葬送のフリーレンにハマってる話

葬送のフリーレンが好きすぎる。
感想がとまらない
ので書き留めておきたい。

フリーレンは「主人公」なのだが
こんなにも主人公らしくない
主人公も、珍しい。

「冒険物語」で
「勇者一行」
といえば、
方向性はどうしても狭くなろう。
例えば
「友情!努力!勝利!」
…とまでは言わないが、
すくなくとも
「主人公=正義」とするならさ。
「敵=悪」になるからさ。
作者の「何を正義として何を悪と捉えてるか」
という思想が物語のベースになりがち。

たまに主人公らしくない主人公がいる。
王道の勇者冒険漫画も星の数なこの時代
意表をついた設定が面白い系。
最初からチート並の能力者だとか、
逆にまっったく能力が無いとか隠してるとか、
あからさまな正義感が無くやる気ゼロとか。

とはいえ
「卑怯なズルはしない」
「大切な仲間を見捨てない」
「分かり合えないはずの敵の心を変える」
など、正義の王道だな〜って行動は
外れることはむずかしい。
なぜなら「悪」に対して
「正義」であらねばならないから。

ところがフリーレンである。
この全てにおいて逆を行く主人公は
本当に珍しいんじゃなかろうか。

フリーレンは、勇者一行だし主人公なのに
魔族を騙すために100年単位で魔力制限という
「魔法愚弄する」(フランメ曰く)ほどのズルを
初登場からずーーーっと貫いてる。
ずっとズルい。すごい。

仲間はぜってえ見捨てねぇ!
みたいなトコも無い。
実力不足で足手まといになれば
見捨てる覚悟である。(見習い魔法使いの
実践での死亡率を
ハイターにちらつかせるあたりガチ)
フェルン…よかったね。
ハイターもそれ解ってて計ったんだわ。多分。
最終的に無駄死にさせるほど邪悪じゃあないから
もちろん助けてはくれるんだろうけども。
基本ひとりで大丈夫派。
そんな主人公滅多にいない。
パーティーを離れる仲間にもサッパリしてる。
ザインはもちろん引き留めずサッパリ別れるし
よくよく見返してみると
アイゼンを旅に誘ってるのよね。
でも行かないって言うからやはりサッパリ引く。
仲間ならいつまでも離れるな〜ズッ友だぜ〜
の圧力が無くて、本当に心地よく観れる。
関わりを無理強いしない軽やかさが
大人の余裕を感じる。
さすが千年以上生きる者。痺れる。


「分かり合えない敵に見える魔族に対し
誰よりも冷酷でわかり合おうとしない。」
である。すごい。
ふつうはさ、主人公が一番最後まで
正義の元に情けをかけるもんじゃないんかね?
ヒンメルしかり…そういう
正義感のココロ?みたいなもんに
心打たれる展開が王道であろう。
しかし主人公はあくまでもフリーレン。
魔族=「人を解ろうとしない生き物」
に対する冷酷さがものすごい。怖いほど。
そこまでせんでも…て周囲が思ってようが
フリーレンはぜっったいに容赦なく撃つ。
この芯をついた「悪」判断に心底惚れ惚れする。

フリーレンは
もう一度ひとりで旅をやり直すことから
この物語がスタートする。

勇者一行の旅では
フリーレンはもしかしたら
「悪」に対する興味しか
なかったのかもしれない。
「魔王=悪を撃つ」という
共通の目的があるから一緒に旅をした。
故郷の村を焼かれた。
「悪」に対する嫌悪としての「正義」は
持ち合わせていた。
だから勇者一行と旅をしただけ。
共通の目的のため。

今回のフリーレンが主人公の物語では、
フリーレンはヒンメルの死によって
新しく何かを知ったんじゃないだろうか。
「関心」とかそういう方向の
なにか暖かい感情。
これが旅の目的になっている。
「関心」がもしこの旅の目的としたら、
「正義」の反対は
「悪」ではなく
「無関心」ということなのかもしれない。

