私と声までの道のり~停滞期

小さい頃から、争いごとが大の苦手だった。

友達間で問題が起きると、いつも間に入る調整役。

一人っ子だったので、誰かとけんかをしたこともない。

友達は多かったし、誰とでもすぐに打ち解け、どこでもいい人間関係を築くことができた。

人間関係で嫌な思いをしたことがなかったし、いつも人に恵まれていた。

そんな私に人生最大の出来事が起こった。

2017年のことである。
学生時代からお付き合いし結婚した夫と上手くいかなくなった。

夫が私と全くコミュニケ―ションを取らなくなったのである。

話しかけても答えない。電話もメールも返ってこない。家でご飯を食べなくなり、帰宅は毎日深夜の2時以降。土日は不在。長期の休みも出張で不在。

当時駐在7年目。海外での生活は孤独だった…

その時から夫を待つ生活が始まった。

難聴、声枯れ、顎関節症、皮膚病などを発症し、精神的にも身体的にも追い詰められていった。

この頃、同じような経験をした方のお話から、問題に執着すると抜けるまでの道のりに時間がかかるということを知った。

私は最短で抜け出すにはどうすればよいのか。毎日自分に問い、自分なりに模索し続けた。本を読んだり、ネットで検索したり、多くの人から話を聞いたりしながら精神面を何とか整えていた。

それでも、日常は辛いことの連続だった。

夕飯の時間になると動悸がし、大好きだった料理を作ることができなくなった。

街中散策や旅行など出かけることが好きだったが、家族を見るのがつらくて家にこもるようになった。

金曜の夜、週末が来ることが怖くてしかたなかった。

ただ、唯一心を落ち着けてできることがあった。

それが、当時没頭していた「中国語」である。

それをやっている間は、不思議と現実を忘れられた。

その時、人生について書かれた中国語の文章を大量に読んだ。

ネイティブとこの問題を語り合うために、さらに学習に磨きがかかった。

その1年後、上海からの強制退去。

日本と中国での別居生活。

2019年に離婚。

そう、気づけば私は10年近く専業主婦だったのである。

働かなくてはいけない現実を目の前にして、本当に恐怖だった。

少しだけあった自信も、プライドも、この出来事で全て失くしていた。

その時に、言われたひと言がある。


「あなたは本当は強い人。思い返してごらん。ひとりでタイにボランティアや留学までした経験がある。東南アジアに女性1人で行くなんて勇気のいることだよ。そして中国語もここまでモノにして、本来あなたは情熱と行動力がある人なのに、今はそれを忘れているだけなんだよ。」

その言葉を聞いて、はっとした。

結婚生活で本来の自分をすっかり忘れていた。


私は弱いし、この先ずっと夫を頼って生きていくものだと思っていた。

確かに情熱だけは誰にも負けない。

自信に変わった。

それと同時に夫婦間の問題に囚われてばかりではなく、自分のこれからについても考えてみようと思い始めた。

今、私ができることは中国語。中国語を趣味ではなく仕事に変えて生きていこうと覚悟を決めた時でもある。

そして、この後、私の人生を「声」と繋げてくれる架け橋に出会うのである。

「私と声までの道のり~再スタート」へつづく

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