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世界的シェフに教わった名物メニューの作り方 ~ コロナに挑む飲食店さんへ


ご覧頂いてありがとうございます。

新型コロナウィルスの影響で、私のいる飲食業界では存在を賭けた困難な戦いが続いています。

テイクアウト、デリバリー、通販宅配と、多様な売り方で「新メニュー」を開発中の飲食店さんが全国にいらっしゃるのではないでしょうか。

しかも単なる新メニューではなく、テイクアウトやデリバリーに初めて取り組まれるお店にとっては、新しい市場を切り開く新メニューです。いつも以上に頭を悩ませていらっしゃる方も多いと思います。

そんな皆さまに少しでも「あ、なんかちょっと思い付くかも!」という気持ちになって欲しくて、私が聞いた一つのお話を共有します。

7年ほど前に、世界的に有名な日本人シェフに聞いた、「名物メニューの作り方」についてです。

そのシェフは、 山形県鶴岡市で「アル・ケッチァーノ」というイタリア料理店を経営されている、奥田政行シェフです。

当時私は、大手グルメ検索サイトを運営する会社にいて、飲食店向けセミナーの企画・運営を担当しておりました。
そのセミナーのゲストとして奥田シェフに登壇頂いた時に聞いたお話です。

少し奥田シェフについてご紹介します。
2000年に山形県鶴岡市にアル・ケッチァーノをオープンした奥田シェフは、レストラン周辺の生産者さんを根気よく回り食材を集めました。
地域の生産者さんを回る過程で「在来野菜」と呼ばれる、JAの流通にも乗らない「売っていない野菜」をたくさん見つけられました。
その「在来野菜」の中には作る人がこの世にいなくなり絶滅した野菜もあったそうです。
あと少し早く訪れていたら、種を残せたかもしれないという事を考えると、とても悔しく悲しい気持ちになったそうです。
また、生産者がお一人だけになって、「この人が作るのを辞めたらこの野菜が絶滅する」という野菜も数多くあったそうです。
そうした野菜を、この世から無くしてはいけないと、お店でお客さんに紹介したり、東京の仲間のレストランに「使ってみてくれ」とお願いしているうちに、それが噂になり「山形県の山奥で、在来野菜というその土地でしか食べられない食材を研究している、変態シェフがいる」と山形県鶴岡市に、日本中からグルメなお客様が集まって来て、山形県はいつしか「在来野菜の聖地」と呼ばれるようになっていました。

そして2014年、山形県鶴岡市は、ユネスコから「食文化創造都市」に認定され、世界中からお客様が来るようになりました。

奥田シェフは、たくさんの名物メニューをお持ちです。
ある日、私はセミナーの檀上で、「名物メニューは、どうやって考えているんですか?」と質問をしました。

すると奥田シェフはこのようにおっしゃいました。

「名物メニューを作るには、明確なコツがあります」

とてもシンプルで、一言で終わってしまうのですが、先ずはご紹介します。

以下が、奥田シェフのお答えです。

名物メニューを作るには、明確なコツがあります。
「矢印」を変えるんです。
珍しい食材、売れそうな食材があった時に、「この食材に、どうやってお店の為に役に立って貰おうか」と考えていると、たいしたメニューは出来ません。
ただ、矢印の方向を変えて、「この食材の為に、私に出来ることは何だろうか」と考えると、よいメニューが出来ます。
僕はレストランと言う場所で、料理の技術と知識を持っていて、お客様という仲間がいる。この僕の持っているものをすべて使って、この食材の為に僕は何か出来ないだろうか。と、考えるんです。そうすると、良いアイデアは降りて来ます。

矢印を、お店に向けるとアイデアは湧かない。
矢印を、野菜とお客様に向けると人気メニューになる。
そして矢印を、食材や地域に向けると人が集まってきて名物メニューになる。

以上が、私が奥田シェフに教わったことです。
シンプルすぎて拍子抜けしたかもしれません。

もちろん、名物メニューの作り方はシェフがおっしゃる方法だけではないと思います。
今私もいくつかのお店の戦略的商品の開発に携わっていて、内容、値決め、ターゲット、拡散方法・・・考えることは多岐に渡ることは分かります。ただ、奥田シェフの言葉の私の解釈は「名物メニューは単なる料理ではなくて1つのプロジェクトなんだ」ということを言われたのだと思っています。

一つ例を挙げます。
奥田シェフの名物メニューの中に「藤沢カブの焼き畑仕立て」というメニューがあります。
山形県に、藤沢カブという野菜があり、シェフが出会った当時は生産者さんがお一人だけになっていました。
焼き畑農業で、作るのがとても大変な野菜だったこともあり、絶滅の危機に瀕していました。
奥田シェフは、仙台の旅行会社に提案して、藤沢カブの収穫時期に「藤沢カブを食べるツアー」を実施しました。
お客様と一緒に実際に畑に行ってカブを収穫して、藤沢カブが生まれ育った畑そっくりの一皿「藤沢カブの焼き畑仕立て」という料理を振る舞うのだそうです。
今では、その藤沢カブは絵本や映画にもなり、ファンがついて後継者もつき、毎年の夏の焼畑の種まきの日には80名もの人たちが手伝いに来るまでになっているとのことです。
クラウドファンディングというものが無かった時代に、既にそのような動きを起こしてらっしゃったのです。

余談ですが、
そんなアル・ケッチァーノも、このコロナショックでは大変な状況になっていると聞いています。
東北地方に本店があり、東京にも支店があったアル・ケッチァーノは、東日本大震災の時に大打撃を受けられ、
「リスクを分散させないと弟子たちを守れない」との思いから、東京、広島等にもお店を出されて、リスクを分散させて、育てる経営をし、今年予定されていたオリンピックに向けて東京で大きな投資をされ、スタッフも多くしていたところで、このコロナショックが起こりました。
奥田シェフを慕って集まった全国の約50名のスタッフさんを抱え、大変な戦いを強いられていると聞いています。

私はシェフと出会った当時、日本中をセミナーで一緒に回らせて頂きました。
人生の中で奥田シェフにたくさんのことを教わった身として、恩返しを具体的な行動にしてみようと考えております。
シェフは苦しくても矢印を外に向けられると思いますので、私は思い切り矢印をアル・ケッチァーノという、国と地域と飲食業界の宝物に向けてみようと思っています。また皆様にもご協力を仰ぐことがあるかもしれません。宜しくお願い致します。

最後までお読み頂いてありがとうございます。
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