TooMuch"Love" will kill U?【下書き後悔中】

※最終更新:9/30
大好きな*Freddie*と"Love"について個人的な思いを自由に綴ってる文章です

相変らずのまだ書きたい事がありすぎて収集ついてなくて「下書き」公開でごめんなさい。


Artは誰のもの?

歌は、作者の「想い」が詰まったものであるけれど
更にそこに「歌う人」の想いがあって
それを受取る、「聴く人」の想いがある

わたしは、それぞれ、全てが大切な宝物だと思っています。

それも、聴くタイミング、歌うタイミングによって
想いも感情も様々に変化する
大好きな曲は何度も聴くし
聴く度に色々考えたり思い出したりする
『Too Much Love Will Kill You』は
私にとってそんな大切な一曲です。


TooMuch"Love" did kill you...

私が追悼の想いでこの曲を聴く時
FreddieMichaelJohnGandhiを想いながら聴く時
それは彼の人生を想う時間であり
彼がひとびとに与えてくれた素晴しい愛を想う時間であり

そして、その死を想う時間です

その死を引き起こした、原因、
そこに関わる様々な人々の「想い」を


I've been lookin' back to find WHERE I went wrong...?

最近、とある方の人生の話を伺いました
お母様を小さい頃に亡くされ
お父様が再婚された女性はとても嫉妬深い方で
両親、実母の兄弟、義母の兄弟、同じ屋根の下、結構な大人数
家族内で兄弟げんかやいじめや
色々あったけど義母の嫉妬が引き金となって
自分の一番の味方だったお姉さんも若い内に亡くなり
(残念ながらお父さんはこどもの味方をしてくれませんでした)
その方は結局家を飛び出し料理店で学んだりしながら
自活の道を探し武道に魅せられ来日し
日本で逢った女性と結婚し
結婚当初はお互いがお互いを支え励まし合えるいい関係だったけれど
次第に、
噛み合わなくなって、
子供もいたけど離婚する事に

その人はその人なりに精一杯頑張ったんです
妻との関わりも、子供との関わりも

結婚する時、最初に伝えたんです
「僕は、君の事を愛しているけど、仕事も大好きで、
色んな人と会う時間も必要、
そしてひとりの時間も必要としている人間なんだ」


でも、理解してもらえなかった
「いつも一緒にいてくれない事」は
妻にとって耐えられなかった

子供は怒って、ゲームの世界に引きこもってしまった
どんなに話しかけても、無視して会話してくれなくなった

彼は酷く傷つき
今も、ひとりになると、別れた奥さんや、お子さん
亡くされたお姉さんや、義理の母やいじわるな兄弟との
様々な想い出に思いを馳せているんだな

と、その方と何日も話をする内に気付きました

そして私自身も
離婚経験はないけれど
意図せぬ事で相手を傷つけ嫌われ
断たれてしまった関係
それによって私も深く傷ついた事

わりととくよくよ思い出します

あの頃は楽しかったのにな、と

How would it be if you were standing in my shoes

ところで、「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」の完結編と銘打たれた2巻が発売されましたね。

作者のブレイディさんが、NHK SWITCHインタビュー 達人達
sympathyとempathyの違いを説明されてました

empathyは「相手の靴を履いてみる事」

同情や共感じゃなくてもいいので、
「相手の立場に立って考えてみる事」
イギリスのリアルな多様性社会で成長していく息子さんから
empathyこそがとても大事、と教えられたと

同僚から
「クビになった音楽のヤツのイジメも凄い酷かったんでしょ?」
って言われた夜、疑問を覚えググりました
そして、7月末までの期間限定公開だった、
ライターではないけど少し編集に関わった方が書かれた当時の経緯と、
「雑誌掲載ページそのままの写真」に辿りつき読みました

いやぁ「一次資料に自分であたる」って本当に大事ですね!!

