私が美術館に行くようになった理由
元旦にこんな記事を読んだ。
長生きしたいから美術館に行くわけではないが、結構好きなほうである。
私の場合、それは幼少のときのとある事情にある。
私は埼玉県川口市の出身である。
川口といっても京浜東北線が通る駅の近くではなく、当時、鳩ヶ谷市であった場所の近く、新井宿という場所に生まれ育った。
まだ埼玉高速鉄道埼玉スタジアム線など通る予定のかけらもなかったおよそ50年前。どの駅からもバスで30分はかかるという、陸の孤島であった。
普通のサラリーマン家庭に育った私は、東京に遊びに行きたかった。しかし、買い物をするわけでない、買い食いするわけでもない、上京する理由が小学生だった私にはなかった。
そこで美術館である。
国立西洋美術館、東京国立博物館、ブリヂストン美術館、そしてその昔は新宿伊勢丹、池袋西武などでも美術展をやっていた。東京に行かないとそれらは見られない。
「お母さん、今度の日曜日に美術館に行きたいんだけれど」
そう言ってバス代とチケット代を親からもらって、毎週のように東京に出かけた。
幸いな(?)ことに、生前、教育ママであった母のおかげもあり、遊ぶことではなく勉強することであれば、お金は出してくれた。
アートの愛好家は裕福な場合が多く、
とさきほどの記事には書いてあったが、そんなことはなかった。
同様に本が好きになったのも、そういった理由からである。おもちゃは買ってくれないけれど、本なら買ってくれる。
それならおもちゃで遊ぶより、本を読むことを好きになればいい。
それが母の作戦だったかわからないが、こうして美術館賞、読書が趣味になった。
昨日は「カラヴァッジョ展」に行き、今日は嵐山の「福田美術館」に行った。若冲の鶏が躍動感丸出しでよかった。
パンとエスプレッソと福田美術館で、年末に買った「時間とテクノロジー」を読み終えた。
もちろんまるっきりお金がかからないわけではないが、美術館と本はとてもリーズナブルだと思う。自分に無理せす、いくつになっても楽しめる趣味が持てたのは、人生をとても豊かにしてくれている。
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