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これまでの日記を読み返してみた〈孤独と渇望〉

こんにちは。三連休ですね。私は仕事先の専門学校の期末テストを作ったり、揚げ出し豆腐を作ったりしています。何かを生み出すっていいですね。揚げ出し豆腐は生み出された瞬間口の中に消えていきました。休む時間が増えるほど心が豊かになる気がするのは気のせいでしょうか。月に3回くらい三連休があればいいのに。

連休中に、ふとこれまでに書いた日記を読み返してみました。手書きのノートなんかは、書いた時の私が思わず込めてしまった怨念のようなものが張り付いている気がして、すぐに閉じてしまったのですが、スマホに残していた日記の方は、まだデータだけなので手書きほどの念力は感じませんでした。

残しておきたい文章は載せていけたらなあと思っているので、少しずつ抜粋、編集して載せていこうと思います。


〈孤独と渇望 (23年11月)〉

久々にすごく孤独になった。他人と本当の意味で分かり合える人なんて、そうそう多くないんじゃないか。家族、友達、好きな人と分かり合える瞬間とかも、本当は奇跡だ。普通に考えたら、みんなそれぞれ違う人生を生きていて、違う立場から物を見ているんだから。それを想像や共感、情報で補填するって凄いことだ。

(中略)

誰かを思う幸せも、思われてる幸せも、それがない時があるから幸せだと感じられるわけで、寂しいとか辛いとか、何も得ていないことへの渇望とか も、それがあるから渇望を忘れた時に浮き足立っていられる気がする。

何もかも元から当たり前に手にしている立場の人間には分からない、ぐつぐつ煮えたぎるような嫉妬も、今ここから消えたって誰も悲しまないだろうと思うような寂寞も、ふと気が緩んだ時に襲いかかってくる。でもそれを感じる瞬間が相対的に多いと、それを感じるセンサーや語彙が増えてきて、創作や自己表現の場面で活かせたり、他の人にちょっと優しくなれたりするんじゃないかと思う。

当たり前に何もかも手にできる人たちとは違って、「自分にはこれが無い」と1個1個数えるような夜だったけれど、きっとそれも、この先解像度高く知覚する、伝える才能があるってことだ。無いものばっかり数えるのはやめよう。


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私は日記にもタイトルを付けたいタイプなのですが、アプリでタイトルを見ながらスクロールしていると、この尖ったタイトルが目に入ったので読み返してみました。
夜中になると、心の闇というか、深淵を覗いてしまって、泣きたくなる夜がたまにあって、浸れる音楽を聴きながら日記を書いています。そんな日の日記でした。孤独も渇望も、前に進むエンジンに出来ればこちらのものですね。

では、皆様もよい休日を。深淵を覗くことがありませんように。

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