海外大学の視点と比べても国立大学の値上げに(一部)反対します

カナダで日経オンラインを読んでいるときある記事が出てきました。

面白い記事で戦後の大学の在り方や、先進教育にかかるコストなどを交いながら、今後の国立大学の変化を指摘しました。

他の記事を見比べても、非常に賛否両論があるトピックですので、私は現在学んでいるトロント大学と比べてこの国立大学の値上げに(一部)反対するアイデアを書き留めます。

(一部)反対とは、ある程度の値上げに賛同するということです。
つまり、私自身も国立大学の学費が年間約52万では世界と比べて安い(ヨーロッパは無料なの除く)と感じます。

参考までにトロント大学では国内大学生の年間学費が約7000~8000カナダドル(約75万円)です。
アメリカの異常な学費とは違い、福祉に厚いカナダでも日本の国立大学より学費が高いです。

しかし、学費だけで日本と海外を比べるのはかなりナンセンスです。
まず根本的な教育構造が違いますので、伊藤公平・慶応義塾長の発言、提案には反対します。

何が違うのか?

ヨーロッパは大学が無料です。
これは、国民の税金で賄われ、大学の数が少ない(私立大学が無い)ゆえにできる事です。

日経の記事にあるように日本は、私立大学が教育の大衆化に貢献し、少ない国立大学がある一定の伝統とブランドと化し、エリート育成の国家機関の役割を果たしました。

ですから、日本において大学の無償化はよほどの金持ち県(東京しかない)でしかできません。だから、東京だけ無償化の話がでるのですが、そもそもの構造がちがうので私は反対します。

トロント大学は世界でも18位の大学ですが、私の意見からすると学生はそれほど大した能力を持っていません。私も知識や能力も大学の名声並みに持ち合わせていません。
では、人口や経済規模が少ないカナダが大学教育分野において世界的に大きな評価を得ているのはなぜでしょうか?

そもそものシステムが違う

良き研究機関、ランキング上位の良き大学とはつまるところ金がある大学のことです。これらの大学は入試試験が無く、内外大量の学生を受け入れています。

トロント大学は世界屈指の金持ち大学です。
国内生は75万の学費ですが、

海外留学生は60000ドル、約600万円以上の学費を一年ごとに払うのです。


カラクリ

日本と海外の一番の違いが、留学生の数です。
私が所属しているトロント大学では52993人の国内生がいて、23068人の留学生がいます。

留学生も主な内訳は、インドが一番、次に中国、アメリカ、韓国、香港です。
約50%の学生が留学生ですから、年間に支払う学費は大企業並みの金額となります。

そして、その大部分のリソースは大学院に当てられます。

つまり、学部にはあまり当てられていないということです。
私の視点からして、大学は学部に対して、かなり厳しくしているように思います。
例えば、一年生はオンライン授業がほとんどで、テストも課題も実験’もオンラインでした。かつて、パンデミック中にオンラインが主流でしたが、現在でも続いている部分があります。
そして、講師が大学院の院生でした。
なかには、英語が変な院生もいたり、適当に授業を流す院生もいたので、苦労しました。
学部生を大量に受け入れて、授業をあえて難易度の高いレベルにし、一定の成績に届かなければ足きりされます。

対して、大学院の力の入れようは凄まじいです。
競争率が高く、席も限られています。
現在、研究室でボランティアとして活動していますが、世界中から選りすぐりの天才達しかいない感じです。
(日本人も学部では見なかったが、院では結構いました)
そして、高度な教育を与え、最新の機器を使い放題ですから、先端研究を主導し、ランキング上位に貢献しているのです。
学部生の学費を院生に使っているのが海外大学です。

実験室

このような現状ですから、世界では大学院を得て一人前の風潮があります。

結論。値上げに賛成だが、全てを変えなければならない。
”値上げ”の文字が一人歩きしないように気を付けて文章を書きましたが。
実際に伊藤氏の値上げに対するメリットが現状では全くないので、
値上げに見合うメリットを享受するために帰るべき部分を書き記します。

値上げに必要なこと


留学生を大量に受け入れる
試験を撤廃する

院生を重視する(毎月、給料をやる)
大学の公用語を完全に英語にする
国立大学の学費を70万程度にする
オンライン化を進めて教授の負担を減らす
国に頼らず大学自体の資金能力を増やす(ファンドや企業と協力など)
18歳のみならず、どの年齢層でも大量に受け入れる

これでもしなければ、値上げの意味はないと思います。

第一に政府に頼らないはずの私立が、国立大学教育の質向上に値上げを要求するのは変だと思います。
18歳人口の急減や人材ニーズの変化で私立が不利になるのなら、それまでの教育が国立と比べて間違っていることを意味します。
奨学金と言う、もはやカナダでもアメリカでも”運”の要素が強い制度に全ての望みをかける意見は大いに間違っています。

なぜ150万の数字がでるのか、しっかりとした説明が欲しいですね。

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