って事を知ってたからこそ一次資料に辿りつくまでググりまくった訳ですが。
以下、私が自分で読んで感じた事です

・小山田圭吾さんは、『知的障害』という事をどう受け止めていいか戸惑っていたけど、なんだかんだ言って友達が好きだった
・障害がある方との遊びは、今ならイジメとなるようなイタズラもあった
・イタズラは小学校とかまでで、成長したら、ティッシュBOXをあげるような仲、年賀状を貰うような仲だった(そしてその年賀状を小山田さんは今も大切に保存している)
・大人になった今でも、会えるなら会いたいと思って今回対談を受けた

・一番問題となるハードなイジメは障害のある友達の話じゃなく、
 「怖い先輩」が同級生(多分健常者)に行った物であった、
 小山田さんは、「こぇええええ」って横で見てた

・そもそも「いじめ紀行」というタイトルは、肩にコンパスを突き刺されるようなハードなイジメを受けていた、イジメ被害者である新人ライターが
「なんでいじめってなくならないんだろう?」
「いじめってエンタメ性があるからじゃないかな?」
「いじめ被害者と加害者が大人になってから対談できないかな?」
って考えて始めた企画
…なぜ、自分をいじめたいじめ加害者に自分で会いに行かなかった?
…多分一番の理由は「無名の人の話では話題性がなく雑誌に載らない」だろうけど。
・炎上した原因となったのは、上記雑誌からよりセンセーショナルに、ミスリードするように切り張りされた、個人のブログ記事発端

さて、ここで私はstanding in his shoesしてみました。

もし、私が、その「障害をもつ方」の立場であったなら…?

いや、そんなの絶対小山田くんの事大好きですよ!!!!!!

だって、
辛いのは、
無視される事、
近づいたら逃げられる事、
腫物を扱うように扱われる事、
ドジ踏んだ時激しく叱られたり詰られたりする事、
出来ない事を「やれ」と無理強いされたり無理な要求をされる事、だから。

…もちろんこれは、「私の考え」であって、
実際の方の感想ではありません。

私は、小山田さん自身の本当の環境が一体どうであったか、
は存じ上げませんが、

時代を遡れば遡るほど社会が「性/下品に対しておおらか」になって行く事を知っています。

なぜかと言うと、かなり古い漫画や古い映画も遡って見ている、読んでいるからです。
専門家ではないので教育史を正確には存じ上げませんが、「性教育」も、遡れば遡るほど遅かった、特に女性は無知が良しとされ、下手すると「結婚してから夫に教わりなさい」だった、という事も知ってます。

ギャグマンガとかで男児下半身丸出しドーンとか、婆ちゃんと銭湯入って乳が、とか、スカートめくられて「きゃっv」とか女性の服ビリビリ「いやーん♪」とかあったし、少女漫画で「赤ちゃんはこうのとりさんが…」とかのごまかし方とか、お転婆さんが当時海外で流行り始めたビキニを真似して学校のプールにブラと水着で飛び込んじゃう!やだ!とれちゃった!あーん見ないで~>< みたいなシーンが、こう、きゃっきゃと描かれていました。無邪気に。もちろん漫画の世界、ドラマや映画の世界なので、実際とは違いますが、作者の感覚として「それが楽しい世界」、そしてそんなものの雑誌連載が許される世界、つまり読んで喜ぶ人がいる世界だったんです。そもそも私が知ってるって事はそれなりに売れた古い漫画です。古本で立ち読み、とか友達に貸して貰って、とかが多かったので。

過去に遡れば遡るほど、「立ちション」とか「道端につばを吐く」とか、マナーも悪くなるし、衛生観念も悪かった。
幼児の用足しも結構道端や水場で堂々とお母さんがさせてたと思います。因みに何歳までを「幼児」と判断するか、もお母さん/地域の常識次第。
幼い頃の私の写真で、プールですっぽんぽんな写真とか残ってますし。

道や公共の場所/公園などの汚さは、過去に比べて随分と綺麗になったなって思います。今も普通にポイ捨てする人とかいるけど、数十年単位で考えれば、減っていると思いますし。あと、私は、個人的に手が空いてる時は通勤などの移動ついでにゴミ拾いしたり、ゴミ拾いボランティアに参加したりもしています。一日一善。宝くじ当たらないかな(←よこしま)。

