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夕焼け空をみあげて

 ぼくの住むこの村では、ぼくのおばあちゃんが産まれるずーっと前から

『茜色に染まっている間に空を見上げなくてはいけない』

 という決まりがある。

 おばあちゃんが産まれるずっと前からある「しきたり」なので、もちろんこの村で生まれ育った僕も小さい時から夕焼け空を毎日見上げている。

 だから、夕方になると空を見上げるのは呼吸をするのと同じような感覚であり、ぼくは晴れた日は当たり前のように茜色の空を見上げる。
 数えきれないくらい夕焼け空を眺めているぼくだけど、なんのために夕焼け空を見上げなくてはならないのかはわからない。わからないけど、今まで何度も夕焼けを見上げて「あぁ」と悲しみとも絶望とも取れる声を上げる人を何回か見かけたことがある。

 最近では、先週ぼくの横で夕焼けを見上げていた隣のおじさんが夕焼けに反応していた。肩を落として寂しそうに「そうか」とひとこと呟いた後、おじさんは家に入ってガサガサと何かを片付け始めた。そして、1週間後にこの村から旅立って行ってしまった。
 隣のおじさんと見たあの日の夕焼け空も、ぼくにとっては何の変哲もない何度も見上げたいつもどおりの夕焼けだったのに。おじさんの目には何が映っていたんだろう?

 その前は、村の真ん中あたりで夕焼けを見上げた時。
 隣で座っていた村の端っこの方に住んでいるお姉さんが「えっ」と小さな声を上げて驚いていたのをぼくは聞き逃さなかった。このお姉さんも隣のおじさんと同じように1週間たった頃、村から度に出て行ってしまった。
 この日の夕焼け空も、ぼくにとっては何の変哲もない何度も見上げたいつもどおりの夕焼けだったのに。お姉さんの目には何が映っていたんだろう?

 夕焼け空に何が見えるのか気になったぼくは一度おばあちゃんに聞いてみたことがある。
「おばあちゃん」
「ん?なんだい?」
「夕焼け空に何かが見える人は、いったい何が見えているんだろう?」
「さぁねぇ」
「おばあちゃんは見たことある?」
 おばあちゃんは静かにゆっくりと首を横に振った後、しばらく少し遠くを見ていたのでぼくはそれ以上何も言えなくなって、一緒におばあちゃんの見ている方をじっと眺めていた。

 それから何カ月たったころ、いつも通り夕焼け空を見上げているとおばあちゃんが小さな声で「ほぅ」というのが聞こえた。
「おばあちゃん、夕焼け空に何か見えたの?」
 ぼくが心配そうな顔で聞くと、おばあちゃんはぼくの横にしゃがみ込み
「夜ご飯が終わったら教えてあげるよ……」
 と、ぼくの耳元で小さな声で囁いた。

 夕飯の後、おばあちゃんはぼくを一番奥の部屋に連れて行くとぴっちりとドアを閉めた後、窓は雨戸を閉めたにも関わらずカーテンをきっちりと閉め、ぼくに部屋の真ん中に座るようにと言った。そんなに周りを警戒しなくてはならないことが夕焼け空に見えていたんだろうか?
 この日の夕焼け空も、ぼくにとっては何の変哲もない何度も見上げたいつもどおりの夕焼けだったのに。おばあちゃんの目には何が映っていたんだろう?

