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母は母

数日前から母が緩和ケアに入院している。数年前、癌にかかっていることがわかり摘出したもののその後転移。でも母はもう延命治療はしたくないとのこと。ここ数日が正念場、とは医師の言葉。

正直いって私と母の関係は決していい関係ではなかった。特にここ数年は行き来がなかった程。それというのも母が私という存在を一人の人間として見てくれていなかったことに原因がある。

数年前あまりに理不尽な暴言を浴びせられた私は、それまでの母からの仕打ちも相まって、とうとう堪忍袋の緒が切れてしまったのだ。

1ヶ月半ほど前、弟から母の具合が悪く「容体が急に悪化するかもしれない」と医師から告げられたと聞いた。

今まで行き来しなかったのは「懲らしめよう」という気持ちからではない。私自身がまた母の暴言にあい、心がズタズタになってしまうのではないか、と怖かったことが母から遠のいた理由なのだ。

ここで会いに行って「また暴言を吐かれたら怖い」という気持ちと「ここでもし会いに行かずに母が亡くなってしまったら後悔するのではないか」という気持ちとが入り混じっていた。自分では決断できなかった。

「本当に会いに行かなくていいの?」と声をかけてくれたのは夫。私を一人の人間として見てくれていなかったとはいえ、母は母。夫のその一言が私の背中を押してくれた。

久しぶりに会いに行く前日、緊張しながら母に電話をした。「また怒鳴られるのではないか」という気持ちがどうしても消えないまま。

しかし電話越しの母はよく電話してくれたね、もう会えないかと思ったよ、と半分泣いているような震える声だった。私は拍子抜けして緊張が一気に溶けた。そして電話越しにもらい泣きしてしまった。

結婚してからも一人の大人として向き合ってくれなかった母。それによって私は何度も傷ついた。それでもやはりこの世に産んでくれたのは母なのだ。そのことに感謝して最期の日々を見守っていきたい。

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