オーストラリアに行った時、ご年配の方から、小学校の時流行った「日本のドラマ」の話を聴きました。確か邦題「隠密剣士」60年代の白黒TV時代劇で、オーストラリアの小学校で忍者ごっこが大ブームに。でも、木に登ったりしたら危ないって事と、何より
温泉シーンで、主人公と男児が真っ裸で一風呂浴びてるシーンが
公序良俗に反する!!!はだかなんて!!!!!!!ってPTAの大ブーイングを喰らって、オーストラリアに一大論争が起こった、というドキュメンタリーを見せてもらいました。あと人気すぎて日本から主人公を来豪させて大歓迎していました。空港に待ってる大勢の熱狂。
尚、その方が一番好きな映画は「バットマン」で、「バットマンは忍者修行してるんだよ!」って、シリーズ何作目かの、ヒマラヤっぽい所で、からくり屋敷っぽい建物内で、鎧っぽい衣裳で、修行してる回を観せてくれました。Ninja人気です。
…「当時」の「日本」と「オーストラリア」の「公序良俗観念」が違った、という話でした。

あと、個人的な体験としては、男子校文化を連綿と受け継ぐ学校に入学したので、「公序良俗」に反しない、つまり「プライベートな空間」、「女子の見ていない空間」で、葉っぱ隊的なおバカな事を男子みんなでやって笑ってた経験とか、私はあるんです。

一次資料である雑誌を読んで、私が一番気になったのは、小山田さん自身の小学時代の感覚
「学校で大便するヤツはいない、転校してきて早々学校で大をした、それもトイレまでの道のりにズボンやパンツを脱ぎ散らかしながら」
…小学校で大便する子って変ってたかな?自分は小学校で友達が大をする事に対して、そんなに気にかけてたかな?
答えはよく解らない、というか覚えていない、です。
覚えていないという事は、私に取って「繰り返し思い出すような重要な事」ではなかった、という事だと思います。
動物である限り、排泄って本当に大事なので、大も小も我慢しない方がいいと思うんですよね。

因みに、ズボンやパンツを脱ぎ散らかした事ってありますか?

私はあります。

学校などの公共施設ではなく、自宅で、ですが。
凄い我慢して、ギリギリになって、色々となりふり構ってられなくて、とりあえずトイレに到達するまで、粗相だけはしないよう締めながら、しかし表面を覆う布類は取り払う必要があり…というなりふり構っていられぬ経緯で。
特にお腹くだしてる時とか、辛いですよね。

転校早々、緊張したんじゃないかな?

でも、とにかく小山田さん達にとっては理解できないセンセーショナルなデビューで、多くの同級生が、「どう接していいのか解らない」ってなったのかもしれません。

無視されるって、避けられるって、辛いですよね。

正直、小山田さんが小学校の頃の「ふつう」は私自身が小学校の頃の「ふつう」とは違うな、とは思うのですが…
まぁフル○ンになるなら、出来れば一緒にやって欲しかったなって思います。そもそもそんなになりたくないけど。
あと黒板消し煙幕ダンボール役も交代でやって欲しいなって思うけど。勿論健康に悪い事はそんなにやりたくないけど。

でもね、小学生の純粋な好奇心、「これをやったら、どうなるんだろう?」っていうのも解るんですよね。自分じゃできないけど、あいつならできそうだ、やって貰おう、っていう。
しかし小学生の頃の小山田くん、「自分がやりたくない事」は基本誰に対しても託しちゃダメ!…って事を、教えてくれる人が周りにいなかったんだろうな、というのが私の勝手な想像です。
先生が椅子に座る瞬間に椅子引いて尻餅つかせたり(反省してすぐ止めた)、ひざかっくんされたりしたりしてた、元イタズラ小僧であった私のね。私がバイトで小学校の教員補助行った時は、プールで大量の子供に乗っかられ溺れそうになりながらも「うおりゃー自分で歩けー!」ってやったし、スリッパ隠されてどうすっかなって思ったら有志のこども達が一緒に探してくれて、最終的には隠した子達自身が「ごめんなさい、でも何で怒らないの?」って持ってきてくれましたよ。いやだってスリッパって学校のだったからそんなに困らないし、自分がいたずらっ子だったから、イタズラが甘えであったり好奇心であったりする事が解るんですよね、怒るほどじゃないって。そして久々の給食は美味しかった…教員さんから「え?そんなに?ほんとに?美味しいですか?」って言われてなんか色々余ったのとか貰った。かたじけなし。

