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テロ攻撃を受けたイスラエルが批判に晒されるのは何故だろうか(1)

ハマスによるイスラエルへのテロ攻撃が起きた10月7日以降、200人以上の人質誘拐と1000人を超える一般人殺害というその被害の大きさや凄惨さもあって、当初はイスラエルの自衛権に関する支持が国際社会で拡がっていた。
しかし、イスラエルがガザ地区を封鎖し、地上侵攻に備えはじめたあたりから、ガザの人々の窮状が報道されるにつれ、ガザへの人道支援の声やイスラエルの国際法違反の声が特にTV等の日本のマスメディアで大きくなってきた。国連のグテレス事務総長は24日の安全保障理事会で、パレスチナ自治区ガザの人道危機を巡って「(イスラエル軍の攻撃は)明白な国際人道法違反だ」との認識を示した。「イスラム組織ハマスによる攻撃は何もないところから突然起きたわけではない」とも発言した。
テロとの戦いである”イスラエルvsハマス”の戦争が、いつの間にか”イスラエルvsパレスチナ”の対立と表現され、ガザ地区のパレスチナ人被害の大きさに焦点があたることで、元々の被害者であるイスラエルが非難されることが多くなった。そのほとんどが「ハマスによる攻撃を正当化することはできないが、」という前置きをつけ、しかも、今も続くハマスの攻撃には触れること無く、イスラエルによるガザ攻撃だけを非難する。何故か?
時々に感じる疑問点・違和感を、同時代の証人として自らの理解のためにも整理してゆく。

パレスチナ難民を生み出したのはイスラエルなのか?

”イスラエルの建国によりそれまでその地に住んでいたパレスチナ人が故郷を追われて難民となった” ”戦争と共にイスラエルが支配領域を拡大し、入植活動によりパレスチナ人の住める領域はどんどん縮小してきた”という視点がパレスチナ擁護イスラエル批判の原点だろう。

特定非営利活動法人(認定NPO)パレスチナ子どものキャンペーン(CCP Japan)はこの図で「パレスチナ人の領域が縮小している」ことを解説している。

そこには意図的に誤読させる要素が含まれる。この図を左から右へ見れば、パレスチナ表記のオレンジ色の地域はパレスチナ人の住んでいた(住んでいる)地域で、以前は現在のイスラエル+パレスチナ自治区全体、それが僅かな地域に追いやられて行った、と読み取れるだろう。CCPJapanのサイトでも、「面積は第二次世界大戦終結以前のものから、国連の分割決議案、中東戦争を経て大幅に縮小しました」と解説している。
パレスチナとは現在のイスラエル、パレスチナ自治区に加えて、ヨルダン、シリア、レバノンの一部を含む地域を指す名称である。上図左1946年のオレンジ色より広い地域をパレスチナと称した。かつてこのあたりに住んでいたペリシテ人に由来する。実際パレスチナにはアラブ人もユダヤ人も住んでいた。無論アラブ人の人口のほうが多かったはずであるが、この地域の大半が人の住まない不毛の地であった。即ち、左端の図のように当該領域全体にパレスチナ人だけが住んでいたわけではない。
47年に国連総会でパレスチナをアラブ人国家、ユダヤ人国家、国際管理下に置くエルサレム市の3つに分割する決議が採択された。国連が定めるパレスチナ難民は、「1946年6月1日から1948年5月15日の間にパレスチナに住んでおり、その家と生計を失った者とその子孫」である。当時家を追われた人が70万人以上と言われるが、2021年現在でUNRWA登録難民総数は639万人である。この数字への疑問もあるが、何故彼らは家を追われたのか?一般的にはイスラエル建国に伴い、故郷を失って周辺諸国に逃れた、と説明される。これも正確ではない。イスラエルは国連の分割案に従い建国をしたが、アラブ側はこれを拒否し、イスラエルに攻撃を仕掛けた。彼らは宗教の教えとしてユダヤ人の存在を認めないため、分割案を認めるとユダヤ人の存在を認めたことになる。当然、土地を奪われ他国が造られたことへの反発もあるだろう。この戦争でイスラエル軍に追い出された人も居るが、自主的に疎開・避難した人もいた。仮にアラブ側も国連分割決議を受け入れていれば、或いはイスラエルに攻撃を仕掛けなければ、難民問題は生まれなかったと言えるだろう。
「中東戦争を経て大幅に縮小した」という点も、1次から4次全ての中東戦争は、イスラエルが領土拡大のために仕掛けたわけではなく、全てアラブが前述の教義に基づいて仕掛けてきた戦争であり結果アラブ側が負け続けた点を忘れてはならない。第三国の調停による停戦協定の結果毎回地図が塗り替えられたのであり、アラブ側が戦争を仕掛けなければ、地図は変わらなかったはずである。イスラエルの建国がパレスチナ難民を生み出しそのテリトリーを縮小させたのではなく、国連の分割決議と戦争を仕掛けたアラブ人自身であると言うべきだろう。

イスラエルは占領、入植という国際法違反をしているのか?

