サピエンス全史をかる〜い感じでまとめてみました【第18章】
たまに出てくるマジで重い内容も、かる〜くしすぎないようにバランスとるのが大変です。
さて今回は、「真の世界平和がきたよ」というはなしです。
「え、ほんとに?」と「たしかになぁ」を行ったり来たりしながら読みました。
第18章 国家と市場経済がもたらした世界平和
産業革命がもたらしたもの。
人間が利用できる資源は増加し続けていますが、一方で生態系は悪化しており、このままだとサピエンスと家畜以外の生物種は絶滅しそうです。
生態系の混乱による地球温暖化や大気汚染という、人間は自らが誘発した自然災害に苦しめられることになるわけです。
ちなみにですが↓
多くの人が、この過程を「自然破壊」と呼ぶ。だが実際には、これは破壊ではなく変更だ。
大昔、小惑星の衝突によって恐竜が絶滅しましたが、同時にこれは哺乳類繁栄への幕開けでした。
同じように現在、人類は消滅しかねない状況ですが、代わりに他の強靭な生き物たちが自分のDNAを広めるのでしょう。まさに「変更」。
とはいえサピエンスの人口は70億人になろうとしています。産業革命が起こった200年前の約10倍です。
人類が絶滅するのはもう少し先になりそうです。
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近代に起こった変化の一例:時間
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産業革命がもたらしたもの、といえばコレ。というものを一つご紹介します。
それは時間です。
中世までの農民や職人は、太陽や季節、植物の成長サイクルに依存しており、正確な時間や暦年には気も止めていませんでした。
一方近代は産業革命によって、時間表と製造ラインがあらゆる活動のテンプレとなり、特に時間表はすべてを支配しているといっても過言ではありませんでした。
工場でも公共交通機関でも、スケジュールが数分遅れただけで生産活動に支障をきたしてしまうからです。
時間表といえば鉄道の時刻表ですね。
1830年にイギリスで史上初の鉄道サービスが開始された時、各地の現地時間問題に鉄道会社各社は頭を悩ませましたが、グリニッジ天文台の時刻に合わせることで解決します。
その後、1880年にイギリスですべての時刻表をグリニッジ天文台の時刻に準ずる法律が制定され、ここから人間は各地の日の出から日の入りのサイクルではなく、人為的な時刻にしたがって暮らすことが義務付けられるのです。
やがてラジオやテレビを通して秒以下まで合致した時刻を、遠く離れた場所まで共有できる、グローバル・ネットワークが誕生します。
今では安くて正確で持ち運びができる時計が普及していますね。
私たちはテレビやスマホ、電子レンジなどまわりをチラッとを見ればすぐに時間を知ることができます。それだけ人は時間に支配されているということ。
分刻みで働くビジネスパーソンから、家でカップラーメンを3分間きっちりはかり、プレミアムガチャが配布されるイベントの時間を待っているニートまで、ありとあらゆる人が時間を気にして生きています。
中世ヨーロッパで時計といえば、町の広場の高い塔にある時計くらいで、それしかないのでズレもへったくれもなかったんですけどね。
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近代に起こった大きな変化:
コミュニティの崩壊
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産業革命の影響として、時間への適応を紹介しましたが、これはほんの一例にすぎません。
あらゆる人間社会の基本構成要素だった家族と地域コミュニティが産業革命により分解され、その役割を国家と市場が果たすようになります。
この社会変革が、人間に最も重大な影響を与えたとハラリは言うのです。
産業革命以前の人々の日常生活は
①各家族
②拡大家族
③地域コミュニティ
この3つの枠組みの中で運営されてきました。
家族は福祉制度であり、医療制度であり、教育制度であり、建設業界であり、労働組合である、年金基金であり、保険会社であり、テレビ・ラジオ・新聞であり銀行であり、警察でさえあった。
家族では手に負えなくなれば、地域コミュニティが助け船を出す、そんな地元の伝統と互恵制度に基づいて助け合っていたのです。
こういったのはあくまで助け合いで、見返りなど期待していません。
時には地域の支配者が、村人を全員集めて無償で城館の建設をさせたりすることもありましたが、そのかわりに支配者は村人にとって略奪者や蛮族から守ってもらえる存在でした。
まぁ、大体のことは家族とコミュ二ティ内でまかなえるわけです。
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じゃ、国家はどうしてたの?
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伝統的な農耕社会では、そもそも政府の役人や警察、医師などを雇う余剰もなかったので、王国や君主が家族やコミュニティの営みに介入することがほとんどありませんでした。
国家の権限みたいなのはまるっと家族やコミュニティに任せていたんですね。
その例として、家族による復讐制度があります。国家に替わって家族がやり返していいということですね。
権限移譲の例をもうひとつ。
1070年、宰相の王安石は北宋の財政難を解決するために、新法を実施します。その中に保甲制度というものがありました。
民戸10家を保、50家を大保、500家を都保に編成して、平時の治安維持を行わせ、農民の閑散期には軍事訓練を行わせる政策です。
保の構成員の一人が罪を犯すと、保の長老が罰せられる仕組み。税も保ごとにその長老が決めて徴収されました。
こうすれば、帝国は何千もの世帯の収支を把握せずとも安定して税を取り立てることができたのです。
みかじめ料を取る代わりに、近隣のチンピラが自分のテリトリーにいる人たちに手を出さないようにしているだけの巨大な用心棒みたいだね、とハラリは言っています。
「家族やコミュニティに守られて」とは言うものの、コミュニティ内でも派閥やら暴力がはびこっていました。
それでも当時の人たちには家族やコミュニティから外れるという選択肢はありません。支援や厄介な事態から誰も守ってくれる人がいなくなり、死んだも同然になってしまうのですから。
しかしこうした状況は、産業革命が市場に大きな力を与えることで、一変することになります。
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社会変革のために国家のたてた作戦とは?
