「お産の待ち」は子育ての待ちに
ハヤシヨーコさんの
「子どもに時間をプレゼント」のインスパイア
されて
お産の時に子どもが(赤ちゃんが)出てくるのを待つ体験をするな~と思いだした。
このお産の時の『待つ』、終わりは(生まれるので)来るけど、どのくらい待つかは産みだす本人でさえ見当がつかない。赤ん坊から待たされる初めての出来事なのかもしれないな~と、思っていた。
そうして、いつとも知れない時を待ちようやく赤ちゃんと対面できるのである。
この時、
自分が主体で時間管理をするわけではなく、あくまで、赤ん坊(陣痛)と自分の身体のリズム次第ということになるのだが、これって、子育てを始めるのにすごくいい体験の第1ステップとなると思う。
今まである程度のキャリアを積んで、社会であるいは企業で男性と同じくあるいは男性以上に仕事してきた人にとって自己のコントロールを壊すというとても貴重な体験になると思うから。
『子育ては、子どものリズムで』『子どもからのサインやアクションをひたすら待つ。親のリズムで運ぶものではない』と知る最初のステップなんだな~と。
でも、実際そうは言ってもすべてそうできるわけではないけれども、このお産の待ちを経験するとこれからの子育てに子どものリズムに合わせていくというのちょっとできると思う。
実際の子育て中は、なかなか忍耐が(笑い)必要ではあるけども、待ちのお産が経験出来たらそれもできるはず。
実際、短気せっかちだった私は、3日間の5分おきの陣痛の間ひたすら歩きうつうつと眠り赤ん坊が出るために子宮口の開くのを待ち、赤ん坊が産道を降りてくるのを待ちそして出てくるのを待ったので、ほんの少しだけ、子育てに待つということができるようになったのかもしれない。若干だが。。。
ただ、ほかの人のお産の時に立ち会ったときに「待てる」というのは自分のお産の「待つ」をしっかりしたからなのかもしれない。
ふと、お産の待つに思いをはせて。
*子育ての「待ち」についてのハヤシヨウコさんの記事はとてもよくわかったし、素敵だな~と思ったので、読んでみてください。
https://note.com/45hayashi/n/nac1d1083452b
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