8. クライシス … クンダリニー
クライシス … クンダリニー
クンダリニー
私という枠のたががはずれる
この頃、私の瞑想タイムは朝九時からおよそ一時間、日によって多少前後する程度、更に時間に余裕があれば随時座るという形で進んでいた。その日もいつものように座り、そろそろ終わりにしようと思っていた矢先の出来事だった。尾低骨の辺りにしびれるような感覚を感じた。同じ姿勢で座っていたせいで痺れてしまったのかなと思ったが、その感覚は少しずつ上に上がってきた。まるで尺取虫が背骨をゆっくりと這い上がるように少しずつ少しずつ…そして梵の窪から頭の中に入ったと思ったその瞬間、幾つもの光が私を貫いた!太陽が一度に幾つも幾つも光ったような、何本もの電線と電線がぶつかってショートしたような強烈な閃光が私を貫いた。何事が起きたのかわけも解らずその驚天動地に成すすべもなく動くことが出来なかった…。これが私のクンダリニーの目覚め、ヨガでクンダリニーと呼ばれるところのいわば、根源的なエネルギーの目覚めであった。
ここに来て始めて私は瞑想することの怖さとツラさを味わうことになった。今、私は思う。内なる導師もさる事ながら、所謂、「師」と呼ばれる存在が必要なのはこの時期を置いて他にない。この時期こそ導き手が必要なのだ。というのもその後、私は大変な時期をくぐり抜けなければならなかったから。辛い、あらたな時期が私を待っていた。
この夢が余りにもリアルで私はとまどった。夢であることはわかっているが、果たして本当にこれは夢なのか、それとも本当は現実なのか?考える間もなく次の瞬間悲しみが押し寄せてきて私を覆い尽くした。人類すべての苦悩とカルマが両肩に乗ったような底のない悲しみが私を押しつぶす、ああ、地球の重力に負けて飛び立てないでいるわたしたちは地中でうごめく蛆虫とたいして変わらない存在なんだ…ああ、なんと言うことだ…。泣いても泣いても尽きることのない際限のない悲しみが襲う…。夜毎その悲しみはやってきて私は布団で寝ることも出来ずに泣き暮らしたのだった。ああ、私はこの悲しみを知ってしまった…。
そして、あのパニック状態に突入、感情の嵐が吹き荒れた。それはまるで私という枠のタガが外れてしまったかのように、あらゆるものがなだれ込んで来て私を打ち砕く。ニュースなどを見聞きするといかりや恨み、悲しみのバイブレーションがそのまま自分の中に入ってきてとたんに落ち込み苦しくてたまらず、泣き、もがいた。また、きれいな花などを見ると見たとたん、家も木も草もどこもかしこも光を発して輝きその幸せに舞い上がるのであった。人の悲しみは私の悲しみであった、花の幸せは私の幸せであった。このような感情の振幅の激しさに振りまわされながら、この苦しみを何とかしたい、この悲しみを何とかしなければと、ある意味でその真相を体験したようであった。そして、時を同じくして私の髪の毛は何と白髪になってしまったのだ。
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