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国家は新たな通信と交通手段を提供し、事務員や教師、警察官などを政府が自由に活用し、家族やコミュ二ティに介入しようとしました。
ところが、親や村の長老はやはり面白く思わないわけで。
そこで国家と市場は、「個人になろう」と提唱したのです。
・親の許可を求めなくても好きな相手と結婚していい
・世間体を気にせず自分に合った仕事をしてもいい
・家族との団欒はなくなるけど、上京してひとり暮らしすればいい
家族やコミュニティに依存しなくても、国家と市場が食事や福祉や教育、医療などを提供してくれると言うのです。
こうして国家と市場は個人を生み、この「親」なくして生きられないような体制を築き上げました。
病気になれば社会保障制度があるし、介護が必要になれば市場で献身的な看護師を雇うこともできます。税務局は個人主義なので隣人の税金まで請求しないし、裁判所も連帯責任を負わすことはありません。
家族やコミュニティの所有物としてみなされていた女性や子供も個人として認められるようになりました。
やったね!\(^^)/
こうして家族とコミュニティの力は弱まっていきます。
とはいえ、強い絆で結ばれた家族やコミュニティの喪失を嘆き悲しむ人も多くいます。(つД-`)
個人:「孤独死したくないなぁ。一人で寂しく死んだらどうなるんだろう?」
政府:「その時は葬儀屋が市場から派遣されるので大丈夫ですよ!」
こんな感じで、個人・国家・市場の関係は維持されるのです。
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家族が消えたわけではない
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国家と市場は家族から経済的役割と政治的役割を取り上げましたが、まだいちおう核家族は残ってます。
と言っても、市場が家族にゴリゴリ関与していますが。
例えば男女の出会いから結婚までの行動様式は、市場によってだいぶ変わりました。マッチングアプリなんて、親同士の決めた相手と結婚していた時代では考えられなかったでしょう。
もちろん国家も親子関係にはしっかり関与しています。
昔は親の権限で子供が奴隷として売られるなんて当然のようにありました。でも今では国家は親が子供に暴力を振るおうものなら、児童虐待で刑務所にいれることができます。
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コミュニティも残ってるよ
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国家と市場は、部族の絆を提供するために「想像上のコミュニティ」を育成しました。
おお?想像上のコミュニティといえば、「虚構」のところでやりましたよね。
想像上のコミュニティは古代からありました。これは親密なコミュニティであり、成員の感情面をうまいことフォローしていたのですが、この機能が近代の想像上のコミュニティに委ねられるようになりました。
それが「国民」と「消費者」という2つの、あくまで想像上のコミュニティです。
①想像上の国民とは?
私たちは何百万もの見知らぬ人々が自分と同じコミュニティに帰属し、みなが同じ過去、同じ利益、同じ未来を共有していると、想像させられています。
国民とは自然で永遠の存在であり、原初の時代からの人々の血を混ぜ合わせて生み出された純粋な存在なんですよ、とまんまと想像させられているわけです。
そっか。だから私は「君が代」を歌ったり、日本の歴史を学んだり、オリンピックの日本代表を応援したりしているのね。
ちなみに現存する国民のほとんどは産業革命後に誕生したものらしいです。
もちろん国民は昔からありましたが、家族や地域コミュニテイに対する忠誠心には遠く及ばなかったようです。
①想像上の消費者とは?
なんなら最近では、消費者部族が国民部族よりも勢力を拡大しています。
ベジタリアンのドイツ人は、肉付きのドイツ人よりもベジタリアンのフランス人を結婚相手に選ぶだろう。
私たちは何よりもまず消費するものがアイデンティティになっているのです。
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社会変動は平和をもたらしたのか?