 ぼくは不安な気持ちよりも何が見えたのかがとても気になったので、おばあちゃんに言われたとおり部屋の真ん中にちょこんと正座をしておばあちゃんの話を待つことにした。

 コトリとも物音がしない静かな部屋の中で、おばあちゃんはどんな小さな音でも聞き逃さないぞというような顔をしながら、部屋の外の何かの気配を探っていた。しばらくして、誰もいないことを確認できたらしいおばあちゃんはぼくの横に小さな椅子を持ってくるとチョコンと座り、ぼくに向かって残念そうにこう言った。

「『お前をいけにえに差し出せ』と夕焼け空に書かれていたんだよ……」

 生贄?おばあちゃんは一体何を言っているんだろう?
「それってどういうこと?」
「どういうことも……。変われるものなら変わってやりたいよ……。でも、夕焼け空にはしっかりとそう書かれていたのさ……。なんと言う事だろう……」
 涙目で僕を見ながらおばあちゃんは何度も何度も「変わってやれるもんなら変わってやりたい」と繰り返し呟いた。

 そうなのか。夕焼け空には生贄になる人の名前が書かれていたのか……。

「あぁ……。本当に……。変われるものなら……」
 ぼくの頭を何度も何度もなでながら、何度も何度も同じようにおばあちゃんは繰り返す。
「おばあちゃん、今までの人たちも同じだったのかな……?」
 おばあちゃんに向かってぼくは聞いてみた。
「あぁ、そうだろうねぇ……。今からちょうど一週間後に村のはずれにある山の祠まで行かなくてはいけないそうだよ……。みんなそこに行ったんだろうねぇ……」
「そっか……」
 夕焼け空がそう言うということは、そう言う事なんだろう。ぼくが行かなかったら村が大変なことに巻き込まれてしまうんだろう。あぁ。仕方がない……。
「おばあちゃん。ぼく行くことにするよ」
「あぁ……」
おばあちゃんは何度も何度もぼくの頭をなでながら「変わってやれるものなら……」とつぶやき続けた。

 旅立ちの日、ぼく一人ではまだ山の祠までたどり着ける自信がなかったので、ぼくはおばあちゃんに無理を言って途中まで一緒に来てもらうことにした。おばあちゃんは「そうだね。まだ小さいんだもんなぁ」とうるんだ眼をしながらぼくに付き添ってくれることになった。

 道中、おばあちゃんは今まであんまりしてくれなかったぼくのお父さんとお母さんの話をたくさんしてくれた。おばあちゃんの息子であるぼくのお父さんは小さい時とても木登りが大好きだったことや、お母さんとは小さいときからの幼馴染だったこと。お母さんは料理は得意だったけど、お掃除がびっくりするくらい下手くそだったこと。そしてぼくには一つ違いの妹がいたこと。

 妹がいたのは初めて聞いたことだったので、ぼくはちょっとだけびっくりした。妹はほんとうに小さい時に不慮の事故で亡くなってしまったらしい。
 妹。ぼくの妹。妹……?

「妹と一緒にもっと遊びたかったなぁ……」とぼくが言うと、おばあちゃんは「そうだよねぇ……。ほんとうに……」とさらに涙目になってぼくから目をそらした。ぼくが可哀そう過ぎて見てられなかったんだろう。

 そうこうしているうちに、祠の前までやってきた。
「おばあちゃん、ありがとう」
「ありがとうはこっちのセリフだよ……。本当にありがとう……」
 おばあちゃんがぼくに向かって両手を合わせて頭を下げた。


 その瞬間、祠を囲むように立っていた木の陰から一斉に10人くらいの村のお兄ちゃんやおじちゃんたちが飛び出してきて、おばあちゃんを取り囲むと縄で動けないようにがっちりと縛ってしまった。

「な……何をするんじゃ!!」
 おばあちゃんは今までとは打って変わって目をひん剥いて村の男衆をにらみつけた。

「何をするって?ばあさんこそ何をする気だったんだ?」
「な……何って、小さくてここまでの道のりが判らないかもしれない子供の付き添いでここまで送ってきただけじゃ!」
「へぇ。送ってきた……ねぇ」
 お兄さんがおばあちゃんに向かってものすごく怖い顔をしながら近寄って行った。

