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近所のオッサンとノスタルジー

季節が一気に変わったからか、急に静かになった。

静かになったのはワタシでも子でも家人でもなく、外。
空気が変わったからか、外が物凄く静かだ。

もちろんスーパーへ行けばたくさんの人がいるし、道を歩けば知らない誰かとすれ違う。

だから、我が家だけを残してご近所一帯がどこかへ逃亡してしまったわけでも、世の中が少し落ち着いたからご近所一帯が街へと繰り出していって帰ってこないわけでもないらしい。

ディスピアを妄想するのが大好きなワタシだけど、自分がディストピアにいる姿を想像したことはないので、多分、ワタシはディストピアで生きたいわけでは無いっぽい。

外が平和なのを目にしたことで、この想いは確信へと変わった(←


夏のモヤっとした重苦しさが無くなりカラッとした空気。ふるい落とされる音や運ばれる音の質もかなり変わるんだろうなあ。とこの季節になるといつも思う。

むしろこの季節にしか思わないので、こんなふうにわかった感じでカッコよく何かを言いたくなるのも秋のチカラのひとつなんだろう。


と、それはひとまず置いといて。

最近は部屋の中がとても静かなので、色々な音がまっすぐに耳まで届いてくる。

別の部屋で見ている動画の音や、オンラインで打ち合わせをしている声、そしてご近所のおっさんの「ぶえっくしょぉい!」という豪快なくしゃみの音。


「ぶえっくしょぉい!」

この声の主はご近所のオッサン。ガタイがよく、なかなかにいかつい感じのオッサン。動きはいつもきびきびハキハキしているオッサン。ラグビーとかサッカー等の試合の日にはオッサンの家から「おおぉぉぉぉお!」という声が聞こえてくるので、多分若かりしときは何かスポーツに打ち込んでいたのかもしれない。

THE 体育会系。
まさにそんな感じ。

普段ダラダラ惰性に任せた動きしかしていないワタシは、このオッサンを見かける度に背筋をピンと伸ばしてしまう。

「もっとしっかり生きねばいかんな」
そう思わせてくれるオッサン。

もちろんオッサンには秘密である。


そんなオッサンは、ハキハキきびきびしている上に声がでかい。

どれくらいでかいかと言うと、オッサンの姿が小指の先ほどにしか見えない距離で「おはようございます!」と誰かに挨拶している声が、はっきりくっきりと聞こえてくるくらい(やや誇張)。

「ぶえっくしょぉい!」というくしゃみの声は、挨拶よりも瞬発力があるがゆえに、ヘタすると我が町内全域に響き渡っている可能性が高い(かなり誇張)。


それくらいでかいオッサンの「ぶえっくしょぉい!」

何故か我が家では「平和の音」と呼ばれている。


もちろんこれもオッサンには秘密である。



このくしゃみが聞こえる度に我が家ではこんな会話が繰りひろげられる。

「ぶえっくしょぉい!」
「ああ。平和の音が聞こえるなあ」
「ほんまや。今日も平和や」

英語の教科書で言えば「god bless you!」

その場所にすっぽりとハマる「平和の音が聞こえるなあ」

神と平和。
違和感が無いといえば無いのかもしれない……?

けどなんで、このオッサンのくしゃみが「平和の音」と訳されてしまったのだろう。言い出しっぺの子が god bless you なんて言葉を知っていたとも思えない。なぜだ。なぜなんだ。

そして今まで平和で無かった日などあったとでもいうのか?ワタシはまだ平和な日しか確認したことなどないのだけど。同じ世界を生きているはずなのに。おかしいなぁ。


そんなことを思いながら、ワタシは子が大人になった時に想いを馳せた。


どこかで「ぶえっくしょぉい!」という、この平和の音と似たくしゃみをするオッサンの声を聞くたびに、子はこの子供時代の家の空気を思い出すのだろう。

この家の思い出。

子供時代の思い出。

そのすべてが「ぶえっくしょぉい!」という、よそのオッサンのくしゃみに紐付いてしまっている。


晩御飯の温かな食卓風景も。

一緒にゲームをしている風景すらも。

どこかの知らないオッサンの「ぶえっくしょぉい!」をトリガーとして再生されてしまうのか。



そんな事実に気がついてしまった2021年の秋。


物悲しいのはそう。

秋のせい。


そうに違いない。

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