…今唐突に思い出しましたが、小学校の頃「転校生」に声を掛けるのは大抵私がトップでした。そして私と友達になった上で、私経由で他の子達と仲良くなって行き、一番合う子を見つける、みたいな経緯が数回あった気がします。我ながら「偏見」や転校生への「恐れ」がない子供だったのかもしれません。あと好奇心旺盛。さすが漫画力。転校生漫画とか小説も読んでいました。

そんな私が、一番「繰り返し思い出した事」、つまりずっと後悔し続けている事があるんです。私は結構用務員さんと仲が良かったのですが、親が「用務員ってのは高卒でしょ?関わるのやめなさい!」と言った言葉を

そのまま用務員さんに伝えてしまった事です

深く考えず伝え、あっ傷つけた!って思った瞬間酷く後悔しました。あまりに後悔したので確か中学になってから謝りに行きました。小学生中には謝れなかった…ずっと後悔してた。そして、謝った後である今も、やっぱり後悔してるし、あの時の自分自身を、差別という行為を赦していません。
と、同時に、あの時の自分が「無知」であったように、差別を行う人々、いじめを行う人々がそれぞれの事情を抱えている事を考慮に入れなければいけないと思っています。単純に「悪」と決めつけ、憎しみ、罵る行為もまた止めなければいけない、と。

時代を遡れば遡るほど、社会が性/下品/暴力に対しておおらかになるのとは真逆に、性犯罪、児童連れ去り、児童虐待、親によるこどもへの精神的DV・「しつけ」と言う名の押し付け・虐待、は数多く行われていました。ネットが一般的でなかった頃、小学校教員という立場にあった私の親は、一般的な親よりずっと多くの児童被害情報に晒されていて、怖かったのだと思います。

あなたは「いじめる側」の靴を履いてみた事がありますか?

私は「いじめ紀行」を読んだ時、ライターさんの靴、小山田さんの靴、小山田さんの友達の靴、友達の親御さんの靴、いじめを受けた同級生の靴、
そして「怖い先輩」の靴を履きました。
私自身が同級生からいじめを受けていた頃、家族からの虐待にも苦しみ、毎日復讐を考えたり、自殺を考えていた頃の靴、は履きませんでした。

「怖い先輩」はなんであんな酷い事が出来たのでしょう?

もし、その先輩が、家で、日常的に親から性的虐待を受け、それこそが「しつけ」だ、「親の"愛"」だと親から言われていたとしたら…?見た目が怖い事や、年齢が周囲と違う事で、周囲から避けられ逃げられている事に傷ついていたとしたら?誰からも愛されず、逃げる場所もなく、孤立し、人生を変えてくれるような素晴しい人や出来事にも会えず、理不尽な暴力を受け続ける…そんな人が、この世界にはいるんです。

因みに私の恩師は少年院で芸術表現を教えるボランティアをしていました。
彼ら、彼女らのこころの中は、自己否定でいっぱいだったそうです。
「生まれてこなければ良かった」そんな苦しみでいっぱいでした。

あなたは、「自分はこんなに苦しい思いをしてるのに、なんであいつは自分より○○なのに、人生楽しそう/金もってる/モテてるんだろう?」って思った事、ありませんか?

私は元自爆テロ犯のドキュメンタリーを見た事があるので、彼らがいかに社会から孤立していたか、いじめられていたか、を知っています。
個人的に、加害者というのは加害者である前にまず被害者であり、怒りや恨みに目がくらんだ時、"正義"という名の加害行為が行われるのだと感じています。

さて、小山田圭吾さんがこんなに批判を浴びたのは何故でしょう?

