために生きているんだろう。



誰かと目を合わせて話すことができなくなった。


何もしてなくても涙が出てくるようになった。


大好きだったサッカーをすることが怖くなった。





でも歩みを止めることだけはしなかった。


ここで止めたら今まで積み上げてきた自分というものが壊れてしまうような気がしたから。


ここで止めたら今まで支えてくれた人たちへの恩返しができないと感じたから。



監督にお願いし練習だけでも参加させてもらえるようにお願いした。


ボロボロの精神状態の中2部練を繰り返した。


「人数が足りてるから来なくてよかったのに」と言われて悔しくて2時間グラウンドを休みなしで走り続けた日もある。


元々あった自分のロッカーは違う選手のものとなり、若い選手にスペースを開けてもらい荷物を置かせてもらった。


誰よりも早くグラウンドに出て少しでも上手くなれるように若い選手と一緒にボールを蹴った。


何か少しでも評価があがればと思い自分の参加する練習かどうか関係なく準備や片付けは率先して行った。


思っていることは山程あったが表には出さずに盛り上げ役に徹してチームを盛り上げた。


精神面だけでなく身体面にも無理しすぎていたため腰を怪我した。



チームメイトたちは僕の状況を理解してくれていた。


僕がどんな態度を取ったとしても彼らは理解してくれたと思う。



「辛くなったらいつでも帰っておいでや」


「無理だけはすんなよ」


友達から言われた何気ない言葉で泣いた。







そのシーズンの最終節。

試合終了後にチームメイトたちが胴上げをしてくれた。

今でも連絡をくれる監督やチームメイトがいる。

ドイツを去る時にはお別れ会もしてくれた。


彼らはどんな僕の姿も常に見ていてくれていたからだと思う。



歩みを止めたって誰かに責められるわけではない。



歩みを止める理由なんていくらでもあった。





前に進んでるかどうかもわからない。

後ろかもしれないし横に進んでいるかもしれない。


歩みを止めなかった。


どこで誰がみてくれているかはわからない。


絶対に無駄にはならない。


一見、セカンドチーム行きという出来事はポジティブなものでは無かったかもしれない。


でもそのおかげで考える機会を得ることができた。



考える機会を得ることができたおかげで貴重な経験をすることができた。



むしろその経験をしたからこそ本気で人生に向き合う今があると自信をもって言える。






進み続けたからこそ見れた景色があったから。



人生色んなことが起こる。


良いことも悪いことも起こる。


悪いことの方が多いのかもしれない。


でも歩みを止めなければ必ずその先に得るものがある。


絶対に。


やり続けた人にしか見れない景色。



ぜひその景色を見て欲しい。


でも、僕もそうだったように1人ではそこまで行くことはできなかった。


色んな人に支えてもらったからこそ見れた景色だった。


僕自身が次は支える側になりたいと思う。


僕の経験が少しでも力となり、前に進む勇気の一端にでもなれていたらすごく嬉しい。


"世界で闘うということ"




当たり前のように日本語が通じて、心の許せる家族や友達がいる日本。

生活に困ったとしてもアルバイトを頑張れば生活はできるだろう。


実家や友達の家を頼れば住むところだってなんとかなるだろう。


破格の値段で美味しいご飯が食べれる。



困ったことがあったとしても誰かに聞けば教えてくれるだろう。


そんな恵まれすぎている日本の一歩外に出た。


言語も文化も気候も常識も何もかもが違う。


当然日本語は通じない。


言語力の低さから、思っていることを伝えることができない。


冬の期間は特に雨や雪が多くて晴れない日が長く続いて病みそうになる。


外食なんて考えられないほど高い。


時差があって連絡も取りづらい。





黙って困っていても助けてくれる人もいない。


自分で解決するのか、誰かを頼るのか、全て自分でアクションを起こさないと何も状況は変わらない。





サッカーがうまくいかない時、「サッカーするためにわざわざここまできてるのに何をしてるんだ俺。」とぶつけようのない悔しさが押し寄せてくる。


辛いことや苦しいことがあった時、「ここにこなきゃこんな想いしなくて済んだのかな。」なんて弱い自分が出てくる時もある。


夜寝る前に「やっと今日が終わった」と一息つくこともある。






毎日毎日生きることに精一杯。



世界で闘うってそういうことなんだと思う。



誰も自分のことを知らない土地。


言語や文化など何もかもが日本とは違う。


日本の友達のSNSを見た時に感じる孤独感。


「大変だろうな」って心の準備はしてきた。


自分が想像していた以上に苦しかった。


でも、


自分が想像していた以上に幸せだった。






日本の外にこんなにも広い世界があるということを知らなかった。



異国でできる友達や家族がこんなにもあったかい存在だとは知らなかった。




ドイツに出発した日。


今までお世話になった人たちにこれまでの感謝とこれからの決意を込めて連絡を入れた。


ドイツから帰国する日。


ドイツでお世話になった人たちに今までの感謝を込めて連絡を入れた。


感謝を伝えたい人がこんなにも多いんだ。と自分でも驚いた。


ドイツで、それだけの人たちに助けてもらった。


息子のように可愛がってくれるドイツの父と母。


今でも気にかけてくれる昨シーズンの監督とチームメイト。


お別れ会を開いてくれた昨シーズンのチームメイト。


泣いて悲しんでくれたり、「帰るなよ!」と怒ってくれるチームメイト。



一つの夢が叶い、もう一つの夢が終わった2年間。



楽しいこと、嬉しいことよりも辛いこと、苦しいことの方が多かったのかもしれない。



でも世界で闘い続けた2年間は本当に幸せだった。



日本でもドイツでも支え続けてくれた全ての人に感謝を伝える。


本当にありがとうございました。


そして、



一緒に世界で闘い続けた仲間たちに本当に助けられた。

「あいつも頑張ってるし俺も頑張ろう」って勇気つけられた。

今もまだ闘い続けている仲間たちは沢山いる。


本当にすごいなと思う。


心から尊敬すると同時に幸せでい続けてほしいなと強く思う。



俺も負けてられんな。頑張ろ。


"夢の果て"




