【グレーマンの物語】2022/11/08/Tue

ようやく自炊できるようになってきたようだ。と言っても野菜炒めやチャーハンレベル。最近は、いや以前から冷凍食品には大変感謝している。体を動かせない身としては非常に助かっている。冷凍食品はうどんが格別にうまい。解凍したうどんに生卵や納豆などをかけて食べる。最近は物足りなくなってきて自分で野菜炒めを作り、そのうどんの上にかけて食べている。少し動ける時はうどんもフライパンへぶっこみ炒める。しかし体力がないのでうどんまで炒めることはできない。電子レンジでチンをして袋からさっと取り出しすぐ食べれるのがよい。でも炒めると焼うどんになるのでおいしい。

しかしなぜか、焼きうどんを通り越し今はチャーハンを作っている。やはりヘタなりにでも作りたては美味い。今は午前五時。生活リズムは狂いに狂っている。でもそれを修正しようとすればするほどしんどくなるので無理に寝ようとはしない。しょうがない。これも20年の経験。と考えると何かしら私には社会不適合者の特性があるように思わざるを得ない。しかし、医師に相談してもあまりリアクションがない。おそらくはチャンスに恵まれなかったような節を少し話し合う。かつ、ASDもあるのだろうが致命的レベルでもなさそう。なので、こういう生活リズムが狂うような人生、短期離職の繰り返しという背景の影響で人格、精神異常をきたしているのか。でも医師の方では特段異常ではないらしい。ということは自分で自分に厳しい目を向けているのか。でもその目は親であったり旧友であったりした。なので今も異常なのである。医師や福祉は異常ではないといっても。さらには就活をするにしても異常と見られる。

と考えると社会的には異常、医療福祉からは正常。まったくもってグレーゾーンにいるわけである。社会的に異常者であるならば、社会が異常なのか、社会病理なのか。そういうことを述べている学者もいるので全く違うことを私は述べているとは思わない。だが現状異常者である。独身の40代。大して職業経験もなし。特技なし。友達がいるわけでもない。好かれるような、かわいがられるような愛嬌もない。長男という期待、背後霊がいつも憑いている。それが重くどんよりのしかかりいつも疲れている。無意識に。

どんな職でもいいからとにかく働けとコメントをしてきた人もいた。以前。
あれから職に就いて働いたがメンタルを壊した。その人は私の治療費、生活費を払ってくれないのだろうか。無責任に吐き捨てるアドバイスは要らない。それは自己陶酔である。私は便所ではない。自分の処理は自分でしないと。私のトイレは私がするしかない。だからここで徒然と綴っている。

以前はExcelや社内SEへの道を探っていたがそれもかなり難しく諦める寸前。ほぼ諦めたわけである。最近は心身がとうとうギブアップ状態となったため、今まで我慢してきた通院を開始している。そしてメンタルクリニック。まさか自分がメンタルクリニックへ通院するなんて想像もしていなかった。ニュースやドラマ、ネットから聞く話だと思っていた。勿論今は薬を処方されている。

しかし、良い事、というか改善がしっかり感じたこともあった。睡眠薬である。今までは中々眠りに入れずそれが麻痺していたようだ。それが当たり前で当たり前に苦しんでいてそれはもう麻痺していたようだ。睡眠薬のおかげで眠気がきちんときてグッスリ眠れるようになった。しかし、最近は悪夢を見ることが多くなりそれはしんどい。やけに鮮明である。目覚めた直後は非常に疲れている。絶望状態である。最近の悪夢は家族のことである。それが悪夢の時点でやはり私のリアルの人生に問題があるようだ。2年前からオンラインゲームを始めた。きっかけは転職を大失敗しスタバで恥ずかしながら大泣きした。顔を伏せ。眼鏡のレンズには大粒の雫がたまっていた。それは今でも鮮明に覚えている。