わたしは、わたしが大好きな*Freddie*や*Michael*を苦しめた原因を、
決して赦さないんです。



TooMuch"Love" will kill you if you can't make up your mind

私の「いじめ紀行」の解釈を読んで違う、と思われた方、是非ご自身の意見をnoteやTwitter始め、オフラインで友達や家族との会話でもいいので「表現」してみてください。音楽表現でもいい。

今回、私が良かったな、と思っているのは「障害」「いじめ」について様々な人が様々な立場から意見を言った事です。

障害を持つお子さんが「多様性理解の為にうちの学校に来てほしい」って言われて「僕は教材じゃない!」って言った事には「ほんとにな!」って思ったし、
障害がある友人のお母さんから「うちの子をよろしくね」って言われて「私は専属お世話係じゃない!他の子とも遊びたい!」って思った話は「そうだよねー」って思いました。障害がある側としても嫌々遊んで欲しくなんてないし。
あと、障害者学校の中でも様々な障害の度合いや、「期間」があり、時には障害者同士のいじめもあった話も読みました。

ネットがなかった時代、それは今より「隠蔽」と「偏見」が強かった時代です。

障害がある子を産んだ事で、周囲から偏見を受けたお母さんは、
こどもを「普通」にしたいと出来ない事を叱り飛ばした親は、
世間から「障害者」を隠した家族・親族はどれ程いたでしょうか?

そもそも「障害」とは何でしょうか?

私は、中学校に上がった時、小学生の時から習い事で一緒だった友が、友の小学校では「変なヤツ」「たまに頭のオカシイ事をするヤツ」と思われている、という事を知り驚きました。
私の中では、普通の、気の良い友だったのですが、「肌が弱くてすぐ赤くなる疾患がある」「体格が細くひ弱に見える」「声が少し高い」どうやらそんな事で、ハブられる扱いをされる事が多かったらしく、「あいつ急にすげー声で追いかけてきて怖い」なんて事がある意味「伝説」になっていました。理由を本人に聞いたら、確かロッカーに閉じ込められたか何か意地悪されたので怒って追いかけたとの事。

中一の時、その友と同じ部活で、大会前に私と友が外されました。理由は「下手だから」。全国大会とか狙う様なガチな部でも大会でもなく、言ってしまえば「発表会/練習試合」みたいな参加する事に意義がある系の会だったので、外されるのはおかしい、と私は感じました。個人的に私は先輩方にとって態度のでかい目障りな存在であり部長から凄く嫌われている事を自覚していたので、顧問に退部願いを出すと共に「我々が外されるのはおかしいと思います」と訴えた所、顧問はそもそも誰かを「外す」事を知らされておらず、友も無事に大会に出れる事になりました。
私が恨みを買うのは納得が行くのですが、友が外されるのは全然納得がいかなかった。私と友達であるっていうとばっちりもあると思うけど、他にも部活内に友達いたし。
結局私は大会前に部活を辞め、その友とはクラスがずっと違ったので、相変わらず週一の習い事の時や、たまに廊下などで会った時の付合いになりました。大会に出れるようになった!お前もやっぱり部活続けろよ!と嬉しそうに報告してくれた時は良かったなって思いました。そして後に風の噂でその部長が家出騒ぎを起こしたと聞き、部長の家も大変だったのかな、とぼんやり思いました。

そんな友との想い出で、やっぱり後悔している事があるんです。一度、いつだったか忘れたけれど、わざわざ私のクラスまで来て、私から見て少しビビる程ベタベタして来た事があって、クラス中の注目を浴びるのが怖くて、少しつれなく追い返してしまったんです。実際自分がどんな事を言ったかとか正確には覚えてないし、その後も習い事でいつも通りの付合いが続いたのですが、あの瞬間、自分自身なんだか苦い感情だったし、今思えば、何かいじめられたりしてのSOSだったのかもしれないな、と。

「いじめは、傍観者もいじめる側」とは言いますが、
実際「目の前」で「明らかな暴力行為」でも起っていない限り、中学生の自分には友がどんな思いで毎日を送っているかなんて察する事が出来なかった。何より私自身も陰でいじめを受けていて、自分の事で精一杯、友にも親にも打ち明けられなかった。そして「自分がうけているいじめなんて、他のハードないじめと比べたら大した事ない、こんな事くらいで親や友に言うなんてカッコ悪い」と思っていました。辛かったのにね。そして家族から受けている虐待については無自覚でした。「普通の家」だと思っていました。生まれた時からそうだったから、そんなものだと思っていたんです。

