表層舐めて理解された気になっても私はそこにいない。

幼稚園では保母さんがいつも可愛いがってくれた。あんな風に愛されるのは保母さんと小学生3年生の担任くらいだったかな。

卒園後も時々行っちゃったくらい好きだった。優しかった。

小学生になって1番最初にインパクトあったのは、ランドセルの色。当時では未だ珍しく私はピンク色を背負ってた。みんな「おかしいよ!」「赤じゃないなんて変」とか、今思うと妬いてたのかな。イジメは色々あったけどその内私も無言で相手の上履きを目の前でゴミ箱に入れたりしてました。ごめんね。気は無駄に強い。

父親は時折家出してしまうので、通学路に父の車が止まってて挨拶するなんて事も度々。(家に帰ってくれれば会えるのにさ…)

祖父が1番強い家だったから父さんも居場所無くて時々脱走してた訳でしょうけど。。マスオさん大変だなぁ。でも私、あなたが居ないと兄と母のやりたい放題の上に、祖父の初孫男孫溺愛のお陰で大変な目にあってたんですけど…。

東日本大地震の時、大洗にいたそうですね。生きてるか確かめる勇気がありません。

そして最後に電話をくれた時に「ママの味方にならないといけないから電話できない…」あれは本音じゃないです。そう言わないと父の写真を全て惨殺した母から守った1枚だけの写真がバレただけで「本当はパパのところに行きたいんでしょ?ママはわかってるわ」みたいな詰り環境で生きてける気がしなかっただけです。どうぞお元気で。

小2辺りで、大分子供にしては参ってたかも。

いつだったかの帰り道、自分はいつもランドセルの肩紐を強く握り締めて歩いてる事に気付いた。なんでだか強く覚えてる。そしていつも車に轢いて欲しくて堪らなかった。轢かれたら死ぬか、ラッキーなら辛い事は忘れてしまえる健忘状態になれる!という希望を抱いていたのでした。

だって、家にいても30分くらい自分の部屋に居るだけで親に「何してるの!!」と言われ、部屋は物色という検閲を受けて誰かと一緒に居ればドア越しに居るんだよ。聞き耳を立てられる。そして夜になると叔母、母、祖父が揃って怒鳴り合いが始まるのでいつも聞こえない様にしてた。聞こえるんだけど。 だから大きい音や怒鳴る声は成人した今も苦手です。

とにかく色々というか全て忘れたかった。

そして段々学校に行けない。行く気にならないのを父が無理矢理説得して連れて行ってた覚えがある。

細かく書くと自分がおかしくなる気がするので端折る。

中2辺りで本当に引き篭もった。家族とも生活時間をズラして、自室ドアにはお手製の鍵をかけて引き篭もる。全力で頑張って引き篭もった。

まあ、最悪なのは父が浮気して離婚後、被害者ぶってた母が何故か既婚者と不倫して二重生活してた。

しかも通学路に面してる実家へ相手親族に凸しまくられたんですよ。学校の友人にその事を聞かれる苦痛…。しかし本人には美しい恋のようで。万札渡されて宜しく〜と出て行く母に思春期真っ只中の私は憎悪しか覚えなかった。

疲れてた、とりあえず疲れてた。勉強したいのに学校から帰るともう動けない。寝てしまう。試験結果は最悪…。だけど、未成年は無力故に悪い意味で置かれた場所で咲くしかない 笑笑

15歳まで引き篭もったけど、途中で出席日数調整で学校の保健室に行ってた。

私を自分の家に来いと言ってくれた先生も居たけどもう私には他人を信じる力は底尽きてたのか、なぜかイエスと言えなかった。

喜怒哀楽の出し方を抑圧されてたので、自分の身体を殴る打ち付けるという手段から、腕を切ることを覚えた。如何にも素晴らしい優しい言葉を掛けてくれた人もいたのに、全然響かない相手でごめんね。

そんな生活のある時、とあるシンガーのファンオフ会で何故かそのシンガー(女)のお気に入りだったらしい私。何を彼女が気に入ったのかわからない。お陰で「友人()」が増える増える。私も未だ純粋だったね。

そこで出会った当時23位のお姉さまに「誰からにも愛される私が憎い」と言われ結果として相手は此処には書けない色々をやるだけやって自殺未遂してくれるわ、腕から血を流す私を見た母に「床が汚れるじゃない!!!!!」と怒られるなど酷い目に会う。ぇ?警察じゃないの。と突っ込みながら、15歳にして初めて大人の明確な悪意に晒された私は憎しみという感情をゲットしました。そして意味不明にモテまくってたのが気に食わないのは構わないけど、何も知らないからって何言ってもいいと思うなよー。って思います。

どこら辺が、誰からにも愛されてんだ。表層舐めて理解された気になっても私はそこにいない。それは偶像です。

そして何故付き合ってしまったのか分からない、当時のエア彼氏1号ストーカー変貌やらメンタルがアウト気味の友人達が増えた。

今思うと、自分が幸せになる為の選択を全くしてなかったと思う。

メンタルアウト気味の友人達は結構亡くなりました。今じゃ大人にも注意して処方されてる様な精神科の薬も昔は未成年にもいっぱい出てたね。どこまでその影響かわからないけど。片手に収まらない数のさよならです。正直、精神科嫌いになったよ。大分長い期間。

ここで生き残った友人はとても大切だったけれど、彼もまた永遠の20代になってしまった。



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