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他人にどうこう言われることがアホほどいやだ

こんなこと思うだなんて傲慢だ、と思うし、そう思われることも怖いけれど、正直に言うと、「他人に指示されること」は好きではない。
それが自分にない視点だったり、答えを求めているときであればありがたく受け取ることはできるのだけれど(と、言っている時点で自分を美化しようと努めている自覚はある)。

私が「いやだな」と感じる話し方について

例えば、ただ話を聞いてほしいだけのとき。
例えば、そのことについては自分がさんざん考えを巡らせて、すでに答えにたどり着いていた時。
例えば、自分はそのことについて十分な知見も経験も持っていた時。
他人から「こうすればいいんじゃない?」「それはこうするのがいいんだよ」と言われると、無性にイライラする。もう、異常なまでに。
(そんなこと知ってるよ)(もう私だって十分そのことについて考えたよ)(なんで自分のほうが分かってるって思えの?)が頭の中でエンドレスリピート。つまるところ、そういう言い方をされたとき、自分が下に見られたととらえて、身構えてしまう傾向があるのだ。

じゃあ、自分はどういう話し方をするのか

なお、ここまでの話は、「このような話し方は悪だ!」という主張ではなく、「私はそういう話し方に対してこのように受け取ってしまう」という感じ方の話である。
じゃあ反対に、私は人に対してどのような話し方をするかを振り返ってみる。
私の場合は、人から相談を受けた時、ひたすら聞いて、同調して、アドバイスを求められたとき以外は「こうしたほうがいいよ」と言うことを極力避ける。
なにか答えが欲しい人からすると、かなり回りくどくて、いやな聞き手だろうなと思うけれど、私はどうしても人に「こうしたほうがいいよ」ということが苦手なのだ。
これは、「私が間違えたアドバイスをしたらどうしよう」「この人はすでにこのことについて考えていたかもしれないのに、私がそれについてアドバイスをするなんておこがましいのではないか」と思ってしまうから。
つまりこの話し方は、相手のことをおもんぱかっていというより、自分の考えに自信がないからという無責任な理由による。

どちらがいいではなく、考え方の問題

きわめて月並みな見出しになってしまったけれど、要はそういうことなんだと思う。
わたしはここまでの話で、すぐに「こうしたほうがいいんじゃない?」という人に対して話し方を改めてほしいとは思っていない。
反対に、私の話し方のほうはダメだから、直していかないといけない、とも思ってはいない。(もう少し、相手が求めている言葉は何かに敏感になる必要はあるかもしれないけれど。)
それを踏まえたうえで、今の私に必要なのは、「この人はこういう話し方をする人で、きっと自分の話を聞いてもらうときももう言う回答を求めていて、だから『ああしなさい』『こうしなさい』って言われた時も、私は見下されている、と考える必要はないんだ」と理解することだと思う。
理解する、というか、しっかり自分の心に落とし込むというか。

たぶん私は、どちらが良い悪いとかではなく、単なる考え方の相違なのに、自分が否定されたと感じてしまうことがすごく多い。これ以外のことにも。
だから、「私を否定しないで」「私を認めて」って思ってしまっていつも苦しい。
ただでさえ自分を否定する癖がついてしまっているので、すこしでも否定する要素を、こうして一つ一つつぶしていけるといいねって思う。