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郷土紙という超ローカル新聞(連載21)寄付をするなら新聞社… を呼べ


タイガーマスク運動?


地域に密着した情報を取捨選択(編集)し、新聞紙面にまとめ読者に届けるのが郷土紙。商圏人口60万人程度、発行部数1万部の小さな新聞では、地元企業や団体、学校のボランティアクラブなどの寄付行為のニュースも定期的に記事になります。

地元でまあまあ羽振りのいい企業、人気の飲食店、ロータリークラブやライオンズクラブなどの奉仕団体、青年会議所(JC)、学校や幼稚園で行われたバザーや募金活動、このほかにも地域のいろいろな団体、グループが毎年、またはさまざまな機会を通じて寄付を行っています。
寄贈先は、社会福祉法人、ボランティア団体、高齢者施設、福祉系のNPO法人など活動資金に困っていそうな慈善団体になることが多いです。寄付は、現金がメインです。ほかに飲食店へのご招待、プロ野球やJリーグの観戦チケット、本、自転車、車椅子の寄贈などもあります。

もう10年以上前になるんでしたっけ…
年末から年明けにかけて「伊達直人」と名乗る人が、児童養護施設にランドセルを贈ったということがありました。これをきっかけに全国の篤志家、企業らに広がったことがありましたね。
新聞では「タイガーマスク運動」と名付けて報道していました。誰ですか、こんな奇妙な命名をしたのは笑
もうちょっとセンスあるネーミングはなかったのかと今でも思います。

本郷日報を呼べ!


寄付行為は、当事者以外に知られないようにひそかに行うほうがスマートです。匿名で児童養護施設に毎月お金を振り込むとか、やってみたいものです。
やれるのにやっていないだけじゃないかという声もよく聞こえます。その通りかもしれません。

Xでちょうど思っていたポストが見つかったので埋め込んでおきます。
この精神です。


人間ですから良い行いを人に認めてもらいたい承認欲求はたいてい持っています。「すごいですね」「立派な行いですね」などとほめられたらうれしくなります。
多くの人にいいことをしているのを知ってもらいたいという気持ちはわかります。
でもどうやって寄付をしたことを、多くの人に知ってもらえばいいのか?
SNSがなかった時代、世の中に自分の善行を広める手段は限られていました。
テレビの地域ニュースだって4ケタ万円単位とか、寄付者がものすごく話題になる人のようなケースでなければ取材もなかなかきてもらえません。
2000年代半ばは、企業のサイトも大企業がようやく充実しはじめた頃です。田舎の中小企業の中には、自社サイトがない会社もありました。

こういうときに役に立つのが郷土紙のようなローカルな新聞です。
10万円程度のちょっとした寄付や子供会のバザーをはじめ、飲食店のレジ横に置いてある「恵まれない子たちに愛の手を」という募金箱の貯まったお金など、ちょっとした寄付行為の贈呈式にもやってくるのが郷土紙です。

私が所属していた本郷日報(仮称)が発行されている遠浜県南部地域(同)では、企業や団体が寄付するときは「本郷日報を呼べ!」が合言葉のようでした。同様にライバル郷土紙の南遠浜新聞(同)やケーブルテレビのホンゴーネット(同)も呼ばれます。

笑顔でそのまま


寄付行為に熱心な企業や団体は、社会福祉法人など寄付をする団体、施設に事前に打診をします。寄付を受け入れてもらえる場合は、贈呈式の日程を調整します。そして郷土紙の編集局に電話やFAX(当時)、たまにメールをするわけです。

呼んだ新聞社、ケーブルテレビ、コミュニティFMが贈呈式をする施設に来たら、寄付をする側と受ける側のそれぞれ代表が登場します。
写真は、毎度おなじみの場面。現金の入った封筒または目録を笑顔で手渡すシーンを一枚パチリ。インパクトがほしい場合、目録ではなく直接物品を手渡すこともあります。
高齢者施設に送迎用の車を送る場合、駐車場で車の周りで写真を撮ることもありますし、車椅子なら使う人に座ってもらい、寄付側が後ろで押すポーズになることも。
変わり種の撮影では、児童養護施設に食材寄付という企業の社長が米俵を担いでという写真を撮ったこともありました。
現金入り封筒や目録なら撮影する10秒程度「そのまま笑顔でお願いします」と注文つけることもできます。しかし、米俵のときは、3秒でも大変そうでした。撮った直後、デジカメの液晶画面で確認すると、その社長さんが苦しそうで目をつぶった写真になってしまいました。さすがに「TAKE2」をお願いする勇気はなく…。
無理すんなよ。


