不妊治療・妊婦・出産後に感じたこと
全然記事を書いていなかったけど、子どもの退院が決まり、育児が始まり、毎日寝れずバタバタ💦
それでも書き留めておきたい気持ちがあったので、隙間時間にいろいろ書いてみた。
産後の超寝不足状態だし、思ったままに書いたから少し分かりにくいかも💦
子どもの退院が決まった日、GCUで指導を受けた。
その時に👶を取り出してくれた助産師さんが偶然GCUに来ていて、少し話せた。
後でまた会いに行きます!と言ってくれた。
GCUでは、沐浴とミルクと着替えをして、薬の飲ませ方の指導を受けた。
生後2日目とかで初めてやった沐浴は、👶は真っ赤な顔をして大暴れ。多分怖かったんだと思う。
退院の日は、割と大人しくて私1人でも大丈夫だった。
背中もしっかりしてて、臍の緒の処置をしたおへそはもう治っていた。泣き声も大きくなってた。
入院期間は生まれた日から3週間と2日。コロナのせいで私が退院してからは面会禁止で、一緒に過ごせたのは5日間だけだった。
最初で最後の新生児のあの小さくてコワレモノみたいなあの子と過ごせなかった悲しみもあるけど、あの脆弱な子をここまで大きくしてくれてありがとうという気持ちもある。
小児科の先生の説明を待っていると、あの助産師さんが私を探して会いに来てくれた。
長丁場の出産だったから、助産師さんも入れ替わり立ち替わりだったけど、みんな優しくしてくれた。
私も必死だったから全員の顔や名前が一致しているわけではないけど、MFICUにも入院してたから顔はみんな知ってる。
分娩の時に「助けに来たよ!」「ここまで頑張ったね!」とみんな来てくれてとても頼しかった。
最後に取り出してくれたのがこの助産師さんで、産後、頻脈になってモニター管理になった時も付き添ってくれてた。
スムーズにいかなかった人だけが紹介されて集まるような大学病院だから、その日も深夜に急変があり、その助産師さんも他の人のフォローに、行っていた。「助けに来たよ!」と他の人のところにもみんなで行ってあげてるんだと思う。
いい病院だったし、私の出産に関わってくれた人はみんな最高だった。
その人は私の出産介助のあと、深夜に他の人のフォローに行き、昼まで残って仕事をしていた。
夜勤なのに心配…
こういう優しい人は頑張り過ぎる傾向があるから、どうか体を大事にしてほしい…
重症の患者や、スムーズに行かなかった人たちが集まる病院だから、みんな声かけの仕方も素晴らしかった。
「長いお産だったけど、本当に弱音一つ吐かずに頑張ったね。」と。
この助産師さんの全ての言葉が琴線に触れて、号泣😢
感謝の気持ちや、きっと最初で最後のお産だったからこの人とまた関わることはできないという寂しさ、前述したこんなに他人に優しくできてしまうこの人に対する心配…
いろんな気持ちだったから、どういう感情かわからなかった。
その助産師さんは慣れた感じで私をなだめた。
…私が働いていた時に、私も患者さんに感謝されて泣かれたことが何度かあったが、私は「ありがとう」を受け取らなかったことを思い出した。
私は仕事としてお金をもらってやってるだけだし、親切でやってあげてるわけではないんだからら、こんな言葉を受け取る資格がないと思ってた。
大の大人が泣きながら言ってくれてるんだから、受け取れば良かった…そう思った。
自信がなくて、私は「ありがとう」を受け止められなかった。
その助産師さんは慣れた様子だったけど、どう思ってるのかはわからないけど、私の心からの「ありがとう」を届いて、自信を持って受け取って欲しいなと思った。
会計を済ませて、外に出たら暑かった。
ここに来る時も暑くて、汗だくになりながらで、痛くて何度も立ち止まって👶と一緒に病院に入った。
帰る時は1人だったけど、ようやく2人で病院を出ることができて、また泣きそうになった。
でもこれもどういう感情かわからなかった。
最悪な気持ちで転院してきて、嫌なことばかり告げられた病院で、辛いことばかりだったけど、優しいスタッフに囲まれて、こうして2人で病院を出られたことで、きっと私たち親子の良い思い出になったと思う。
と言いつつ、まだ病院に入るとちょっといろいろフラッシュバックして苦しくなるけど💧まだ診察続いてるし💦
辛かったお産も、得られるものが大き過ぎて、みんなが出産の痛みを忘れるということが十分わかった。でも代償を払った割に何も得られない不妊治療に関しては根深く、癒やされることもなく、私の中に残っており、お産か不妊治療…どちらかをもう一度経験しないといけないとなると、間違いなく私はお産と言う。個人の感想だけど。
(死産とかになってしまったらそれはまた別…)
本当に不妊治療は辛くて、終わりが見えなくて、私の中で負け癖のようなものがついてしまってた。
何事も"どうせ無理だ"、"ダメに決まってる"
何にも期待しなくなったし、最悪の事態は常に頭にあったので、命が危ないとか言われた時も生きてこの子と会いたいとは思ったが、"まぁ最悪腹切って中の子だけでも出せたらまぁいいや"という感情も少しあった。
不妊治療中は、しにたいなぁ…消えたいなぁ…どうやって今日を生きていこう?ばっかりだった。
努力してもお金を払っても苦痛を我慢しても得られるものはなく、失うばかり。
何をやっても無駄。やめたい。でも、周りを羨みながらこれから先生きていくのはもっと耐えられない。しんでるように日々をこなしてたし、しぬこともあまり怖くなかったように思う。
でも妊娠・出産を経験できて、特に早く出してあげたいと運動を頑張っていた時、いつの間にか"この努力が無駄に終わってもいい。少しでもこの子を安全に産むためならできる努力はしよう"そう思えた。
あの"全てが無駄。どーせ無理だ。どーでもいい。"と思ってた私が。
分娩中も絶対に諦めなかったし、先生の「私は可能性のないことはしません。できると思ってるからやってるんです。」という言葉がさらに力をくれたし、今も強く私の中に残っている。
この子がいるんだから頑張らなきゃ!って思える。どーでもいいと無気力に生きるよりパワーがいることだけど、それでもパワーを使いたいと思う存在がいるのはありがたいことだと思う。
さらに出産という強烈な"生"を経験して、"し"を強く意識するようになった。
正反対のように思えて、表裏一体で同時に近くに存在するような、そんな感覚。
うまく言葉にできないけど💦
きっと私の中のどういう感情かわからないけど、涙が出てくるようなこんな気持ちも、いろんな正反対の感情が入り乱れて、なんとも表現し難いんだと思う。
私の中で、30代ってずっと大人なイメージで、きっと新しく経験することも新鮮な体験も無くなっていくんだろうな…と勝手に想像していたけど、嫌な経験が多かったけど初めて経験することばかりで、この歳になっても今まで感じたこともない名前も付け難いような感情を、涙が出る程強く感じるなんて思ってもなかった。
全部、👶と、スタッフと、支えてくれた人のおかげ。ありがとう。こういう感情は確かに、妊娠・出産を経験しないと味えなかった。
私に子どもを授けさせてくれてありがとう。
妊娠・出産してから何となく思ったことだけど、何も上手くいかなくてそれでも子どもが欲しいと頑張っていたあの不妊治療をしていた頃の自分も十分母親だったなと感じた。
これからもっと大変になっていくと思うけど、無気力で負け癖がついてた私をもう一度奮い立たせてくれた経験とこの子の存在に感謝して、少しずつ出来ることをやろうと思う。