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大衆に向けられた言葉しか存在しない世界で

「僕はね、今日……。いや、あと数時間で死んでしまうんですよ」

 月明かりが美しいある日の夜。
 さっき出会ったばかりの彼が僕にそう言った。


「え?」

 何かの聞き間違いかと思った僕が彼の顔をまっすぐに見つめると、彼は出会った時のように、月の光に照らされながら空を仰いだままこう口にした。

「僕の命はね。残り数時間なんです」

 彼は一体何を言っているのだろう。ああ、あれか。人間、死期がすぐそこまで近寄ってくると本能的にそれを察知できるとかいう。でも僕から見た彼はとても健康そうで、死期が迫っている人間のようにはこれっぽっちも感じられない。

 ということは、彼は作られた命?それならば終わりが見えるのも理解できる。
 僕は失礼にならない程度に彼をじっくりと観察してみたが、耳の後ろにはヒューマノイド特有の刻印も、それを消した痕跡も見当たらない。

 ならどうして彼は、今日あと数時間のうちに自分の命が終わるとこんなに確信をもって言い切れるのだろうか。

「どうしてそんなことが分かるんです?僕にはアナタはとても健康そうで、後数時間で死んでしまうようには見えないんですけど」

 そう尋ねる僕の目をまっすぐに見つめながら、彼は答えた。

「どうしてそんなことが分かるかって?実はですね、ちょうど今から一週間前にとある女性にそう言われたんです」

「『そう』とは?」

「『アナタ、今から一週間のうちに死んでしまいますよ』って」

「で、それを信じているんですか?」

「ええ」

「そのほかには何か?」

「いえ。それだけです」

 本当にそれだけなんだろうか。僕は彼の目をまっすぐに見つめ返してみたけれど、嘘をついているようには見えなかった。彼の死を予言した彼女。その女性は予言者?それとも呪術師?もしくは暗殺者か?

「その『彼女』とは、有名なかたなのですか?」

「いえ。知らない人ですが、たぶん普通の一般人だと思います。友人知人、当たれるところ全て聞いてみたんですが、やっぱり普通の人間だと皆口をそろえて言いましたし。それにオンライン上でも、これといった変わった情報は見つけられませんでしたね」

「ということは、その『彼女』は特殊なチカラを持っているわけでも、黒い噂があるというわけでも無いのですね」

「ええ」

 そこまで聞いた僕は、彼に違和感を感じずにはいられなかった。彼の言葉によると、ただの通りすがりの人間によって放たれた「アナタ、今から一週間のうちに死んでしまいますよ」という言葉は確実に彼の命を終わりへと導くらしい。

「だったら彼女の言った『一週間で死んでしまう』という話が嘘である可能性の方が高いんじゃないんですか?普通だったらそう考えるのが当然だと思うのですが。それに、僕はアナタがその彼女のことをどうしてそこまで盲目的に信じられるのか、その根拠がよくわからないのです」

「ああ、それはですね……」

 彼はまた空を仰ぎ、うっとりとした視線を月に向けながらこう言った。


「あれからちょうど一週間。僕はあと数時間で死んでしまうんですよ」



 数時間後、日付が変わると同時に、彼は宣言通りにこの世界から立ち去った。

 自分の活動を止めるほどのチカラを持ちながら、見ず知らずの通りすがりの人間の言葉に己の未来を簡単に託してしまう。個人主義だなんだと言いながら、たとえ誰からのどんな言葉だろうと、自分ただ1人だけに向けられる言葉をそれほどまでに欲しているだなんて。

「人間とは本当に興味深いものですね」

 月の光を浴び、満足そうな彼の亡骸を分解しながら僕は彼に語りかけた。



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