「ばあさん、今回も逃げる気か?」
「逃げるとはなんじゃ!聞き捨てならんぞ!」
「はぁ?何を正義ぶってるんだ?」
「正義もなにも、夕焼けのお告げどおりにこの子をここに連れてきただけで、どうしてそんなことを言われなくてはならんのじゃ?!」
 おばあちゃんは目を吊り上げて鬼の様な顔をしながら唾を飛ばしてお兄さんに食って掛かって行ったけど、縄でぐるぐる巻きにされているのでその場にべったりと倒れてしまった。
 それでもおばあちゃんは周りをぐるりと取り囲んでいる男衆をにらみつけながら「お前らただじゃ済まんぞ。お告げに逆らうものには罰が当たるんだからな!」と絵本に出てくる鬼婆みたいな顔をしながらまだ叫び続けている。

 そんな中、おじちゃんが一人ゆっくりとおばあちゃんに向かって話しかけた。

「ばあさん、夕焼けはなんて言っていたんだい?」

 そのおじちゃんの方を見ながらおばあちゃんは
「その子を一週間後に祠に連れて来いってあったに決まってるだろ!」
 と叫ぶようにそう言った。

「へぇ~。それはおかしいなぁ」
 おじちゃんは真顔でおばあちゃんに話しかける。

「あの夕焼けは生贄本人にお告げが下るはずなんだけどなぁ」

 おばあちゃんはそれを聞くと、少し笑って
「そんなこと誰が決めたんだい?」
 と平然とした口調で言い返した。

「誰もかれも、昔っからそう決まってるんだよ」
 とおじちゃんが言い返すと
「見たことが無いヤツが適当な事を言ってるんじゃないよ!」
 とおばあちゃんが勝ち誇ったようにそう言った。

「いや、これはそう決まっていることなんだよ。その決まりを破ったのはばあさん、この村始まって以来アンタ一人だけだけどな」
「……」
「ばあさん、この決まりを始めて破ったのはオマエさんの息子が初めてなのもわかってるんだよ」
「え?お父さん?」
「そうだよ、お前のお父さんはおばあちゃんが夕焼けを見て驚いた一週間後に祠に旅立ったんだ……」
「……」
「その次はお嫁さんだったなぁ。産まれたばっかりのこの子の妹を置いていくのはさぞかし無念だったろうなぁ。えぇ?ばあさんよ?」
「お母……さん……?!」
「わしは知らん!そもそもお告げを破ったら村に災いがもたらせるはずじゃろうが!」
「いや、ばあさんの息子が代わりに祠に行った後、村に災いは起こらなかった。だからばあさん、あんたは次のお告げを見たときにお嫁さんをそそのかして代わりに行ってもらったんだろ?」
「…… くっ」
「で、その次はその妹か。まだ赤ちゃんだったのに可哀そうに。この子より手がかかるから先に手放したいと思っていたんだろ?あの時、ばあさんが祠を見に行ったのは知っていたけど、まさかこの子の妹を代わりに置いてくるとはなぁ。ばあさんの言う事を信じるなら、妹はその後すぐに病気で死んじまったんだったっけか?」
「い……妹……?」
「で、今度はこの子かい。ばあさん、お前は人間じゃないね」

「……に……悪い……」
 伏せていた顔を持ち上げながらおばあちゃんはこの世のモノとは思えないような顔をしながら吠えた。

「何が悪いというんじゃ!親のために子が犠牲になる。そんな当たり前のことがお前らにはわからんのかぁ!」

「子供が親の役に立ちたいと思う気持ちは本物だろうがぁぁぁっぁ。お前らにはその当たり前の気持ちが無いとでもいうのか!この親不幸ものがぁ!!親のためなら命を捨てても本望じゃろうが!!今まで育ててもらった恩を返すのが当然の道理だろうがぁぁっぁぁぁ」
 おばあちゃんは髪を振り乱しながらそう叫んだ。

