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どんな体重でも生きてる

何を言っているんだろうこの人は。
そう思う人が沢山いそうなタイトルだと思う。
でも、私は大真面目に、そして大発見みたいにそう感じた。

5月に入ってこれまで以上に過食が続くようになってから、体重を測るのは控えていた。
最後に測った時は、過食嘔吐したあと、2週間前。
昨日は過食して、お昼すぎから夜まで食べ続け飲み続け、お腹が苦しくて寝られなくなるほど。
まだお腹の重さが残っていた今朝、なんとなく、測ろうと思ってしまった。そして、測ってしまった。

昨日の食べっぷり、にもかかわらず吐くのを我慢したからか。2週間前に比べて3キロも太っていた。
この数字を見るのは1年振りくらいか。昨年の秋に過食が落ち着いて、それに伴って体重も落ち着いてからは、なんとか載らないでいられた数字。
(その間も過食が酷い時期はあったし、落ち着くまでは体重計に乗らないようにしていたので、実際にそこまで増えていたことはこれまでもあったのだろうけど)

体重を測った理由は、「そろそろダイエットしないと、永遠に太り続ける気がする」と思ったからだった。
そのために、食事や運動記録のアプリもダウンロードした。いざ体重を測ってみて絶望した。本気のダイエットを『しなければならない』という使命感に駆られた。明日も明後日も、これから毎日体重を測ろう。食べたものと運動内容を記録しよう。早く、早く痩せなければ。

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でも、同時にどこかでほっとした自分がいた。「あ、もう怯えなくていいんだ。」と
もちろん、ここからさらに太り続けることへの恐怖は十分にある。けれど、達して欲しくなかった数字を見て、ずっと恐れていたことが目の前に現れた時、「もうそうなっちゃったから、どうしようもないよね。」とどこか冷静になっていた。

とはいえ、私はダイエットを『しなければならない』。ただ、寝不足でキツイ運動をする体力は無い。本当はギリギリまでごろごろだらだらしていたいけど、とりあえず朝食前にウォーキングしよう。
何とか起きあがり着替えて、朝のまだ少し肌寒い天気のなかを歩く。

そうしているうちに、「あ、もういいんだ。」と思う自分がどんどん強くなっていった。
むしろ、きっとまだ収まらない過食を抱えて、どんどん増えていく体重を毎朝見れば、きっと『さらに太り続ける恐怖』の方がどんどん強くなっていってしまうんじゃないか。せっかく「もう怯えなくていい」と思えたのに、また怯える理由を自分で作っていってしまうんじゃないか。

ダイエットサポートアプリはアンインストールした。怖くて載っちゃうかもしれないけど、「やっぱり体重計はしばらく封印しよう」と考えを改めた。

体重を気にする割に別段体重が軽い訳でもない私。
顔も可愛くない、頭も悪い私は、今以上に太ったらもっともっと価値が無くなる気がしている。
今の自分が-100だとしたら、今以上太ったら-5000くらいになるんじゃないか。みたいな感覚がある。
でも、たったの2週間で一気に増えた事実と見たくなかった数字を見て思ったのは、「何kgになったって多分私が思うより周りは気にしないし、世界は壊れないし、私は生きてるんだ。というか、生きてくしかないんだ。」ということだった。
太るくらいなら死にたかったけど、太ったくらいで死ぬのは勿体ないと思った。

こんなことを書いて、今晩も過食するかもしれない。毎日過食が止まらないかもしれない。太り続ける恐怖の方が勝って消えたくなるかもしれない。服が入らなくなって死にたくなるかもしれない。
次の瞬間、私がどう考えているかは分からない。前向きな言葉を書いた次の瞬間には明日が来ることを怖がっているかもしれない。
でも、せめて今この瞬間考えていたことだけでも、「こう考えた私がいたんだよ」ということだけでも残しておきたくなった。

今日の私は「明日過食しない私のため」でも「過食が治まって痩せた数ヶ月後の私のため」でも無くて、「今日の私のため」に生き抜くのだ。