24日の国連安保理でも、グテレス氏は冒頭「パレスチナの人々は56年間、息苦しい占領下に置かれてきた」と述べた。イスラエル批判のもう一つの論点はこの「占領、入植という国際法違反」だろう。

①西岸地区について
外務省のWEBページによれば、
(1)1947年国連総会はパレスチナをアラブ国家とユダヤ国家に分裂する決議を採択。イスラエルは1948年独立を宣言、1967年第三次中東戦争によりイスラエルが西岸・ガザを占領。
(2)1993年のオスロ合意等に基づき、1995年からパレスチナ自治政府(PA)が西岸及びガザで自治を実施。
前述のとおり、国連の分割案はアラブ側が拒否し、独立宣言をしたイスラエルをその翌日に攻撃した。この第一次中東戦争でヨルダンが西岸地区を侵略、自国領とした。国際社会は承認しなかったもののヨルダンによる西岸地区実効支配が続いた。1967年の第三次中東戦争でイスラエルはヨルダンからの攻撃を受け、反撃した結果として西岸地区を事実上占領する。
1993年のオスロ合意では
・イスラエルを国家として、PLOをパレスチナの自治政府として相互に承認する。
・イスラエルが占領した地域から暫定的に撤退し、5年にわたって自治政府による自治を認める。その5年の間に今後の詳細を協議する。
の2点が合意された。現在でもパレスチナ自治政府が西岸を統治しているが、現実には3つの領域に区分されている。
A地区:行政権、警察権をパレスチナ自治政府が保有(17%)
B地区:行政権はパレスチナ自治政府が、警察権をイスラエル政府が握る(18%)
C地区:主に入植地であり、行政権、警察権ともにイスラエル政府が握る(65%)
特に西岸のC地区については入植者を守るためのイスラエルの行政権・警察権であり、占領地への入植はジュネーヴ第四条約第49条に違反する行為である。しかし、それ以前のヨルダンによる占領も国際的には認められていないので、当該地域は「係争中の地域」であり、占領地への条項を適用することにも議論がありそうだ。いずれにせよ、法的な解釈はともかく、西岸地区殆どの領域がイスラエルの管理下にある「事実上の占領」とは言えるだろう。そして、入植活動を続けてきた事実は批判されてもやむを得ないと考える。

②ガザ地区

ガザ地区も本来パレスチナ自治政府の管理下であったが、2007年以降パレスチナ自治政府と対立するハマスが実効支配しており、パレスチナ自治政府の力は及ばない。イスラエルの支配下にあるわけではないのでこちらは法的には「占領」ではない。但し、ハマスはガザ地区内から度々イスラエル領内にロケット弾で攻撃を仕掛けてきており、自衛のためイスラエルは境界線を厳しく管理している。ガザ地区からイスラエル側へ通行出来るのは許可証を得た限られた者だけである。更に、2005年以降はシャロン政権が全ての入植者を撤退させたため、西岸地区と異なり入植地もない。即ち、「占領」ではなく「封鎖」という状態であると言えるだろう。ガザ地区を「封鎖」しているのはイスラエルだけではない。地続きで同じアラブ人の国エジプトも封鎖している。その理由は明確であり、ハマスというテロリストの国内侵入を防ぐ為である。テロ防止のための境界線封鎖は自衛権の行使であり、国際法違反とは言えないだろう。

③現実のパレスチナ人の生活との矛盾

入植地もあり、事実上の占領状態で「国際法違反」と言える西岸地区のほうが、そこに住むパレスチナ人の生活水準は高い。自治区内に大学もあり、イスラエルとの通行も比較的自由度が高い。過去には西岸地区からの自爆テロ攻撃などもあったが、現在は落ち着いている。
一方で、テロリストの拠点となっているガザ地区は、法的には境界線封鎖状態を「国際法違反」とは言い難いが、中に住むパレスチナ人の人々は、UNRWAによる教育、医療、食料などの援助がなければ生活出来ない難民が多い。
イスラエルへの批判は、西岸地区における入植という国際法違反と、ガザ地区における難民生活、という別の事象を組み合わせたものになっている。

2023年10月26日



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