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東畑開人「贅沢な悩み 第8回 臨床心理学の二柱の神——生存と実存(承前)」(『文學界』)/村上春樹「河合隼雄氏との対話」(『約束された場所で』)
☆mediopos3523 2024.7.10 東畑開人が『文學界』で連載している 「贅沢な悩み」の第8回は 「臨床心理学の二柱の神————生存と実存(承前)」 前回までの連載については随時とりあげてきているが 今回で「序論」としての第1部が終わるにあたり やっと「贅沢な悩み」の位置づけが明らかになっている (ここからやっと新たな問いへと向かっていくようだ) 臨床心理学には「二柱の神」 「生存」と「実存」がある 「生存」は「いかに生き延びるか」を問い 「実存」は「い
釈徹宗「宗教と「笑い」(『群像』)/バタイユ「[非−知、笑い、涙]」/桂米朝・筒井康隆『対談・笑いの世界』/戸井田道三『狂言』/高橋睦郎『遊ぶ日本』/白川静『常用字解』
☆mediopos3511 2024.6.28 「笑い」は 時間を問われたときのように 問われないでいるときは だれもが「笑い」のことを識っているのに それを問い直したとき 「笑い」とはなにかがわからなくなる 私たちは日常的に冗談を言っては笑い 笑いたいがためにお笑いの芸を好んだりもする 「笑い」にはさまざまなかたちがあり カタルシスとしての笑いもあれば 冷笑といったような悪意をもった笑いさえあるが 釈徹宗は若松英輔との往復書簡 「宗教の本質とは?」において 桂米
岩川ありさ「養生する言葉〜アンラーンの練習 学びほぐすことと学び返すこと」/西平直『稽古の思想』/東浩紀『訂正可能性の哲学』/大江健三郎『定義集』/鶴見俊輔『新しい風土記へ 』
☆mediopos3487 2024.6.4 学ぶ「ラーン(learn)」に対して 学んだことを忘れる・離れる「アンラーン(unlearn)」 という言葉があるが クィア批評・トラウマ研究の岩川ありさが 『群像』での連載「養生する言葉」で 「アンラーンの練習————学びほぐすことと学び返すこと」 について書いている 岩川の学びかたはこれまで 「「物知りの人」に「正しいこと」を 教えてもらう態度にほかならなかった」が 「自分よりも上の世代の人たちにしか学べない という
三村尚央『記憶と人文学』/中村昇『ベルクソン=時間と空間の哲学』/ベルクソン『物質と記憶』/沢耕太郎『写真とことば』/ロラン・バルト『明るい部屋』/ソンタグ『写真論』/ベンヤミン『写真小史』/ゼーバルト『アウステルリッツ』
☆mediopos3451 2024.4.29 三村尚央『記憶と人文学』第一章 「写真と記憶、記憶の写真」から すでに本書は吉田健一『時間』とあわせ mediopos2397(2021.6.9)でとりあげているが 今回は写真との関係における「記憶」について ベルクソンをガイドに・・・ 「写真は一体何を写し出しているのか?」 写真が誕生して以来 繰り返されてきている問いである 一葉の写真には 「被写体」「撮影者」「鑑賞者」が 多様な関係で結ばれている たとえば過去
『ミリンダ王の問い インドとギリシアの対決』/『世界哲学史1』/『世界哲学史8』/納富信留『世界哲学のすすめ』/山川偉也『パルメニデス 』
☆mediopos3450 2024.4.28 『ミリンダ王の問い』という バクトリア周辺のギリシア王のミリンダと 仏教僧ナーガセーナとの対話が残されていて 「ミリンダ・パンハ」(パーリ語)と呼ばれる 仏教の外典となっている ギリシア人が最初にインドに赴いたのは 前五〇〇年アレクサンドロスの遠征によってだが それから二〇〇年近く経った前二世紀半ばに 上記の対話が行われたとされ テクストの原型が成立したのは 前一世紀前半から半ば頃と考えられている ミリンダ王は 「「あ