現金は、大正義


たいていの福祉施設は、現金はもちろんのこと、食材、ランドセル、ゲームソフトだって受け入れます。
金額も多いに越したことはありませんが、1万円だって感謝されます。慢性的に資金繰りが苦しいところはたくさんありますから。
とはいえ、企業なら最低10万円以上でいきたいものです。
記事に書くかどうかは別にして、取材では、寄付金額を聞きます。小中学生の集めた募金などは別ですが、あまりに少ないと誌面掲載時に恥ずかしい思いをするかもしれません。
基本的に寄付は現金が大正義。いちばん使い勝手がいいです。
あ、千羽鶴は後で処分に困ることが多いです。古布ごみと変わらないレベルの古着はお断りするところもあるかもしれません。

やらない善意よりやる偽善


取材を重ねると、寄付をする理由は、寄付をする人、団体の数だけ理由があるのではと思うほどいろんな答えがありました。
寄付をする企業の担当者に聞くと「地元で活動させてもらっているので、少しでも貢献できたらと社員の総意で」「入所者の方との交流が楽しみで」などと表向きは答えます。
中には「従業員の中に児童養護施設出身者がいる」「祖母が生前、世話になった」「甥が同じ病気にかかっているので同じ境遇の子を少しでも減らしたい」という恩返しのような人もいます。

それなりに仲の良い企業の担当者なら少し話していると、書かない前提で「1回やると体裁もあってやめるわけにいかない」とか「社長が新聞に載ったのを社長室に飾っている」「求人にけっこう効果がある」「やらないといろいろ言われる(非公式にケチとか)」というくだけた理由が出てきます。
純粋な善意というのは難しいものです。
そうはいっても、寄付をする人、企業のお金、物品は確実に届いています。「寄付の精神とは」とご高説をお述べになられるよりは、たとえ偽善というか見栄、体裁で義務的にやっていても実際に寄付するほうがいいに決まっています。
ネットでよくいわれる「やらない善意よりやる偽善」は、とても含蓄深いことばです。

本音をオブラートに包みつつ、地域への貢献を形にするのが地元企業に求められている一面です。
ここでも「載っていればいい」のが郷土紙の存在。記事になることは大事です。

あまりきれいな話ではありませんが、寄付企業や商店と新聞社との付き合いの深さ(広告、事業協賛の額の大小)は紙面で扱う面積、掲載位置に影響していました。

互いの活動を広めることが役割


企業の体裁、紙面の穴埋めというようなあまり胸を張って言えない事情の寄付もありますが、メディアとしての使命で載せている部分もあります。
発行部数1万部の小さな新聞とはいえ、一応、地元の主だった企業や飲食店で本郷日報は、読むことができます(少なくとも2000年代までは、今は少し減っているかも)。
形だけの記事になる傾向が強いとはいえ、社会福祉法人、高齢者施設、ボランティア団体などの存在や活動方針が紹介されます。
これらの団体がいかに活動資金に困っているか、担い手が足りないかということを伝えるのも記事の役割のひとつです。

存在が知られることで寄付をしようという思いを持つ人や企業が増えることもあります。

多くの人にとって存在そのものが知られずにいる都道府県の社会福祉協議会や各都道府県または主だった区や市にあるボランティアセンター、善意銀行というような組織があることを広めるのも新聞記事の役割です。
実は、私もこの仕事をするまで社会福祉協議会、ボランティアセンターのことはほとんど何も知りませんでした。
児童養護施設も複数の同級生がそこから通っていたから存在を知っていただけで、どんな施設なのか知りませんでした。

振り返るまでもなく寄付について、仕事(取材)としてはあまり力を入れていませんでした。
「紙面が埋まるし」と思いながら写真を撮って、寄付をする側、受ける側それぞれに対し定番質問をするだけという流れ作業的にやっていました。

実は、寄付も行為としては一つのできごとですが、地域の政治、経済にさまざまな形で影響しあっているというのを知るのはかなり後になってのことでした。
走り込み、基本、大事です。

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