大学の初めの頃、夜にたまたま自転車で通りがかった人通りのない公園で、木の陰で、親が裸にした小学生を叱っている、という光景を目撃しました。今なら迷わず止める為に声をかけるか、通報するのですが、その時は本当に「それは躾なのか?虐待なのか?」が解らなかったんです。私自身、尻を叩かれる、長時間正座させられる、夜に家から長い事閉め出されるなどの"躾"、感情的に怒られる、泣いて謝っても長時間全く許されない事は本当に良くあったので。まぁ私の場合は「一世代上」の兄弟が積極的に親と喧嘩してくれたお蔭で「反面教師たち」として観察できたし、色々ズル賢くなって怒られるのは小学生位まででしたが。社会的にも今ほど「親」による「子」の虐待が言われておらず、「死に至るほどの肉体的な攻撃」や「性的虐待」があれば虐待、という認識でした。心の虐待については全く認識されていませんでした。…この「認識」というのも個人/地域によって差があるのですが。

小山田さんが、私より世代が上なのに、私の「ふつう」より大便に関する認識、そして小学生なのに空気読み合ってる感じがこう、より「上品」だなと思って調べてみたら、やはり小山田さんは都会の方でした。私は田舎出身。尚、ネットのお蔭で情報共有が進み、格差が少なくなったとはいえ今でも地方と都会の意識格差はあります。
とある地方都市に行った時、でかでかと看板に「こどものわがままを許すな!!」と書いてあって、この街で育つ子供は本当に大変だろうな、としみじみ思いました。周辺には新興宗教の本部及び寮などもありました。
また、最近某温泉町で、セクハラ被害を訴えた女性議員が逆に訴えられた男性町長指導の住民投票でリコールされる、という事件がありました。セクハラが本当にあったか?は裁判で争って貰うとして、報復リコールに住民それも男性も女性も両方が賛同する、という事は、ナチスの時代と同じ、大政翼賛会の時代と同じ、「全体主義」であり、回り回って住人自身の首を締める事になる、自分達自身が「恐怖」を、「反対意見を出しにくい空気」を作り上げている、という事に気付いていないのは、特に地方には教育が行き届いてないから起る事だな、としみじみと思いました。まぁ古くから街を盛り立ててきた、伝統を守ってきた住人としては「セクハラ裁判」自体が「自分達の顔に泥を塗られた」「とんだ恥晒しだ」という事で立腹で報復したかったのだとは思いますが。この「良いイメージだけを対外的に保ちたい」という「隠蔽体質」こそが、結局は自分の首を締める、という事にはなかなか逆説的で気付けないんですよね。

私が生まれた地域は高度成長期に拓かれた新興住宅地で、住人はほぼ核家族、親はそれなりに収入があった為、私の小学校は穏やかでしたが、件の友人の地域は、すぐ隣なのですが、もう少し「都会」で、駅が近く、低賃金収入者の集合住居や、「昔ながらの大家族」など、ご家庭の収入/形態に格差がありました。ストレスも偏見も多かった事でしょう。子供はある意味親の偏見や暴力をそのまま映す鏡なので。勿論私のように自分で疑問を覚え勉強し、変えて行こうとする人もいますが、勉強の大切さを誰からも教えて貰えなかったら、勉強を馬鹿にする環境で育ったら難しいと思います。

個人的に「いじめ紀行」を読んで、私が真っ先に思い出したのは、あの時あの瞬間の「後悔」でした。

なので、久々に友人に年賀状でも送ってみようかな、と思いました。そして外出できるようになったら、お茶かご飯にでも誘って、あの頃の話をしてみたいな、と。
おまえさ、あの時何か困ってなかった?
気付いてあげれなくて、支えてあげれなくてごめんね。
実は私もいじめられてたんだよ。
ごめんね。
私もまた、本当は弱かったけど精一杯強がってる中坊だったんだよ。
そんな話ができるといいな。

