ヒ ト
あの日、柔らかい木漏れ日が差し込む森を散歩していたぼくは、川のほとりにひとりの女の人が立っているのを見つけた。彼女は腰まである真っ直ぐな長い黒い髪を風にサラサラとなびかせながら、思い詰めたような顔をしながらじっと川面を見つめている。
ぼくは彼女を一目見た瞬間カミナリに打たれたような衝撃を感じ、そして見事に恋に落ちてしまった。
一目惚れだ。
「あの、突然失礼ですが何かお困りではありませんか?」
ぼくはドキドキしながら右手を差し出しつつ彼女に話しかけた。
「あ…。ちょっと考え事をしていただけなんです…」
彼女も右手を差し出しながら、ぼくの顔をまっすぐに見ながらそう答える。
昔は人型の生き物は人間しか存在していなかったが、今この世界では人型をしているからと言って人間とは限らない。ヒューマノイドロボットにAIを搭載した、見た目も行動も人と変わらない道具たちが町には溢れかえっている。
動きも思考パターンも人間と変わらない。むしろ、人間よりも人間らしいくせに、不平不満を言わないヒューマノイド達はもう社会には無くてはならない存在だ。
しかし、人間はヒューマノイド達が不平不満を言わないからと言って、不満を持っていないとは考えない。いつかこの世界に一番必要のないものとして人間を排除しようと思っているはずだと思っているので「決して油断してはならない」と、その根拠について小さな頃から念入りに教育される。
もちろんその授業にはヒューマノイド達は出席することはなく、その時間ヒューマノイドはヒューマノイドだけで人類についての授業を受けているらしい。
ぼくは人間なので、ヒューマノイドがどういった教育を受けているのかはよくわからない。
基本的に同じように生活していくぼく達と彼等ではあるが、身分階級とまではいかないがそれなりに区別はある。なので挨拶をする際、身体の一部分を触れ合わせてお互いの確認をするのが社会常識である。
なぜならヒューマノイド達はぼくら人間とは違い、体温を持っていないから。
(暖かい…)
彼女と握手を交わした際、彼女の手からぬくもりが感じられたのでぼくは物凄く嬉しくなってしまった。もし彼女がヒューマノイドなら、この恋はどれだけ燃え上がろうとも無かったことにしなくてはいけなかったのだ。
そんなぼくの心がバレてしまったかのように、彼女の頬にさっと赤みがさした。
「あ、ごめんなさい」
ぼくは慌てて握っていた手を離すと彼女にぎこちなく笑顔を向けた。もちろんぼくの顔も秋の紅葉のように真っ赤になっているに違いない。
「ぼくでよければお話聞きますよ?あ、無理にとは言いません。もしよければなんですけど…」
彼女と少しでも長く一緒に居たいぼくは、彼女が「考え事をしていた」と発した言葉からこう提案してみた。
「あ。えぇ。考え事の方は、もう答えが出たので大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
にっこりとほほ笑みながら、彼女はぼくにそう答えた。
しかし、ここで彼女と別れてしまったらもう二度と会えないかもしれない。焦ったぼくはさらに顔を真っ赤にしながら、普段なら絶対に口にしないであろう言葉を思わず口から出してしまった。
「もう少しだけでもお話できませんか?あなたのことを知りたいんです」
川の流れる音だけしか聞こえない。なんとも気まずい空気がしばらく流れる。
森全体を包み込む暖かい空気は、半径1メートルには近付けないかのようにサッと一瞬で僕から距離をとり、僕の背中には冷たい汗がつーっと流れ始めた。ここから逃げ出したい。そう思い始めた時、彼女が口を開いた。
「私のことですか?別にそんなに面白いことなんてありませんよ」
初対面のくせにヘタをすればストーカーにでもなりそうな、そんなぼくの前のめりすぎる告白めいた言葉を聞いても彼女は引くことなく。はにかんだような笑顔でそう言った。
その答えを聞いた瞬間、ぼくの周りには暖かい空気が舞い戻ってきた。
それから日が暮れるまでぼくは彼女と沢山のことを話した。好きなもの、嫌いなもの、興味があるもの、今までのこと、これからのこと…
話せば話すほど、ぼくは彼女に惹かれて行った。会話の端々に感じられる彼女のとてつもなく優しい気持ちだけでなく、笑顔も声も仕草も何もかも。今まで出会った誰よりも愛おしい。ぼくは彼女を手放したくない。ぼくのものにしたい。それに、話をしているうちに彼女もぼくに好意を抱いてくれていることが伝わってきた。
もうぼくの気持ちは止まらない。
「あの」
「はい、なんでしょう?」
意を決したぼくは彼女に切り出した。
「ぼくはあなたのことが大好きです。ずっと一緒に居たいと思っています。出会ってまだそれほど時間は経っていませんが、この気持ちは本物だと思います。愛しています。結婚してくれませんか?」
昔とは違い、今は結婚は当人同士の意志があればその場ですぐに出来るようなシステムになっている。
もちろん人間同士、ヒューマノイド同士の婚姻関係しか認められてはいないが、人間がヒューマノイドと結婚したいだなんて、世界がひっくり返っても考えないようなことなので、それは至極当然なことだし、あえて明言するようなことではない。
ぼくの言葉を聞いた彼女はしばらくの間うつむいていたが、風がさぁっと彼女の髪の毛をなびかせたその時、小さく小さく頷いたのが見えた。
「ほんとうに?!」
俯いたままさっきより大きくこくんと頷いた彼女を見て、ぼくの胸は喜びで張り裂けそうになった。
あぁ、彼女とずっと一緒に居られる!これから彼女はぼくのモノだ!!!
ぼくは彼女のことをぎゅっと抱きしめた。
少しだけ身を固くした彼女を腕の中に感じながら、ぼくはあることに気が付いた。
彼女に体温が無い
その瞬間、ぼくは思いっきり彼女を突き飛ばした。
「ヒューマノイドのくせに人間様をたぶらかそうとしやがったな!!!」
そんなことをしてもヒューマノイドは事切れないとわかってはいるものの、怒りを抑えきれないぼくは彼女の顔を水底に押し付けた。
水の中に沈んだアイツの頭の上に足を乗せると、何度も何度も川底にむかって踏み付ける。
「ハアッ……ハアッ……立場を思い知れって言うんだよ…」
気が済むまでアイツを踏んだり蹴ったりした後、ぼくはペッと唾を吐き捨てその場を立ち去った。
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