見出し画像

大江戸線の素直な心

(「noteのcakes」アカウントにて、2019年2月7日に書いたものを一部修正したのち転載)

「お兄さん、終点だよ」。
突然の声にびっくりして顔を上げると、小さな体に不釣合いなほど大きなリュックを背負った小学生ぐらいの男の子が、目の前に立っていた。隣では、同じ年ぐらいの女の子が、警戒した面持ちで僕をじっと見上げている。大江戸線都庁前駅。光が丘へ行くために新宿駅で飛び乗った電車は、どうやら隣駅が終点だったらしい。つけ馴れない金属時計を指先でいじっているうちに、いつしかぼーっとしてしまっていた僕は、終点を告げるアナウンスに気がつかずにいたのだ。慌てて立ち上がり、荷台の上から会社のパンフレットがぎっしり詰まったビジネスバッグを取り出すと、怖いのを我慢して見知らぬ大人に声をかけてくれた子どもたちにお礼を言って、ホームへ出た。子供たちは、僕のすぐ後ろから飛び出るようにしてホームに降り立つと、改札へと通じる階段を、かけっこするみたいな全速力で駆け上がって行った。当然、男の子の方が早い。後を追う女の子の背負うリュックに結ばれた、名前の知らないアニメのキャラクターのストラップは、彼女が走るのに合わせて右に左に勢いよく揺れながら、徐々に遠ざかっていき、そのうち見えなくなった。

 光が丘行きの電車が到着するまで、あと5分もあったのでホームのベンチに座って待つことにする。深々と背もたれに身を預けると、疲れと眠気がどっと押しかけてきた。2月5日。僕は新宿で「東京新卒応援ハローワーク」主催で行われた、19年度大学卒業予定者と既卒者のための合同就職面接会に参加してきたのだった。普段あまり聞き慣れない名前の中小企業の説明会や面接を次から次へとこなすうち、やっと2度めの就活が始まったな、という実感が湧いてきた。昨年は、映画会社の文系総合職とIT系企業のSE職をメインに15社ほど受けてみたが、一番入りたかった映画会社の選考に落ちてしまってからは、積極的に選考に参加することもなく、行き先のないままに僕の一度目の就活はいつのまにか終わりを迎えてしまっていた。うやむやな幕切れだった。誰しもが経験し、どうにか落としどころを見つけていくはずの挫折を持て余したまま、僕は「新卒」の切符を手放してしまったのだった。

 大学を卒業する今年は同じ轍を踏むまいと、僕は1月中旬から大学のキャリアセンターへと面談に通った。そこでアドバイザーの方から勧められたのが、「東京新卒応援ハローワーク」だった。

 今日の合同説明会には、僕が二年間バイトとして働いていた食料品店の会社もブースを展示していた。その会社を受ける気はなかったが、なんとなく懐かしみを覚え、冷やかし程度にその会社のブースを覗いてみた。見覚えのあるロゴマークの大きく印刷されたパンフレットが、長机の上に堆(うずたか)く積み上げられている。その向こう側に、見覚えのある一人の若い女性が座っていた。彼女は、僕が働いていた頃に、新入社員研修として同じ店舗に在籍していた女性だった。高卒で入社し、僕よりも2つほど年下だった。入社したばかりで、仕事を覚えきっていない彼女に、僕は時々仕事を教えたり、ミスを起した時には代りに対処したこともあった。彼女は店にいた頃にはいつも髪を結わえていたが、今は髪を下ろし、随分と大人っぽくなっていた。なにより彼女の顔つきからは、店にいた頃の頼りない雰囲気は今や消え失せ、すでに人事担当としての自信と威厳を湛えていているのだった……どうしてだか、いたたまれなくなり、そのまま彼女に声をかけることもなく、早足でブースの前を歩き去った。

 「次は、終点。光が丘」

 そんなことを思い出しているうちに、いつの間にか電車は光が丘に到着していた。ホームに降り立つと同時に、構内に聴きおぼえのある軽やかなメロディが流れ、また新宿へと向かう折り返しの電車が動き出していった。この曲は、たしか「そして父になる」の冒頭で流れるピアノ曲だ。曲名が気になり、スマホで調べてみると、ブルグミュラーという作曲家が作った「素直な心」という作品らしい。ピアノの練習曲として古典的に用いられてきたもので、おそらく幼い頃にピアノを習っていたような人たちには馴染み深いものなのではないか。それにしても、妙に印象に残る曲だ。Apple Musicで聴きながら、地上までの出口を上っていった。

 光が丘は、子供の街だと思う。駅の周辺には、いくつもの団地と、広場や公園が広がっており、あちらこちらで子供たちが自転車に乗って走り回ったり、ボール遊びに興じたりしている。過去に僕は一度だけこの街に来たことがある。不登校児童施設の子供たちに、大学の釣り部に所属する学生の中から有志を募って釣りを教えに行くという企画に参加したのだ。大学三年生の時だった。小学1年生から中学3年生まで、年齢も性別も様々な子供たちを「としまえん」(冬になるとプールにニジマスが放流され、釣り堀に変わる)まで連れて行き、半日一緒に釣りをした。携帯ゲーム機の代わりに釣り竿を手渡され、最初つまらなそうな顔をしていた子供たちだが、一人が魚を釣り上げると、次第に一人、また一人と熱中していき、最終的にはほぼ全員が魚を釣り上げてくれた。子供らしい驚異的な飲み込みの早さで、釣りの基本を覚えてくれるので、教えるこちらも楽しかったのをよく覚えている。

 そんな子供だらけの街の一角に、3月からの僕の新居はあるのだった。駅から15分ほど歩き、新居に到着した。家賃3万8000円のシェアハウス。共用設備のシャワー、トイレ、キッチンを除けば、僕に許された領地は、家具もベッドもクローゼットもないがらんとした4畳半の一室だけ。学生になって計4回目となる引っ越しだが、その中でも最も狭い部屋だった。管理会社から渡されたチェックリストを片手に、部屋のすみずみを手で触ったり、エアコンやインターフォンを起動させたりしてじっくりと不具合の有無を調べる。と言っても、ものの5分で点検は完了した。

 新居にいたのは、ほんの短い間だったが、外に出た頃には、もうすっかり薄暗くなっていた。駅に向かって、もと来た道を戻る。せっかくなのでちょっと寄り道して、あの不登校児童たちのいた施設の前を通ってみることにした。そこは、とある団地の一階にあった。真っ白な光が外までこぼれ出ている。窓ごしに見る部屋の中では、三年前と同じように、様々な年格好の子どもたちが、カードゲームをしたり、携帯ゲーム機に熱中していた。しかし、その中にはもう、三年前に一緒に遊んだ子供たちはいなかった。

 あの子たち、今頃どうしているだろうか。ちゃんと学校、通っているんだろうか。個人的には、別にムリに通わなくてもいいと思うけれど。何か熱中できるものが一つでもあれば、意外と楽しく生活していけるというのは、短い人生の中で僕が学んだ数少ない知恵だった。願わくば、釣りにハマってくれていると嬉しいな、と思う。

 そんなことより、今僕がすべきは自分の心配である。今さっき訪ねてきたばかりの、新しい狭い部屋を思い出した。登っている最中なのか、それとも落ちてゆく途中なのか。いずれにせよ、今のところの僕の停車地は、あの寂しいぐらいにがらんとした部屋だ。あの部屋から、また始まる。新鮮な心持ちとは裏腹に、出した決意は凡庸だ。

 ただ、せめて真面目に生活しようと思った。誰に褒められることはなくとも、どれだけ打ちのめされたとしても。手を抜いていてはいけないな、と。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?