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娘が生まれた日のこと①

娘が生まれた日の事を書こう。

予定日が来たら病院へ来るように言われていたので、予定日の朝に
息子を学校に送って、そのまま車で15分ほどの病院へ夫と共に向かった。

病院に着き、待合室で1時間程待つ。
先生から、予定日の2週間前の最後の検診で、すでに3400gあるだろうと言われていたので、私は4キロ越えのビッグベイビーになっているのでは無いかと案じていた。待合室では、このタイミングで自然陣痛が起きないかと、往生際悪く最後までスクワットをしたりしていた。というのも、息子の出産は陣痛促進剤を使っての和痛分娩だったので、今回は自然にくる陣痛を経験してみたかったのだ。

長らく待ってから、最後の検診をしてくれた産婦人科医は、私より若い
30手前位に見える、長身の女性だった。褐色の肌にはっきりしたアーモンド型の目をしていて、首にはナチュラルな首飾りをしていた。私はすぐにこの先生を信頼することができた。

検診の結果は全く問題なく、2週間前の最後の検診の時より赤ちゃんはほとんど変わらない大きさだった。最後の検診までは、家の近くの診療所の他の産婦人科医の見立てだったので、エコーを見る人によって誤差はあるのだろう。(この先生もとても素晴らしい先生だった。いつも私を安心させてくれた。)とにかく、産んでみないとわからないのだ。

検診が終わり、問題がないのでこのまま様子を見ましょうということになるだろうなと思った。しかし、先生は、「もし希望するなら予定日を過ぎたので促進剤を使ってお産をする権利がありますよ。但しその場合は、他の出産の予定を確認して産科に余裕があればですが。」と言われた。
私と夫は、目を見合わせて、全く予想していなかった展開に驚いた。私は少し逡巡したが、一息吐いて、もし可能ならお願いしたいと返事をし、夫も同意してくれた。2人とも、いつくるかいつくるかと待ちくたびれて、その疲労は限界と言えるところまで来ていたのだ。(2人目だから早いだろうとか、きっとこの日に違いないなど、いろんな予想を繰り広げすぎた結果。これからお産を迎える方には、過度に待ちくたびれないことを強くおすすめする。)

というわけで、自然陣痛来い来いと、自分なりに頑張った臨月だったが、結局促進剤を使ってのお産に自分の意思で決めた。
何事も自分の意思で決めると、覚悟が決まる。
出産は赤ちゃんが自分でその日を決めて、降りてくるのが一番と思っていたから、まさかこんな展開になるとは思ってもいなかったけれど、渡に船で、その船に、これしかないと思って乗ったのだ。
そして乗ったからには、最後まで渡り切らねばならぬ。

というわけで、フランスでの出産は、予想外の展開で始まった。

次回に続く。



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