 そしてその後おばあちゃんはぼくに向き直り
「お前もおばあちゃんの役に立ちたいだろ?おばあちゃんの喜ぶ顔が見たいだろ?だからその役割をわざわざ回してやったんだよ。さぁ、みんなにそう言っておやり。おばあちゃんの幸せがぼくの幸せなんだ!って」
 とニコニコしながらそう言った。

「ボウズ!そんな言葉を信じるな!」
「……でも……お父さんもお母さんも……」
「そうじゃそうじゃ、お前もこのばあちゃんの命を救えるなんてこんなうれしいことはないじゃろ?」
「……」
 ぼくが「そうかもしれない……」とつぶやこうとしたとき、隣にいたお兄ちゃんがぼくの肩をつかんでこう言った。
「ぼく。そうじゃないよ……。子供が親を想う気持ちは物凄く強い。それはほんとうだ。親が笑ってくれるなら子供はどんなにつらくても笑ってあげられるくらい強いんだ。でもね、だからって親が望むように自分を歪んだ型に押し込めて、涙をこらえて笑い続ける必要は無いんだよ」
「でも……」
「言われたとおりに振舞ってあげるのは、一見優しいかもしれない。でも、その優しさに甘えてしまったらそこから動けなくなってしまうんだ。動けなくなるだけでなく、その人にとって本当に大切なものが壊れて取り返しが付かなくなってしまうまで、その間違った行動を止める機会を失ってしまうんだよ」
「……」
「君は失ってもう取り返しがつかないようになってしまってから真実を告げられるのと、まだ引き返せるうちに教えてもらえること。どっちが本当にその人のためになると思う?」
「それは……」
「今可哀そうだから。今助けてあげられる。それは勇気のいることだけど、その人の人生は今で終わるわけじゃないんだよ。これから先もずっと続いていく。その道の先で、大切な人にどうあって欲しいと思う?」
「……」
「それに親の役に立ちたいという気持ちと、自分をすべて親のためにささげるというのは本当のところでは同じじゃないんだよ。親って言うのはね、本当は自分がいなくなった後、子供が一人でもやっていけるようにしてあげるのが本当の仕事なんだ。でも、そこを間違って『今』子供を助けてあげなくては!しか見えないことも多いんだ。そしてそれを続けていくと、『いつまでたっても親がいないと何も出来ない子供』になってしまって、ますます子供は私がいないと何もできないからやってやらないと!という悪循環になってしまうんだよ」

「親がいないと何も出来ない子供なら、親の役に立つことが一番の幸せだろうがぁぁぁぁぁ」
「……」

「君のおばあちゃんもそうなんだろうね。だから子供よりも先に逝くわけにはいかないんだ……。それにね。君が壊れてしまったら、居なくなってしまったら、おばあちゃんを助けてあげることはもう出来なくなってしまうんだよ」

 ぼくはお兄さんの言ってることが何となくだけどわかるような気がした。ぼくはおばあちゃんが笑ってくれるなら何でもしようとさっきまで思っていた。でも、ぼくのこの優しさは、おばあちゃんにとって本当の優しさにはならないんだろうという事が。

「お兄さん。ぼくは村に帰りたい」
「……。わかった。僕の家においで」
「お前!何を吹き込んだ!!?おばあちゃんの幸せはお前の幸せだろぅ?」
 ひきつった笑顔でぼくをみるおばあちゃんの目を見てぼくは「ごめんね」とつぶやいてお兄さんと一緒に村に帰った。

 その後、おばあちゃんは村のおじさんやお兄ちゃんたちに祠の中まで運ばれて置いてこられたらしい。村に災いが起こっていないので、おばあちゃんはちゃんと生贄になれたんだろう。

 お父さんが祠に行って以来、頻繁に誰かを選び続けていた夕焼けは、おばあちゃんがいなくなってからはお告げを告げることは無くなった。

 しかし、それからもずっとこの村では晴れた日は夕焼けを眺める風習が続いている。


 今日もぼくは茜色に染まった空を見上げた。

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