この物語を通じてなんども出てくる
ヒンメルたちが「忘れられていく」様子、
山小屋で出会ったいにしえの勇者モンクを
フリーレンでさえ記憶にないという
勇者たちの功績の「忘れさられる現実」。
なんとも言いようのない淋しさが漂う。
これらにあらがうように
フリーレンは「自分が覚えてつれていく」
と言いながら旅を続けている。

今回の旅は
フリーレンにとって
勇者一行の旅と
全然ちがう動機によるものだと思う。

それはまさに、
魔王なき平和な世にふさわしい

わかりやすい悪がなくなったいま
失って気付きはじめた
なにかを突き詰める旅。

フリーレンが勇者一行との旅を通じて
きっかけを得た「ゆらがぬ正義」が
「思いやりや愛といった
他人に対して関心をよせる感情」だとすれば
それに対する敵となりうるのは
「無関心」だろう。

無関心といえば
フリーレンが腑を煮え繰り返して嫌悪する
魔族もまた、人間の痛みに無関心で
同族に対してすら無関心で
「自分以外の存在に無関心」なのだし
勇者一行での旅ではフリーレン自身もまた
「旅の仲間に無関心」だったのだと
自分がヒンメルの死によって悟ったのだろう。
フリーレン自身がエルフは生殖本能が皆無だ
と語るとおり、これは恋だの惚れたはれたの
レベルの物語ではなさそうだ。

目にうつる全ての世界に
無関心であることこそが
破滅を呼ぶおそろしい「悪」につながる。

自分だけではなく自分以外の
こと、もの、ひと、全てに
心を寄せること、関わること、
一見つまらないほど平凡な地味な
意味なさそうな無駄そうな時間が
平和を守る繋ぐ「善」につながる。

悪を撃つことは正義なのか。
撃つべき悪が消えたら何が正義なのか。

正義とは 辞書で調べてみたら
…正しい道理。人間行為の正しさ。
と出た。

フリーレンは、まさにこれを
得ようとしているのではあるまいか。

もしかしたらフリーレンは
深い「正義」を体現する
超王道の冒険物語なのかもしれん。
その「正義」が他と毛色が違うだけで。

私のおもう「正義」っていうのが
いかにイメージだけだったか、
いかに浅かったか、
いかに暴力的だったか、
いかにステレオタイプだったか、
思い知るような心境でいる…しびれる。

あんだけ「主人公らしくない主人公」って
言ったけど、
不思議と心地よく深くどっぷり浸かって
安心感さえ覚えてアニメを観れるのは、
フリーレンが旅で体現することに
深い共感を感じるからなのかもしれん。
正義を成す者という意味で、
フリーレンほどの主人公おらんのかもしれん。

やばい、この雰囲気の善悪感ほんと好き。
「愛の反対は憎悪ではない、無関心である。」 なんか昔マザー・テレサの言葉あったよね。
まさにコレじゃん?
いつも思うんだよね、敵に対する「憎悪」で
闘っちゃってる時点でどっちが善とか悪とかじゃ
なくてもはや戦争と同じことって。
どちらにもそっち側の正義があるってだけでさ。
もちろん冒険の主人公に感情移入はしつつ、
ただただ暴力と殺戮が繰り返される漫画の
ページをめくりながら(なんだかなぁ…)て感覚。

フリーレンもさ、
「悪」と戦ってはいるけど
今回の物語はそれが本筋ではなく。
フリーレンが
自分自身のこころに「世界に対する関心」
を得る物語なのかもしれない。

ここまで全て完全なる私的な妄想ですが。


地味で誰にも注目してもらえないような
時間の無駄としか思えないような
平凡で些細な関わりを地道にコツコツ
丁寧に対応できる人間ほど
強くてすごい人間はいないよな…と
今までの人生ふりかえって思い返してる。
日々の自分のしがない日常の苦労を
フリーレンが肯定してくれている
そんな気がしてる。勇者みたいなどデカい
大活躍なんてしたことないけど、
真の勇者は「そういうんじゃない些細な」
やつのことやで…みたいなこと。

シーズン2が
放送されるまで何回でも何回でも観たい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?