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近代社会の特徴を定義するならば、「絶え間ない変化」だとハラリ は言っています。
科学革命や産業革命以降の変化の速さは、前章までを読んでもらえばわかるでしょう。そして今、私たちの身の回りを見ても「変化」するのが当たり前になっています。
19世紀と20世紀の政治史はしばしば、破壊的な戦争と大虐殺と革命の繰り返しとして語られる。
うんうん、サピエンス全史でも古代から大虐殺の歴史が繰り返し語られてきたもんね。
しかし近代後期は、そんな暴力と恐怖だけでなく、平和と安定も未曾有の水準だったというのです。
かつての世界がはるかに暴力的だったということは、私たちは体験していないのでどうしても適切に比較ができないんですね。
そんでニュースとかで、アフガニスタンとかイラクで行われている戦争で傷ついた人々を観ては、心を痛めてるわけですけども。
昔にくらべたら戦争自体の数は圧倒的に少なくなっていて、その被害者ももちろん激減しているのです。
私たちは集団全体の苦しみよりも、個人の苦しみに共感しやすい
そうなんだよなぁ(つД-`)
2002年の死者5,700万人のうち、
・戦争による死亡者 17万2,000人
・暴力犯罪による死亡者 56万9,000人
・自殺者 87万3,000人
このデータを見ると、いくらテロや戦争が問題になっていても、戦争や暴力による死亡者は自殺者より少ないですよね。
とはいえ「自殺者が多い世の中もどうなの」と考えたりもするので、やっぱり個人の苦しみに共感しちゃうんです。
ちなみに「集団の苦しみか個人の苦しみか?」の話は、農業革命のときにサピエンスたちが小麦の奴隷になり下がったくだりと同じですね。
小麦を栽培するようになり定住を始めたサピエンスたち。人口は増やすことができて大成功だったけど、個人単位でみると可哀想なことになっていた、というお話です。
とはいえ、人々は「近隣の部族が村人を全員惨殺するのではないか」という恐怖に怯えることもなくなったし、教師が生徒に鞭を打つこともなくなったし、親が借金のカタに子供を奴隷に売ることもなくなりました。
世界各地で人々は安心して暮らせるようになってきた、ということです。
暴力の減少は、国家が家族やコミュニティに介入したおかげでもあります。
今も昔も、家や部族の間で起こる身近な犯罪のほうが、国際的な紛争よりも多くの命を犠牲にしているのです。
もちろん国家の権力濫用による殺戮などの悲劇は実際にありましたし、それをニュースで観ている私たちの記憶にとてもインパクトを残します。
それでも巨視的な視点でみると国家はとても安全になったと言えます。
1945年以降の国内外の武力紛争が減少した理由は、ヨーロッパ帝国の崩壊が原因でしょう。
帝国の崩壊は比較的すみやかで平穏で秩序立ったものでした。かつては世界の4分の1を支配していたイギリスでさえ、ほとんどの植民地から平和裏に整然と撤退したそうです。
なんで?(・ε・`*)
👇理由はこれなのかな?
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なぜ平和が加速したのか?
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帝国がなくなってからは、独立国家はびっくりするくらい戦争には無関心になりました。
今でもときおり戦争が起こることはありますが、それでももう、戦争は当たり前の出来事ではないということはわかると思います。
強調すべきは、現在は単に戦争がないということではなく、戦争勃発の見込みがないという意味で世界に真の平和が訪れたということです。
今後世界がどう変わるかはわかりませんが、少なくてもこうして楽観できることは、今まで一度もありませんでした。
なぜこのような展開になったのか、要因としては4つあります。
①戦争の代償が劇的に大きくなった
これは核兵器により、超大国間の戦争は集団自殺に値すべき行為となり、武力による世界征服は不可能になったためです。
ノーベル平和賞は、原子爆弾を設計したロバート、オッペンハイマーとその同僚たちに怒られるべきだった。
②戦争で得られる利益も減少した
昔は富といえば畑や家畜や奴隷、お金だったので、それを略奪したり領土にすれば儲かる話でした。
今日では富とは人的資源や技術的ノウハウなどが主になってしまっているので、奪い去るのは困難。シリコンバレーの宝はエンジニアの頭の中にあるのです。
数少ないが今なお世界で発生している国家間の全面的な戦争が、旧来の物質的な富に依存する地域で起こっているのは決して偶然ではない。クウェートの首長一族らは国外に逃亡できたが、油分をそのまま放置され、占領された。
③よっぽど平和なほうが儲かる
国家間が友好的な関係にあるかぎりは、製品や株を売り買いしたり、投資をうけたりWin-Winな交易ができるのです。
④平和を愛するエリート層が世界を治める時代になった
昔は「戦争が善だ」もしくは「必要悪だ」と考えるエリートや指導者が多くいたのですが、今は違います。
こうした要因はうまい具合にフィードバックループを形成し、戦争の歯止めをさらに生み出していきます。
そうして国際関係がより親密になってくると、単独では国は成り立たなくなり、全面戦争というものはますます無意味になっていくのです。
さて、ここまで読んできたみなさんは、近代をどうとらえるでしょうか?
第一次大戦の塹壕戦や広島上空の核兵器によるキノコ雲、ヒトラーやスターリンの残忍な狂気に代表される見境のない殺戮と戦争と迫害の時代
南アメリカに決して築かれることもなかった塹壕戦や、モスクワやニューヨークの上空に出現することのなかったキノコ雲、マハトマ・ガンディーやマーティン・ルーサー・キングの穏やかな表情に象徴される平和の時代
ハラリは「時期によって異なる」と言っています。
このサピエンス全史も2014年に書かれたからこそ、近代史のアプローチは比較的明るくなっているんですね。
直近の出来事によって、私たちの見方はがらりと変わってしまうものなのです。
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