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輪郭を知ること

歌人・加藤千恵の小説集『ハニービターハニー』に収録されている「ねじれの位置」は、日本文学科の主人公と数学科の交際相手の物語だ。付き合い始めた当初は、自分と彼が「違う」ということを「ちょっとした宝物」のように感じていた主人公だが、交際が続くにつれ、その違いがだんだんと寂しさに変わってゆく。自分の分からないことを理解し、自分の知らないことを知っている彼と自分が合わないのではないかと、「一点の黒いしみ」は主人公の内部だけで広がってゆく。

恋愛に限らずどんな人間関係においても、違うということは常に不安や不和と隣り合わせだ。はしゃぐことが好きな人と静かにしているのが好きな人とでは時空間を共にするのに一定のルールが必要だろうし、たとえば集合時間に対して、その時間ぴったりに着けばよしの人と、十分前には着いていたい人が待ち合わせをするには、どこかのタイミングで感覚のすり合わせが望まれる。性格の違い、生活習慣の違い、前述のふたりのような興味関心の違い、はたまた何かを問題と思うか思わないかの違い、誰かと誰かのあいだには、数え出したら終わりがないほど無数の違いがある。基本的にはその無数の違いによって、私たちはひとりひとりが「ほかの誰でもないわたし」でいられるわけなのだが、違いまくる中でわずかに重なる部分を根拠にして群れるのが人間である以上、違いの実態と捉え方によっては、決裂の端緒にもなりうる。

さて、「ねじれの位置」のふたりは、ある日の不穏な会話の末に、「数直線」の話に行き着く。自分の分からない数学の話を突き放す主人公に対して、彼は根気強く数直線について説明を続ける。数直線上"2"の上の黒丸から左に引っ張った線を示して、これが2以下だ、と説明する。「2以下ってことは、2で終わってるんだよ」。そして、黒丸から右側の部分はどんな数字から始まることになるか、と主人公に問う。

「2.01かもしれないし、2.001かもしれないでしょう。正解は、ないんだ。どれも違う。はしっこがないってことなんだよ。この場合、2は左に含まれるから、右には2がないんだ。」

この説明を受けた主人公は納得できず不服そうな様子を見せる。そして、のちに振る舞われた羊羹の切断面を見て、彼に「ねえ、羊羹は切っても切っても、ちゃんとどっちも羊羹だよ」と返す。彼女曰く、数直線の理屈を通すなら「羊羹を切って、片面が羊羹だったら、もう片面は羊羹じゃないってことになってしまう」そうである。

この会話は、ふたりがお互いに「違い」をどう捉えているか、ふたりのあいだで何がすれ違っているのかを明らかにしている。これは、当初同じでありひとつであったものを異なるふたつ以上のものに切断した場合の、切断されたもの同士の質に関する議論だ。主人公は「羊羹は切ってもどちらも羊羹だ」と言い、異なるふたつ以上のものになったとしても互いは質として同じだ、と捉えている。一方で数直線を用いて説明した彼はこう述べている。「2は左に含まれるから、右には2がないんだ」、つまり互いはもはや同じものではなく、一方にあるものが他方にはない、根本的に違うものである、ということを認めている。互いが同じであることを期待する主人公は異なるふたりの関係を思い悩むのに対し、元から違うものだと解している彼にとって、ふたりのあいだの違いは問題にならない。

現実では、何かや誰かとの違いをこの数学科の彼のように理解し切るのは難しい。距離の近い相手であればあるほど、自分と相手とを隔てる境界線が曖昧になる。実際に彼が、数直線の右側には「はしっこがない」と表現したように、私たちは、誰かではない自分自身の輪郭を、マジックペンで線を引くようには規定できない。もやもやとぼやけた境界の端っこに、気づかぬうちに自分以外の誰かを含んでしまっていたり、また逆に、自分ではない誰かの境界に無自覚に足を踏み入れてしまっていたり、きっとそんなことばかりなんだろう。本当は「違う」ものが錯覚のうちに「同じ」になってしまうと、どちらかが、あるいはどちらもが、非常に重たい荷物を背負うことになる。

そういうことを理解するのには、長い時間がかかる。「同じであれ」と教え込まれた教室を抜け出して、違うということが普通ではない、ということと直結していた十代を耐えて、誰かに披露するための私ではなく、私は紛れもなくこの輪郭の内側の存在として私なのだと、はっきりとそう理解するまでに四半世紀を費やした。からだいっぱいに纏っていた自分じゃないものを少しずつ取り払ってやっと、ああこれが本当の自分の輪郭だったんだ、と知った。思っていたよりずっとずっと小さいけれど、ずっとずっと身軽だった。序列や排除としての違いではなく、ただ単純に違うということが、ここにきてすっと身に染みた。

「ねじれの位置」の彼は言う。「俺は、真澄(=主人公)の気持ちがわからないよ」、「全然わからないし、多分、永久にわかることなんてできない」。「でも、そんなの当然だと思う。俺と真澄は、違う人なんだから。だけど、わかりたいし、わかり合いたいって思ってるし、本当に好きだよ。そういうことのほうが、大事なんじゃないのかな」。自分と誰かが違うということを理解している彼の言葉は軽やかでいて誠実だ。違いながら共にいることを静かに目指す彼の態度を、ふとした瞬間に思い出すのである。

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