この本に込めたメッセージ~親の気持ちと子の気持ち~
虐待を受けた若者達の声を集めたドキュメンタリー映画“REAL VOICE”の上映完成会を観に行った際、楽曲を提供した加藤登紀子さんが「お母さん目線の気持ちで観てしまう」という話をしていました。今回、映画の中に親は登場していないのだけれど、後ろにいるお母さんの苦しみも見える、と。確かにそれは事実で、加藤登紀子さんって本当に感受性の強い人なのだな、と感じましたが、この問題は私の中でもひとつの大事な焦点だったので、今回の自分のプロジェクトの観点と絡めて改めて振り返ってみたいと思います。
世間では、「児童虐待」と言うと「ひどい親が子どもに暴力を振るう」というイメージが強いかもしれません。しかし、「虐待死」の内訳を見ると「心中死」の割合というのが非常に高いのです。昨年11月に開催された「子どもの虐待死を悼み命を讃える市民集会」で読み上げられた“子どもの虐待死”のケースの中身についてカウントしてみたところ、親によって命を絶たれた子どもは35ケース44人で、うち、心中関連死は13ケース19人と、命を絶たれた子の約4割を占めていました。つまり、親の方も何らかの苦しみを抱えて、「子どもと一緒に死のう」とするケースが、実はとても多いのです。
私自身は親から身体的な暴力を振るわれていた訳ではないのですが、母のメンタルが不安定で、幼い頃から父母の喧嘩も絶えませんでした。母は、自ら慕ってつきあっていた隣家のおばさんと、突然、口をきかなくなったり、よく自宅に遊びにきていた叔母(母の妹)を、激しくののしって追い返したり、家族ぐるみで付き合っていた友人家族といきなり絶縁したり、といったことを繰り返し、その都度、私も「付き合っていい人」が変わるので、いつも母の顔色を伺って行動していました。
色々と専門的なことを学んだ今となっては、母のメンタルの問題の根幹が、母自身の愛着障害に起因していたということを理解できるのですが、当時の私としては、母がいきなり怒鳴ったり、泣き喚いたり、相手を激しく罵倒したりすることに、非常に混乱していました。日常的に子どもにこういった争いの場面を見せて心的負担をかける行為は、現代の虐待の種別では「心理的虐待」にあたります。
その母が、ある日とても優しい声で私を起こし、まだ暗いうちに家を出て生まれて初めて新幹線に乗った日の記憶が、私の中で朧げにありました。遠い昔の記憶で、現実だったのかも定かではなかったのですが、暗くて重い母の表情と、真っ暗なトンネル。初めて見た大きくて広い海の風景が、夢だったにしてはリアルな記憶としてずっと私の中に残っていました。
気になりつつも、なかなか聞けないまま時が過ぎ、高校生の時に思い切ってその日のことについて母に尋ねてみたところ、「あの日、あなたと一緒にあの崖の上から飛び降りて死んでしまおうと思っていた」という告白をされました。
衝撃的な話でしたが、私が母の話を聞いて思ったのはただひとつ。
「生きられて本当に良かった」ということ。
死を意識するほど追い詰められた親に、子どもの気持ちに目を向ける余裕なんてないんですよね。でも、子どもには子どもの気持ち、子どもの人生があります。
「あの日」のことを「幼かった私」の目線で綴ったストーリーを伝えていくことが、生き残ることができた私にできることなのではないか。どうか子どもの命を奪わないでほしい。どうか子どもの気持ちに気づいてほしい。この絵本を作ろうと思った動機はそこにあります。
そして、虐待サバイバーの人達には、「生きられたこと、生き続けること」自体がすごく意味あることなんだ、と伝えていきたいです。「虐待の後遺症は一生続く」かもしれない。けれど、生きていれば希望につながる転機も訪れるし、色々抱えつつ、幸せになることだって、きっとできる。これが、やっと「今は幸せだな」と思えるようになった“アラフィフ”の私からのメッセージです。
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