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YOASOBIとダブル村上。コンテンツのサイズ感と更新頻度の話

SpotifyでYOASOBIの新曲を聴いた。

そもそもYOASOBIは小説の歌詞をそのまま歌うというユニット。その「ミスター」という曲を聴いていると、コンテンツのサイズ感と更新頻度の意味を深く感じることができる。

その昔、ダブル村上という言葉があった。ダブル浅野よりも前のことだ。

村上春樹と村上龍。

その二人はまさにアイドルだった。浅田彰、中沢新一、文学や哲学を語ることが、一番ホットだった時代。

「限りなく透明に近いプルー」「風の歌を聴け」

いまこうして書き出しても、その言葉の強さや古びなさには驚かされる。ここで言いたいことは、その良しあしではない。

ひとつは小説というコンテンツの役割というか、サイズ感の話。更新頻度や文字数、発信からのタイムラグなど。その昔、村上春樹の小説が発売されるのを半年くらい前から楽しみ待っていた。そして本屋さんに立ちよったものだった。

今ではどうだろう。

まず半年も前から楽しみに待つというコンテンツが内々見当たらない。発売されたら実店舗に並ぶこともなく、Amazonでクリック。

島本理生が“はじめて〇〇したときに読む物語”をテーマに書き下ろした小説「『私だけの所有者』――はじめて人を好きになったときに読む物語」を楽曲化した。主人公のアンドロイド“僕”が、所有者“Mr.ナルセ”に抱いた“はじめての感情”から綴られる、切なく儚いシティポップに仕上がっている。

https://www.fashion-press.net/news/84165

1週間前にはとてもリアルに感じられた、YOASOBIの世界観が、今では45年前の村上龍さんの二作目のほうがリアルに感じられる。コンテンツのサイズ感が変わっていくのだろうか。

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