小山田さんも、ご友人と会えたらいいですね、いつか。


And the pain will make you crazy, You're the victim of your crime

ある日、長い事連絡をとっていなかった友からの連絡が通知されていました。
内容を確認したら、それは友人からではなく、友人の親御さんからで、

内容は友の死でした。

睡眠薬を容量以上に飲んだ事による、"事故"死である、と。

小中と同じで、お互い漫画が好きで、漫研も一緒にやってて、一時期はネタや愚痴を書いてツッコミ合う交換ノートもしてた、とても仲の良い友人でした。高校からは別で、その頃私は携帯電話など個人連絡ツールを持っておらず疎遠になったけど、大学で実家を離れた際に携帯を持ち、帰郷した際にたまたま道で数回会って、その際に連絡先を交換していました。

最後にばったり道で会った時、福祉施設で働いていると言っていました。
働き甲斐はあるけれど、時々、結構辛いと。

一番辛いのは「障害のある方の付き添いで電車に乗る事」

彼ら、彼女たちは、身体は大きくなっても心は純真な小さなこどものままで、自分の興味のある事をずっと呪文のように呟いていたり、小さな何かに興奮して急に大きな動作をしたり、大きな声を出したり…公共の場における「マナー」を守るのは難しいんです。そして、それを付き添う人が抑える事もできません。

そこに集まる「視線」「空気」が辛い、と。

友人は、学生時代、私と同じ所謂「陰キャ」「教室片隅系」、つまりあまり目立ちたくない性格をしていました。髪型/髪色・制服もきちんと規定を守っていました。個人的にはその中でもセンスが良くて容姿も整っていてカッコイイなと勝手に思っていたのですが。絵も上手かったけど漫研は片手間の掛け持ちで、本命の部は全国大会でトップ系の厳しい部に所属し、早朝練習などしんどいって言いながらもきちんと真剣に取り組んでいて本当に凄いなと思っていました。
私は、基本は目立ちたくないけれど、自分が納得いかない時には正面切って先生や先輩に質問/反論するような性格でしたが、友は「和」「空気」を大切にする優しい性格でした。そんな友がとある物語で、「主人公の友人」の行動に感動して交換ノートにこんな感想を書いていました。

初めての戦いの時は主人公を一人置いて逃げ出した。
でも別の戦いの時、自分じゃ絶ッッ対勝てない相手に、主人公を助ける為に向かっていった。主人公のように、「勇気のある者」と、同じことを、勇気のない人がするには、2倍も3倍も、勇気を出さなきゃならない。それって、本当に、勇気のある人だな、と思う。

人とくらべたら、ふつうかもしれないけど、
自分の中では、とっても大きな勇気なんだ。


本当に。

友は、どれほど「とっても大きな勇気」を振り絞っていたのでしょうか。






【下書き中:続き執筆したいとは思ってます!maybe】


かつての私と同じ辛い思いをしたファンの方々へ…

好きなものはあなただけの宝物
だれに否定されたって
作者の暗黒面が判明したって
作品を好きでいつづけていいんだよ
だってその作品と共に歩んだ
あなたの「時間」の輝きは
大切な大切なあなただけの想い出なんだから


差別/いじめ絶対赦さないマン(私)が書く人生の乗り越え方↓
ほんまおおきにさんどした

コロナ禍早く終わらせたい方向け記事↓
陰キャの私が世界中どこでも友を作る単純な戦(略)

コロナ禍を始めとして全ての禍を無くしたい記事集↓
LoveChangesEverything

*Freddie* I Love You ForEVER !!
作者であるBrianVr.も血を吐くほどお勧め

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宝くじは地元で買うと決めてます。 確率は何処で買っても同じ、地元で買えばそのお金は地域を良くする事に使われる→即ち自分に還元されるので。誕生日には一年生きれた事を感謝し地球環境保護系団体に寄付します。地球が良くなる事はつまり自分に還元される。あなたの幸せは私の幸せ。長生きしてね。