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先に愛する

文章を書くということはかつて、私にとって救われようとする行為でした。醜い内情を吐露することで楽になろうとしていたのです。 しかし今、私はもう救われたがってばかりの誰かに私を満たしてちょうだいと言ってばかりの自身の身体を抜け出そうとしている。 時折、満ちているという感覚にさえなる。そういう時、私はどうしようもなくこの命を他人に捧げたくなる。それは明らかなエゴイズムであり、決して慈善だとかGiveだとかってことは言えないのだけれど。 だからこれから、時には人のために書いてみ

    • もう誰も私のことを形容しないでくれ

      人はとても簡単に他者を形容する。「かっこいい」とか「真面目」とか「賢い」とか「面白い」とか。そうやってペタペタと他人にレッテルを貼ることには、あたかもなんの凶器性を帯びていないかのように。むしろ、相手を受容し理解し称賛している自分に誇らしげに。 ある程度成熟してくると、他者からの言葉は、余程気心知れた関係かパワハラ気質の上司以外からは、基本的に形容詞自体の意味はポジティブに捉えられるものを投げかけられることの方が多くなると思う。その見せかけのポジティブな称賛を「ありがとう」な

      • 死にたいという感覚

        久しぶりに死にたいが近くまでやってきた。今も周囲をうろちょろしている。  病院を変えて、薬を変えてから、ここのところ少し安定していて、希死念慮まで到達したのは半年ぶりくらいかもしれない。 過去のものになったと思っていた希死念慮が、まだ自身の中にあったことに驚く。あるいは、外因的な何かしらによってまた新たに生まれたのか。 以前は、何か目の前にある苦痛から逃れる一手段であったり、このまま未来に希望を見いだせない人生が続いていくことへの恐怖からの絶望が主な原因だった。 今はどうだろ

        • 苦しいよね生きるって

          止まらない希死念慮。 取るに足らない人間関係で意味もなく苦痛を感じていることの自分の非合理さに虫酸が走る。気持ちが悪い。人はひとりじゃないけていけない。生まれてからこれまでずっと社会に属する事による恩恵を受け続けてきた人間が発する言葉じゃないかもしれないけど、人間が、社会が、そしてそうした摩擦になんの生産性もなく苦しんでいる自分がとても気持ちが悪い。 どこか人の存在しないところへ逃げ込んで、本当の暇が訪れたとき、私は何を望むのだろうか。 哀れにも社会への復帰を望むのだろう

        先に愛する

          増殖機

          明るいことを話していたかった。 人々に温かい気持ちでいてほしいと思うし、そういう「良い」影響を与えられる人間でありたいと願った。 嘘でも良かった。嘘を付き続けるといつかそれは本当になるんじゃなかろうか、なんていう一縷の望みもあった。 優しい言葉を吐いて人々を優しい気持ちで満たしたかった。 でも無理だった。 そもそも、誰かのことを良い方向へ導くということが私自身のエゴであるかぎり、それは綺麗で鮮やかな橙色の毒キノコを差し出すようなものではないか。 いつも答えを求めては、 生