見出し画像

頭の中が「食べたい」の4文字で支配される時

私が過食してしまうのはそういう時です。

カウンセラーさんに、「過食する時としない時の違いってなんですか?」とよく聞かれる。
多分、掘り下げればもっと沢山あるのだろうけれど、端的に言えばこうだ。
「頭の中が、『食べたい』の4文字で埋まっている時」「どんなに逃げようと思っても、ほかのどの感情よりも『食べたい』が勝っている時」

大袈裟にいうと、漫画やアニメのエフェクトで効果音が書かれるじゃないですか。ドキッ!とか、ソワソワ、とか、ガーンとか。
そんな感じで、頭の上に白抜きゴシック体太字で「食べたい」って浮かんでいる感覚。

そうなると、どう頑張っても逃げられないし、最初は「せめて美味しく楽しく食べよう」と思っても、次第に「とにかく詰め込むこと、食べる手を止めないこと」が最優先事項になってくる。

少し話は変わって(余り変わらないかも)、今私は食べたいもののことを沢山考えている。それは過食欲ではないけれど、健全な食欲でもない。
あれ食べたいな、そういえばこれも食べたいな、あれも、これも…全部食べたい、とにかく食べたい、でもきっとそれでも食べても食べても食べ足りないんだろうな。そう考えてしまっている。

今の気持ちと、過食に走る時の感覚と、カウンセラーさんと話したこと、色々調べたこととをまとめて考えてみると、私の過食は「足りない穴を埋めるために食べてる」ということなんだなぁと改めて感じる。
埋めるために食べても本当に埋めたいものは空腹じゃないから、どんなに食べても満ち足りない。
他に自分をいたわる手段は沢山あるんだけど、手軽でわかりやすいんだよね、食ってやっぱり。

あと、苦しくなるまで食べ続けること、その後吐こうとすること(私は吐こうとしてもなかなか吐けない。幸か不幸か)、下剤を使ってそのお腹の痛さにある種の安心を覚えるのは、ひとつの自傷行為の側面もあるのかもしれない。
どこかで、苦しんで、痛めつけて、自分を責めて、それでやっと「好きなように食べた自分」との均衡を取ろうとしているのかもしれない。
そう考えると、食べ始めると「食べなきゃいけない」って強迫観念のように思い続けるのは、「胃が痛くなるまで食べて、苦痛を感じるまでしないとお前は許されないからな」って思ってしまってるのかもしれない。

意味の無い話。午前5時のひとりごと。
眠れなくて思考ばかり浮かんでぐるぐるしていたので、どうせならと書き残してみたのでした。