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ブラックエンジン、ホワイトエンジン


人が行動する時のモチベーションには2種類があって、その1つをブラックエンジン、もう片方をホワイトエンジンと呼ぶらしいです。

ブラックエンジンは、「あの人が羨ましい」「自分にはこれがない」「早くどうにかしなければ」などの不安や恐れからくる動機で、
ホワイトエンジンは「自分の大切な人に何かを返したい」「誰かの役に立ちたい」など、感謝や貢献からくる動機のようです。

この情報に何度か私は救われてきたのですが、上のようなブラックエンジンって、気づくと出力してしまいませんか。

基本的に現代社会では、「この日までにこれをしなさい」という期限が、日々自分たちを追いかけてきますよね。「この日までにこの書類を出さないと」とか、「市役所に行かないと」とか、「資料を作らないと」とか。

そういうものがただ自分の原動力になって、それのおかげで順調に日々必要なタスクを解決していけるならば、それはとてもありがたい仕組みだと思います。
が、私の場合、一度そんな「追い立てられる感」を感じてしまうと、それにばかり目がいって、それをしない間も窮屈な時間が増えて、
例えば一度「追い立てられる感」から逃げてしまうと、どんどんその義務感が増幅していくような気がするのです。

あと、私の経験で言えばですが、先日の記事で書き連ねた「恋愛への飢餓感」なんかも、それで「綺麗になるぞ!」と自分磨きに一念発起したとして、それを何とか習慣化してみても、ふとした瞬間に現状への飢餓感や羨ましさが襲ってきます。

これらはきっと、ブラックエンジンの副作用なんじゃないかと最近は思います。義務感が自分を追い越していく感覚です。「〜にならなければ〜ではない」「この日までに〜したかったのに出来なかった」、そんな感覚を数えているうちに、自分ってダメだなあなんて思えてくるのです。恐ろしい。諸刃の剣ですね。

そこでホワイトエンジンの登場です。「1日後の自分のために出来ることは何か」、「その時間を使って誰のために何ができるか」などをあえて考えてみます。

そうすると、意外とそれまであった義務感や、「自分が報われたい」という感覚などがどうでも良くなって、すっとしんどい状況から抜け出せたりするのです。一瞬悟りを開いたような感覚に陥ります。私は高次の存在。

私はこの概念を知るまで、ブラックエンジンにフォーカスしてばかりの状態で生きてきたような気がします。これからはその時間を取り返すかのごとく、ホワイトエンジンまみれの人生にしていきたいと思う今日この頃です。

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