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危機管理としての医療・・・考えながら書く:1月13日

 日本における福祉とは、社会保険、公的扶助、社会福祉、公衆衛生及び医療、老人保健という5部門から構成されている(Wiki)。つまり、日本では、医療は「福祉」として提供されていることになる。財政的には多くの課題があるにせよ、国民皆保険があり、3割負担で予約をせずとも病院にかかれるというのは、我々は世界に誇れる医療福祉制度を持っていると言える。

 ところが、今回のコロナ禍では一日の新規感染者が1,000名を超えたあたりから「医療崩壊」の危機が真剣に叫ばれ始めた。無論、多くの医師・医療関係者が献身的な努力をしてくれていることは十分理解しているが、我々が頼りにしていた日本の医療というのはそれほど脆弱なものなのか、という単純な疑問をもった。

8割は民間医療機関

 同様の疑問を持った方は多いようで、1月8日に2度めの緊急事態宣言が発出された前後に関連する多くの記事を見つけた。それらによれば、日本では公的な医療機関は全体の2割であり、8割は民間であること、現在コロナ対応に献身的に努力してくれているのは、保健所並びにこの2割と一部の民間医療機関、であり、残りの多くの民間医療機関はこの戦いに参戦していない。更に、政府・自治体は、民間医療機関に何か指示・命令する法的権限はなく、あくまで「お願い」をするだけ、だそうだ。

 つまり、「平時の福祉」としてしか日本の医療は考えられていない、ことが判ったのである。原因不明の新型コロナウイルスの感染拡大という「有事」に直面したため、有事の想定の乏しい日本の医療は崩壊の危機に陥りそうだ、ということだろう。

有事の医療とは何なのか?

 まさに国家の「危機管理」において機能するのが有事の医療である。例えば、現時点でワクチンを開発出来たのは、イギリス、アメリカ、ロシア、中国である。これらの国々が競ってワクチン開発に乗り出したのは、国産ワクチンを保有すること自体が国の安全保障に直結するからに他ならない。昨年3月、アメリカ海軍の原子力空母「セオドア・ルーズベルト」が、太平洋を航行中に1200人以上の乗組員が新型コロナウイルスに集団感染し、このうち1人が死亡した。このような事態が拡大すれば、アメリカ軍の戦力は弱体化し、世界の軍事バランスが大きく傾くことになりかねない。モデルナのワクチン開発にはDARPA(アメリカ国防高等計画局)の支援があるという。

 1年前の中国武漢では、臨時の病院が建設され、国中から共産党の命令の元に医療関係者が集められた。まさに「危機管理」そのものであった。民主主義の国には、共産主義国家と同じことは出来ないし、やるべきでもないが、危機管理としてなすべきことを民主主義の範囲で考えるときの参考にはなる。それは、必要な時に「お願い」以上のことを出来るようにする法的整備だろう。

イスラエルの医療体制

 イスラエルも日本同様国民皆保険が実現されている。イスラエルには4つのHMO(Health Maintenance Organization)がある。Clalit、Mccabi、Meuhedet、Leumitである。これらは非営利の組織で、日本の健康保険組合と同様の機能を持つと同時に、傘下に病院をかかえて運営するとともに、医師、スタッフの雇用もHMOが行う。HMO傘下以外の病院もあるようだが、大半はこの形になる。国民はこのどれかを選択し、加入すると、法で定められた医療サービスを受けることが出来る。運営資金は国から出るので、上記の議論で言えば公営である。最大のHMOであるClalitの場合、14病院、1200クリニック、3万人以上の医療スタッフを抱えて、約半数の国民にサービスを提供しているそうだ。

 このHMOを中心にしてイスラエルでは20年以上前からディジタルヘルスの取り組みがなされてきた。患者の医療情報は電子カルテとして蓄積され、専用の通信インフラ経由で病院・クリニック間で共有される。どの病院に行っても、自分のカルテを元に治療が受けられるため、地域格差はない。このデータは研究開発組織にも共有され、新薬開発や新技術開発に生かされる。

 ノウハウの共有、遠隔医療、だけではなく、HMOが集中して運営しているので、原理的には病院間のリソース配分の見直しも可能である。「お願い」ではなく、戦略的なマネジメントが出来るのだ。

 日本でも、「福祉」の視点だけではなく、「危機管理」の視点で医療制度を再構築することが必要ではないか? 今回のコロナ禍を奇貨として、社会保険と医療とを切り離して考えるような、抜本的見直し議論がなされることを期待したい。

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