教育格差を無くすために
持続可能な教育とは何だろう。
塾の同僚の「教育業界は金になるから、最近投資家が目を光らせている」という言葉に、ふと違和感が頭をよぎった。私が引っ掛かったのは「金になる」という言葉の方だ。
金になる、とはつまり誰かからお金を奪っている。家庭教師や塾で、会社に属して指導する際の報酬は、大抵マージン(=手数料)を差し引かれている。会社によっては、差し引くマージンの額は五割を超える。講師の私は毎月給与が振り込まれる度に思う。このマージンはいったい誰に分配されているのだろう。役員への報酬か、会社の広告費か、維持費か。勿論それも会社にとって必要なものだということは分かっている。それでもこんなに毎月引く必要があるものなのかと、働いているうちに疑問に思えてくる。
実際に生徒さんに授業をしているのは私達だ。親御さんにとってはその授業や学習の管理の「質」が全てだが、今いる会社では、その「質」を保つ総監督のはずの教室長の業務が追い付かず、授業の管理まで手が行き届いていない。彼らは毎月の新規生徒募集ノルマを掲げられ、そちらの回収に必死である。結局当該生徒を担当する私達が、授業の進め方や宿題を考えるようになり、それが常態化している。それなのに、何がマージンだ。立場上親御さんに言うことはできないが、「仲介手数料が多すぎます」「お金が何割か無駄になっていますよ」と言ってあげたい。
「貧しい人から大学教育を無くすことが持続可能な社会への一歩」と言う政治家がいたとして、知識や思考力が貧しいままでは、何故その発言が恐ろしいかを考えることができない。教育を受ける権利が平等にあると謳われた社会で、会社の維持のためのマージンを払う余裕のない人たちは、学校教育の質が悪かったり、学習量が追い付かなかったりするだけで、学習内容を補填する機会を失ってしまう。
持続可能な社会にするには、たくさんの人の経験から培った思考が必要だ。思考を培うためには知識や論理、思考回路が必要だ。それらを鍛えるためには教育が必要だ。その教育の機会に恵まれるチャンスを無くさないことが、私たちの未来を多様にし得るのではないか。教育格差を無くすには、格差の起こり得る事例を集めて、その差を埋めていく他ない。まず現状を知ることが、格差を無くす第一歩になる。「じゃあマージンを無くすには?」を考える側になりたい。教育の機会を増やすために。
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