見出し画像

孤独の沼で溺れ死ぬ

私が孤独なのはすべて自分の責任だと思っている。

実際に、こまめに連絡も取れない、人の誕生日も忘れる、海外に住んでるのに英語は満足にはなせない。
見た目も綺麗ではない。ユーモアもないし気も遣えない。

でも、だめだ。文句ばかり垂れて、内に閉じこもっていたら!
そう思って、少しでも前向きな行動を、と、今日はソーシャルイベントに参加してみた。

結果としては、「なぜ自分が内に閉じこもるのか」の理由がより明確になっただけだった。

能力不足のコンプレックス


まず、海外にいるこの状況で、圧倒的に英語ができない。
自分でも、なぜ仕事で英語のミーティングを曲りなりにでもどうにかできているのかが疑問に思う。どうにかできていないのかもしれないけれど、ある程度トピックが分かっていて、ゴールが見えていれば、なんとなく進めていけている、という状況だ。
日本で働いて、TOEICのスコアはそこそこ取れて、出張ベースでお客さんと話ができて、しかもそれらを英語留学の経験も帰国子女などの背景もない自分ができるようになった。「自分はまだまだだ」と謙虚にいようと努めてはいたけれど、やはり少し思い上がっていたところがあるのだと思う。

ドイツにきて半年以上。
ここ最近の私はというと、会話するたびに聞き返される、自分が意図した内容と異なる形で受けとられる、気の利いた返答ができない、周りの日本人と比べてもかなり劣った英語しかしゃべれない。
特に、日本人がいる場で、私の英語だけ聞き返されると、「仕事で来てるのに全然英語しゃべれないなんて、まじ?どうなってるの?笑」と思われてるのでは、とかなり焦る。
日本人がいなくても、だれからも彼からもそのように思われているのではないか?と心臓がバクバクいう。
自分の周りの人間が、揃いも揃ってそんな性格の悪いことを考えているのではないか?と思う時点で、私の方が相当性格が悪い。

だらだらと書き連ねたけれど、つまるところ「自分がいかに能力が低い人間か」と思い知らされて、端的に言って落ち込んでしまう。
もっと面倒くさいのは、だからと言ってそれをばねに努力をしないところだ。一生そこで燻ったまま悲劇のヒロインを演じていろ、と言いたくなる。

バランス感覚がない、バランスが取れない

分かりやすく言うと、「夏休みの宿題を最後にやるタイプ」。
つまり、計画性もなく、その場の勢いに任せる。
けれど、冒頭でも書いた通り、私はこまめに連絡を取ることが苦手だ。
予定を決める、などの必要性があるときは努力するが、なんともないやり取りはすぐに返信を返さなくなってしまう。
ひとつ言い訳させてほしい。定期的に、「気持ち的にどうしても返答ができない」という波がくるのである。
ラインなどのメッセージアプリを開こうと考えるだけでも、どうも吐き気がしたり、気が狂いそうになって叫びだしそうになることがある。多分、この感覚は理解されないと思うし、私自身意味不明だな、と思う。
そうこうしているうちに、連絡無精の自分からは人が離れていく。
連絡返してくれない人って不安だし信頼できないよね。わかる。しょうがない。相手は悪くない。

さて、そんな私が、勢いで「友達作りを頑張ろう!」と行動し始めるとどうなるか。
一度にいろんな人との交流をはじめ、最初は頑張るが限界が来て、そして疎遠になる、というパターンである。
わたしはこれを、とりわけマッチングアプリで繰り返している。

成長しない自分を直視することになり、落ち込む

総じて私は同じことを繰り返している。
だから、「私は行動したところでうまくいかない」「こんな不誠実な人間が人と繋がれるわけがない」「やっぱり私が独りぼっちなのは私がダメな人間だからだ」と感じることを繰り返し、負の記憶を何度も何度も再生産して、自分がいかにダメか、いかに人に好かれるに値しないか、「だからそのまま独りぼっちなんだ」という根拠に足る事実をずっと集め続けている。

この中身がない文章を読んでいただいた方がいるかはわからないけれど、ここまで読んでいただいた方はわかると思う。私がいかに「自分のことしか見えていない人間か」ということが。
そう、わかっている、頭では。こうして自分のこと、見え方ばかり気にしているから、「コミュニケーション」が取れないのだということを。
丁度今日、メンタルヘルス関連の記事を読んだ、「コミュニケーションの始まりは好奇心から。好奇心があれば、少ない会話でもより前向きな関係性になれる」と。
それを読んで、今日は頑張ってみようと思ったんだよなぁ。でも、第一関門の語学力コンプレックスで一気に駄目になった。いや、言い訳かぁ、これも。

無理して変わる必要はないのかもしれないけれど、多分私は今、変わる努力をしたほうがいいんじゃないのかな、と思っている。
努力といっても泥臭い根性論ではなくて、ここで私が思う努力とは「失敗しても自分を責めないで、繰り返し繰り返し外へ出て、徐々にでも自分を慣らしていくこと」だ。
いま、失敗経験ばかり集めているし、うまくいかなかったことだけを頭の中で何度も反芻している。
一方で、思い返してみれば、こんなダメダメな私にも優しくしてくれる神様のような人はいて、でもそれはきっと相手が神様だからだけではなく、月並みだけれど「相性」もあるのだと思う。
だから、何度も挑戦して、「失敗だけでなくできたこともちゃんと認める」こと、「自分にばかり目を向けず、相手への好奇心をもって接する」ことを何度も繰り返してみる努力は、惜しまないで続けてみようと思う。

自分のことばかり考えてしまう性格も、プライドばかり高くて中身が伴わない人間性も、もう30年も生きてきたから早々治らないだろうけれど、外に出て傷つく方が、ひとり家のベッドでネットサーフィンしたり、「またマッチング解除された(あってすらない相手に)」と泣いているよりはましかもしれない。

この記事が参加している募集