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近現代史・地政学(My favorite notes)

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近現代史・地政学をテーマにしたお気に入り記事をまとめています。スキさせて頂いただけでは物足りない、感銘を受けた記事、とても為になった記事、何度も読み返したいような記事を集めました…
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#海軍

薩摩偉人伝 ~ 東郷平八郎

1848年1月、東郷平八郎は、西郷隆盛や大久保利通が生まれ育った薩摩藩城下の加治屋町に、薩摩藩士の四男として生まれました。 幼少の頃は、辛抱強い子として西郷隆盛の弟・吉次郎から可愛がられていたそうです(西郷隆盛とは、20歳年下になる)。 1856年、島津斉彬公が水軍を創設したとき、父から「将来は水軍に進め」と諭されました。(以下、文字削減のため「である」調・敬称略で記載) 薩英戦争に従軍 1862年、 島津藩の行列を横切った英国人が殺傷された生麦事件を機に、翌1863年

ふるさと再発見 〜 海軍の秘密基地

今回は、「ふるさと再発見」と題して、我が故郷・熊本についてのご紹介です。 熊本県は、外洋から離れた九州の真ん中に位置し、自称「海軍通」の私自身、長らく「熊本には海軍に関する遺構はない」と思っていました。 ところが数年前、熊本県南部に位置する球磨郡錦町に、かつて「山の中の海軍航空隊」と呼ばれた秘密基地があったことが分かってきました。 本稿では、およそ6年前に、この地に建てられたミュージアムについて紹介し、後半で基地建設に至ったナゾに迫りたいと思います。 ミュージアムの概

日本海軍発祥之地「美々津」を訪ねて

今回は、宮崎県北部の太平洋に面した日向市美々津町と、日本海軍発祥にまつわるお話となります。 美々津(みみつ)という地名は、その昔、神武東征(注1) 御舟出の港として御津(みつ)と呼ばれていたことに由来するそうです。   (注1) 神武東征については、こちら☟ 日本海軍発祥之地 神武天皇の皇軍は、現在の宮崎市にある皇宮屋(こぐや)(注2) を発ち、日向市にある美々津の港から船に乗り、瀬戸内海から紀伊半島方面を目指しました。 (注2) 神武天皇が東征するまで過ごした宮居の跡

トルコ記念館を訪ねて

9月16日は、オスマン帝国の軍艦「エルトゥールル号」が、和歌山県・紀伊大島の沖合で海難事故に遭った日で、今年で133年になります。   事故現場に近い和歌山県・串本町では、例年、トルコ軍艦遭難慰霊碑前においてエルトゥールル号追悼式典が行われています。 この事故で、600人もの乗員が嵐の海に投げ出されましたが、地元住民が献身的に救助したことで69人の命が救われました。   それから95年後の1985年、イラン・イラク戦争が勃発した時、テヘランに取り残された多数の日本人をトルコ

海軍特攻隊の面影が残る鹿屋より

澄みわたる青空とそよ風の中 30数年ぶりに串良平和公園を訪れました   階段を上り、慰霊塔の前に佇んだそのとき まるで何かが憑依したかのように   「こんな国にして済まない・・・」と呟き むせび泣く自分の姿がそこにあった 正直、自分でも驚いた そして、「こんな国」とは いったい、どんな国のことだろうか・・・ 戦争が始まり、戦後が始まった場所 鹿児島県鹿屋市には、戦時中、笠野原・串良・鹿屋の3つの海軍飛行場がありました。   中でも鹿屋飛行場は海軍航空隊の司令部が置かれ、1

江田島と旧海軍兵学校

数十年ぶりに江田島を訪れました。私にとっては懐かしい場所ですが、以前と変わらない風景がそこにありました。今回は、江田島と海軍兵学校についてご紹介します。   江田島について Yの字の形をした江田島は、広島湾に浮かぶ瀬戸内の島のひとつです。江田島市を構成する江田島、東能美島、西能美島は、元々は別々の島でしたが、埋め立てが進んだ現在は陸続きのひとつの島になっています。 昔、干潮時には浅瀬伝いに跳んで渡ったことから、江田島と能美島(注1) の境目には飛渡瀬(ひとせ)という地名が残

横須賀からみる日本開国史(後編)

前編では、浦賀・久里浜方面を中心に黒船来航から日米和親条約の締結と鎖国の終焉に至るまでのお話をしましたが、後編では、横須賀が近代日本海軍の拠点となっていく姿についてお話していきます。   1 江戸末期 (1) 海軍建設への動き 黒船来航を機に、幕府は海を越えてやってくる脅威に本腰を入れて対応策を考えるようになります。   沿岸部への砲台建設だけでは不十分で、新たに軍艦を建造するとともに、これらを修理する本格的な造修施設や、担い手となる技師・乗員を育成する教育機関の必要性を痛感