肺気胸になったときのこと①
19歳と20歳の2回、私は肺気胸で入院しています。若い男性に多く、30人に一人がなるとも言われるこの病気。有名人では嵐の相葉さんや、ナインティナインの矢部さんがなっています。
肺に弱い部分があり、それが破れることで空気が漏れ出し、呼吸ができなくなるのが症状で、命に関わる可能性もあります。根本的な原因は不明で、今も私は時折胸部の痛みを感じる度に、穴が空いたか!?とドキッとし続けています。
大学2年生の冬。自転車で大学から帰っていた私は胸の痛みを感じていました。が、お腹が空きすぎている為ではないか?と友人と約束していた焼肉に行きました。食べていると楽になり、やはり空腹によるものだったと安心し、カラオケに向かいました。いつものように楽しく歌い、2時間が経った頃異変に気付きました。息がほとんど吸えないのです。
自分の生命を維持できる最低限の呼吸しかできず、焦りながら「息 できない」で検索。肺気胸がすぐにヒットし、直ちに死ぬ病気ではないと判断。夜中だし、明日無事に目が覚めたら病院に行こう、できれば起きたら治ってるといいな、などと楽観的に就寝しました。ちゃんと起きることはできましたが残念ながら夢ではなく呼吸は浅いまま。最寄りの中規模な病院に行き、診察を受けました。
即「気胸だね。今手術します。そのあと入院」との診断。
手術も入院も初めてだったので焦りましたが直ぐに「ベッドに寝て〜。麻酔するよ〜」と止める間も無く手際よく進んでいきます。
私に施されたのは『胸空ドレナージ』という手法。胸を開いてそこにカテーテルを通し、肺から漏れた空気を外に出すというものです。
「入院用のものは誰かに持ってきてもらえる?」「はい、友人に」などと言っていると注射が打たれ「切るよー。メス当たったら冷たく感じるかも」と医者。
すると、
痛い痛い痛い痛いッッッ!!!
明らかに左脇腹を切られているのが分かるのです。これには堪らず声をあげました。
「あれ? ごめんね。効かなかったかな。麻酔もう一本打つよ」
今度は何かに押されている感覚だけがあり、それもまた気持ち悪い。
「じゃあカテーテルを入れます」と取り出されたのは直径8mmほどの管。後に別の病院でわかるのですが、これが普通ではあり得ないほど太いカテーテルが選ばれていたそうです。別の病院に転院するのですが、先生からは「随分太いの入れたねぇ!」と驚かれ、若い看護師さんたちも見学に来るほど特異な状態だったとか。
「ちょっと押し込むよー」と先生が管に力を込めます。
「なんかスポーツやってる?」「はい、バドミントンを」「だからかー。胸筋があるからっ、管がっ、通りにくいよっ!」言いながら先生は力を込めて私の胸にズンッズンッと管が押し込まれていきます。その度に痛みを堪える私。そして、
「痛ッッッダァイ!」
我慢していた声が漏れる激痛。
「おっ、背中側に当たったね。じゃあちょっと引っ張るね」とあっけらかんとした先生。前身頃から思い切り押し込んだ管が、体内の背中側に当たったというのです。これにはゾッとし、飛び起きてぶん殴ってやろうかと思いました。
こうして僅か10分ほどの手術は終了。こんなに痛いなら全身麻酔にしてほしいと思いましたが、それはまた後日、全身麻酔の時に間違っていたことを知ります。全身麻酔の方がダルいし熱は出るしで大変です。
ここからこの病院での10日間の入院生活と転院してさらに1週間の入院生活が始まるのですが、それはまた別の機会に。
レペゼン群馬、新井将司。世界一になる日まで走り続けます。支えてくださる皆さんに感謝。