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無料読み放題の時代

申し訳ないが今の時代に、私が中学生、高校生でなくて良かった、とつくづく思っている。コロナによっていつ学校が始まるのか受験はどうなるのかという不安、学校行事削減やインターハイ中止などはもちろん可哀想だがそういった話ではない。

マンガを無料で読めるサイト、アプリが大量にあることについて、私は今の学生でなくてよかったと思うのだ。

違法なものではなく、公式が出しているものでさえ、無料で公開されているものが溢れかえっている。

私はピッコマという1日待てば0円のアプリを使う頻度が高いが、最近はそこで『ミナミの帝王』や『静かなるドン』を読んでいる。どちらも私が生まれる前に連載開始し、今も続いている名作である。しかし30年前後続いてるこれらのマンガを今まで読んだことがなかった。これは勿体ないと思っていたところに、アプリで無料で読めるときたからには、手軽に検索して読み始め、毎日の楽しみとなっている。

人情物でもあり、笑いもあり、経済、愛、金、学びの多いこれらの作品を読めるのは嬉しいことだが、ふと、これが10年前に手に入っていたらどうだろうかと考える。


中学高校と私には時間があった。通学時間である。

特に中1の頃はバスを乗り継いで片道1時間半の道のりを毎日通っていたので、それはもう時間に溢れていた。そこで私が使ったのが学校の図書館であった。はじめに手に取ったのはマンガのギリシャ神話。1日2巻ずつ読み進め、2週間程度で読破した。

次に外国のファンタジー、日本人作家を「あ行」から順に、と読み続け、フィンランド語の入門書や落窪物語などの古典文学も借りて読んでいた。高校生の時には学校で一番本を読んだ人として賞をもらったこともある。賞をもらったことはどうでも良いのだが、あの読書量がなければ確実に今の私はいない。

ギリシャ神話という様々な題材に使われる常識を持たず、伊坂幸太郎も恩田陸も知らず、フィンランド語で「これはドボルザークです」を何と言うのか知らず、大学で国語科、源氏ゼミに入らず、今の友人も妻も何もかもが今の私とは全く違っていただろう。


しかし10年前、15年前にスマホがあり、無料でマンガを読める環境があったなら、私は行きも帰りも手当たり次第にマンガを読み、本当に今の私とは違う存在になっていたと思う。

今、こんな環境でも負けずに勉強に取り組める人、読書をする人、自分を磨き続ける人は素晴らしい。ぜひそのまま突き進んで行くと良い。

マンガを読んでいる人、YouTubeを見ている人、その他娯楽に時間を費やしている人、それもまた生き方だと思う。私もほとんど仕事か育児が遊びかの三択になっている。しかしいつか元の生活に戻った時、課題と向き合わなくてはいけなくなった時、目標ができた時、「何であの時がんばらなかったんだ!」と思うことは明白である。

「今頑張れば一生頑張れるかもしれない」「いつやるか、今でしょ」「今こそ出発点」予備校講師、お寺の和尚さん、色んな人たちが今努力する必要性を訴え続けてきたし、私もこのnoteで度々書いている。学び方の幅も広がっていることをプラスに捉え、利用できる人がこの先勝っていく人なのだろう。

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