「ワールドカップに出る」


その夢が終わった後の話。


今までの人生の全てだった夢は叶わないと悟った。


「何のために生きるのだろう」


本気でそう思った。


でも、気付いたことがある。


「夢が終わっても人生は続く」


人生は一本道で、夢はあくまでも通過点でしかなかった。


夢が果てた、その先にまだ人生は続いていた。


そしてそこには次の夢があった。



夢というよりももっともっと大きな人生の目的のようなものだった。



「自分に関わる人を幸せにし続ける」



幸せを次のように定義する。


やりたいことや目標、目的に向かって進み続けられる状態。


ドイツでの期間はいいことばかりではなかった。


辛いこと苦しいことの方が圧倒的に多かった。


でも幸せだった。


自分の目標に向かって進み続けられたから。


小学1年生の時からずっと思い続けてきたことにチャレンジし続けられたから。


自分が本当にやりたいことをやり続けられたから。



僕はこのような状態の人(=幸せ)な人を増やし続けたいと思う。


今まではサッカーという手段でそれをやってきたことに気がついた。



その手段が変わるだけで目指すところは変わらないことに気がついた。



まだまだ人生には先があった。


全ては目的を達成するための手段。


夢の果て。


20年かけてたどり着いた場所。


俺の人生はまだまだこれから。


もっともっとやれる。


"もう一度人生をやり直せるとしたら?"




大学4回生の5月。


ドイツに行くことに決めた。


「自分次第でどうにでもなる」

「自分の未来を自分で切り拓くことができる」

そこにワクワクを感じたから。





ドイツに行っていなければ今は社会人として3年目になる。


もっとお金を稼いでいたのだろうか。


いい役職に就いていたのだろうか。


誰かと結婚していたのだろうか。


家族や友達ともっと長い時間過ごして楽しんでいたのだろうか。






ドイツに行かなければ「夢が叶わない」という現実を見ずに済んだのかもしれない。


ドイツに行かなければ心が壊れるほど自分を追い詰めなくても済んだのかもしれない。


ドイツに行かなければ生きるのに必死にならなくても済んだのかもしれない。


ドイツに行かなければもっと楽な人生を過ごせたのかもしれない。




その答えは誰にもわからない。



そして、確かめようもない。



ドイツから帰ってきた今、これだけは言える。



この決断をしてよかった。



もしも大学4回生の5月に戻ることができたとする。



ドイツに行ったらどんなことが待ち受けているかも知っている。


夢が破れたあの瞬間も、


なんのために生きているかわからないあの時間も、


泣きながら帰ったあの時間も、


全てまた経験する。




迷いなくドイツに行く選択をする。



だって今めちゃくちゃ幸せやから。



本気でそう思えるくらい充実した時間だった。



これから先の人生もきっと多くの決断をすることになる。


正しい選択をできるかはわからないし、そもそも正しい選択が何かもわからない。



でも間違いなく言えること。


ドイツ行きを決断する時に戻れたとしても絶対に同じ決断をする。



絶対に。



人間誰しも後悔してることはあると思う。


もっとこうしとけば良かった。


もっとああしとけば今ごろ、、。


後悔がない人なんていないんじゃないかと勝手に思っている。


もちろん僕も後悔は沢山ある。


小学時代にもっともっと練習しておけばよかったな。

中学時代にトップレベルに食らいついておけばよかったな。

高校時代に基準を高く持ち取り組み続ければよかったな。

大学自体に、1.2回生の時から真面目に取り組んでいればよかったな。


大まかに言ったが細かく言えばきりがないくらいある。



おそらくこれからも後悔することもあると思う。


人生うまくいくことばかりじゃないから。


うまくいかないと感じる度に「違う方に行ってたらよかったのかな。」と考える。


今うまくいってなかったら余計にそう思ってしまうと思う。




何度やり直してもこの選択をする。


そんな選択をし続ける人生を歩み続ける


自分のこれから先の未来はどうなるかわからない。



でも一つだけ決めていることがある。



どんな決断をしたとしても、


人生を何度繰り返してもこの決断をする。


そう思えるような決断をし続ける。


死ぬ直前に後悔なんて絶対にしたくない。



死ぬ時に



「あぁもう一回この人生を生きたいな」



そう思える人生にする。


そのために毎日必死に生きる。


"最後に"

ドイツの2年間での学びや想いを記させていただきました。


長くむさ苦しい文章を最後まで読んでいただきありがとうございます。


少しでもこれを読んでくださった人にプラスな影響を与えられたら嬉しいです。


ドイツでの時間は終わりました。


長いようであっという間でした。


人生の頂点もどん底も経験しました。


ドイツで出会った人、日本から支えてくれた人たちがいなければこんなにも充実した時間を過ごすことはできませんでした。


本当にありがとうございました。



YouTube、note、TikTokや他のSNSなどで様々な方からあたたかいメッセージをいただきました。


ラジオ収録、スポンサー契約やメディア出演もさせていただきました。


講演やイベント開催などもさせていただきました。



何者でもなかった荒木秀介という人間が、少しは何者かになれた気がします。


でもまだまだ満足していません。


自分の周りにはすごい人がたくさんいます。


感謝してもしきれない人がたくさんいます。


僕自身の成長がその人たちへの恩返しになるとドイツで学びました。


今までいただいたものをその倍以上で返せる人間に。


人生まだまだこれから。


引き続き荒木秀介をよろしくお願いいたします!



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