なぜ文章を書くのか

疲れているときに文章を書いていると支離滅裂であとから見返すと面白い。こんばんは、きらりんです。
私は本業や日常生活が創作活動のきっかけになることが多いです。今回は「書く」行為に関する色々を振り返ってみました。誰得記事不可避なので、こちらから過去に撮影した写真たちをご覧ください。

書くこと。pixivにひっそり字書きをしていた時代から考えるとかれこれ10年近づいてきた。「キャラクターがこんなこといいそう」のワンシーンを種に、前後の文脈を繋げていくことをしていた。そういった作品を少し書いていた。

読み手が読みやすい文章というのは、難しい。読み手の知識量は書き手が書く時点ではわからない。行間が空いていたり、説明が饒舌だったり、いい塩梅の文章を書くというのは簡単ではない。特にネットは読み手が見えてこない。読者を意識して書き散らすことは少ないので、実は読んでますと言われると、ばつが悪くなる。定期的な読者の数がわからないからだろう。その上、書いたものが全て黒歴史と化している気がしている。

ただ、書くことはやめていない。伝える努力を怠ると伝えたいことも伝わらなくなると思っているからだ。ヒトは生きていく上で相手との意志疎通が必要になる。うまく「伝える」ことが、生きていく上で必要なスキルになる。優れたアイデアであっても、その有用性を伝えられなければ、アイデアが生かされない。「どのように魅せるか」が大事になるのだ。

伝える方法は、直接話す、電話等で話す、チャット等の文字と複数ある。それぞれの手段にはメリットもデメリットもある。その中で、書くというのは相手に伝えるだけでなく、自分の自省をする上で一番適した手段ではないだろうか?日記の魔力の話に通ずるが、後の時代に書いた内容を見返せることが書くことの強いメリットである。

pixiv時代から変わらないことだが、私が二次創作含め、小説を書くと暗くなる。他人に心配されるレベルで暗い。人間が書く文章には「癖」がでる。私の癖はネガティブであるらしい。良いように言えば、最悪を想定した行動ができる。ただ、ネガティブな人は人付き合いを悪くすることが多い。このような暗い闇を隠さないことはろくなことがない。日常では口走らないように気を付けないといけない。これが原因で失敗したことも多々ある。

読み手に前知識がなくても読めるように書くことを心がけているが、「書く」ことに対してはまだまだ素人レベル。何をやっても中途半端な自分と向き合いながら、それでも表現者であり続けようとする。

日記の魔力の話はこちらから→

黒歴史を生産し続けることを嫌になったらごめんなさい。それでも書き続ける気がします。こんな思考録より、写真とか楽しいものを見てくださいね……
ではまた。

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