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抜け出すまで。もう少し。

「あー、俺、バイトすることにしたんだよね」
 エイジの声がヘッドホンを通して僕の耳に突き刺さった。

「え?バイトって何?アルバイトってこと?」
 ヘッドホンからは続けてトウヤの声が聞こえてくる。

「うん。そう。実は今日面接行ってきたんだ」
「すげー。履歴書とか書いたわけ?」
「書いた書いた!久しぶりにペン持ったから、超プルプルしたわー」
「なんだよそれ」
 エイジとトウヤの会話が続く中、僕も会話に参加しようとしたけどどうしてもダメで、べったりとした汗を手に感じながら、プレイしているオンラインゲームのキャラをひたすら無言で操り続けた。

 バイトをする

 それは高校生と言われる僕たちの年齢であればごくごく当たり前に行われている社会活動。だけど、僕らにとっては当たり前とは言えないくらいハードルの高い行為である。
 なぜなら、今オンラインゲームで繋がっている僕たち3人は、みんな小学校高学年で学校へ行くことを辞めた後、ほとんど外に出ない生活をしているから。


 学校へ行き渋り、五月雨登校を経て不登校になった僕が毎日家にいるようになった後、お母さんは「適応指導教室」という場所へ僕を連れて行った。しかし、僕はこの学校の縮小版のような場所にはあまり馴染めず、3回くらいで行くのをやめた。

 それからしばらくして、お母さんがぼくを連れて行った「居場所」という場所。そこで出会ったのが、エイジとトウヤだった。

 あれから僕たち3人は、居場所だったり、オンラインのスペースだったりでずっと交流を続けている。今はみんな通信高校に在席しているが、通学は毎日ではないし、どちらかと言うと全員「引きこもり」と世間一般では呼ばれているような生活スタイルだと思う。

 そんな中、エイジがバイトをはじめると言いだした。

 僕の心臓がバクバクと音を立て始め、世界から音が消えていく。灰色の世界が僕を塗りつぶそうとしたその時

「……ム?……タム?聞こえてる?どうした?調子悪い?」
 トウヤの声が僕を現実世界に引き戻した。

「あー。ちょっとヘッドセットの調子悪かったみたい。もう大丈夫。ゴメン。でも、それにしてもエイジ、スゲーじゃん!」
 カラカラの口を何とか唾で潤して、僕は何気ないふりをして話に加わる。

「俺ってやる時はヤルかんじ?でしょ」
 僕の言葉にエイジが得意げに応え、それにまたトウヤが続く。

「何調子乗ってんだよ。でも、確かにいっつもエイジが一番だもんな。お前の行動力はすげーわ」
「エイジを見習わないとな、僕たちも」
「そうだな。でも、面接ホントお疲れ!」
 僕とトウヤの賞賛の言葉をしばらく聞いた後
「今日は外行って疲れたからもう落ちるわ~。じゃなー」
と言い、エイジは退出していった。


 2人きりでしばらく無言でゲームを続けていると、突然トウヤがポツリと吐き出した。
「なぁ、俺らもそろそろ何とかしないとダメだよな」

「だな」
 僕の返事が終わると同時に、トウヤもオフラインになった。


 それから数日エイジはオンライン上に姿を現さなかった。
 1週間ほど経った頃。相変わらずエイジのいないオンライン。2人でゲームをしている時に、トウヤがちょっと真面目な声で話し始めた。

「なぁ、タム。聞いた?」
「なに?」
「エイジ、バイトの面接受けたって言ってたじゃん」
「うん」

 トウヤのその言葉を聞いた僕は、また胸の辺りをギュッと掴まれたような息苦しさを覚え、視界が暗くなる。エイジは頑張っているのに、それに比べて僕は。

「あれさ、次の日にエイジ、辞退の電話かけたらしいぞ」
「え?辞退って?」
「自分から断りの電話かけたってことだよ」
「それくらいわかるよ。でも、なんで?あんなにやる気だったじゃん」
 トウヤはその質問には答えず、僕もそれ以上は何も言えなかった。

 エイジはあれだけバイトをすると盛り上がっていたのに、結果が出る前に自分から辞退の電話をかけた。結果が出るまでの間、色々な事が頭の中を駆け巡り、その中で育った不安がエイジの制御できるレベルを遥かに超えて、エイジをすっぽりと飲み込んでしまったのだろう。

 その気持ちが僕には物凄くよくわかる。

 そして何も言わないけど、トウヤもエイジの気持ちがわかりすぎるくらいわかっていると思う。

 

 しばらくして、僕は重い口を開いた。

「あのさ。サイテーなんだけどさ。僕、今トウヤからエイジが辞退したって聞いて、ちょっと嬉しいって思ってしまった。んで、そんな自分が物凄く許せないし気持ち悪い。反吐が出そう」

 友達の失敗を喜ぶ自分を殺してやりたい。でも『やっぱりアイツも一緒だ。よかった』という安心感が僕の中にあることも否定できない。

 汚い。醜い。気持ち悪い。存在すべてを消し去ってやりたい。


 その時トウヤがポツリと言った。

「タムだけじゃないよ。俺もだ」


 その言葉を聞いた瞬間、今まで死ぬほど嫌いだった心の中の汚い部分を、僕はほんの少しだけ受け入れられたような気がした。


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