以前から、他のお客さんでスマホゲームをする姿を見かけていた。ビシッとした素敵なスーツ姿のおじ様が熱心にスマホゲームをしている。人差し指で凄い早さの集中力ある操作姿。正直「いい歳したおじさんが・・」「せめてスーツ姿でやるなよ・・」と思っていた。
転職大失敗し、メンタルがかなり危ない状態であった時、またそのおじさまの姿をチラッと見かけた。自分もやってみようとポケットからスマホを取り出しパズルゲームをし始めた。無心になれる。辛いことが少し麻痺されラクになる。あのおじ様もそんな感じで癒していたのだろうか。周囲を気にする余裕はない。自分が少しでもラクになるならいい。別に周囲に迷惑をかけているわけでもない。

さらにYouTube動画のゲーム実況を見始める。厳密にはABEMAの番組企画のゲーム実況、そこから芸能人のゲーム実況、そしてストリーマーのゲーム実況を好むようになりいつも見るようになった。それに深夜にLiveしているのも私にとって大きな存在であった。生活リズムが狂っているので深夜いつも以上に孤独感がやってくる。それでもLiveをしているとその寂しさが和らぐ。いつの間にか私にとっては単なる娯楽ではなく生活の一部となっていた。その影響から自分でもゲームをしたくなりするようになった。初めは楽しかったのだが、段々とマッチするプレイヤーとの摩擦でイライラするようになった。それでもやるのである。twitterにも愚痴りはじめ自分でもよくないとわかりながらイライラ・悔しさが止まらず愚痴ってしまっていた。さすがに目立ったのかストリーマーや芸能人の配信へのコメントをシカトされているように感じた。おそらくツイートでヤバイ奴と思われたのだと思う。実際ヤバイ奴か。

それを機に愚痴るのは我慢するようになってきた。だがプレイするとやはり苛立つことが多々あり愚痴ってしまっている。よくない。それをやめるにはゲームを止めるしかない。少なくとも今プレイしているものは。だから今後は人と競わない、もしくは競う形が今までとは違うゲームを選ぼうと思っている。やはりゲームは日頃悩み癖のある自分にとってはありがたい、そして寂しさを和ましてくれる存在なので切り離せなくなった。厳密には今は寂しさを和ますというよりも誤魔化している。

だが、ゲームをやめるとまた悩みが膨れ上がるのである。だからこうやってまたブログを書きはじめた。こうやって文字を打っていると、頭・脳に苦悩のダムが崩壊するほど膨れ上がって来る。ダム崩壊しそうになる。いつも苦悩の泉が湧いているので、その処理を20年間できていない、術も見つからないので頭・脳はヘドロ化しているようである。なのでとにかく排出しなければいけない。だからこうやって書いている。

20年と言えばワンピースのワノ国を思い出す。漫画のような辛い20年を自分も抱えていると思うと本当にしんどくなっていく。自分でも引いている。だが引く余裕もないくらい辛い。失われた20年と言われてきた。もう30年か。そして今は「失われた」ではなく、「終わった」30年らしい。そう、30年前にすでに終わっていた。30年前にあった席はもともとなかったのだ。席のチケットがあると言いつつ、30年待てど待てども無かったのである。それを詐欺と言っても相手はいない。詐欺と言えば私が異常者と言われる。情けないと言われる。人が去って行く。結局とある成功者ではないとその発言に力は備われない。今の私が喋っても負け犬の遠吠えである。単なる愚痴や情けない弱音である。

そんなことを最近はより濃く考え始めてしまった。今まではそんなものを理由にしてもしょうがない。俺は違う、と思っていたが、現状全く快調せず、年齢と体重だけが重なるだけで、だんだんと僻むだけで爺と化してしまった。そんな醜い姿を見て、スタッフは私はぞんざいな扱いをしてきた。別にそれでも構わないと思われるような醜い姿だ。昨年時の入院期間もまるで牢獄にいるようだった。看護師が刑務官に見えた。俺は犯罪者ではない。

いつのまにかそれは日常となってしまった。それでもまだ丁寧に接してくれるスタッフさんもいる。その方々には本当に感謝である。おそらくプロなんだろう。ゼロではないのでこの世の全てを悪と見なすわけにはいかない。

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