それは愛じゃないと思う

Twitterで話題になっていた短い動画がある。
ドライブレコーダーの録画したものが拡散されたものだ。

録画している車の前を小さな子が三輪車?に乗って横切った。
運転手は急ブレーキ。
小さな子は無事だったが、後から追いかけてきた母親が
運転手に一礼し、その後こどものところに行って平手打ちした。
その一連の流れが映し出されていた。

これに添えられたコメント、
"コレこそが親ですよ!
こういうのも体罰とかいうバカは居るのかのう(・ω・)

飛び出した子供に平手打ち。でも引かれたらそんなもんじゃ済まない。痛みで子供は覚える。
母親はキチンとドライバーに一礼もしてる。良い子に育つかもね。"

※引用元:https://twitter.com/AceStriker11/status/1186609277466603520

これに対し、この母親に対してこれは体罰じゃない、とか
立派なお母さんだ、という意見が寄せられた。

それを見た精神科医が、疑問を呈する。

"この動画に
「これは体罰では無い!」
っていうコメント多すぎて怖い。

『子供が下手したら死ぬ位の危険な行為をしたから、2度としないように体で覚えさせる』

ってロジックが多いけど、子供が故意か過失かは動画から分からない。

故意だったとしてもその平手打ちは本当に子供のためになってる…?"

※引用元:https://twitter.com/dr_sidow/status/1187191163972767745


これを見たらしいわたしのフォロワーさん、(アラフィフ女性)は、
息子が同じようなことをしたときわたしも叩いた
轢かれなくてよかった
もうしないでほしい
生きててよかった
様々な感情が混ざって叩いた
おそらくこどもがいない人にはわからない
轢かれそうにならないとわからない

というようなことを言っていた。

そして、その後続けて、彼女は息子さんを強く抱きしめたと言った。

わたしはそれに対し、

『その後が大事なんじゃないかとわたしは思います。咄嗟に出てしまうものを後から正論で責めるのは簡単ですけど、そんな簡単な仕組みじゃないです、感情も人間も子育ても。
そのぎゅーっとハグしたのがとても大事なんだと思います。』

とリプライした。

しかしその後、彼女から以下の内容のリプライが返ってくる。

すべての行動の裏に愛があるんです。
轢かれなくてよかった、失いたくないと、わたしの手には愛があったんです。

対し、『どうでも良かったらその手は出ませんものね』と返すだけにした。


わたしは、それは愛じゃないと思ったから。

愛だとしても、彼女の自己愛だと感じたから。


この炎上?と呼んでいいものかどうかわからないけど
話題になった一連の流れで、精神科医の方は随分フォロワーが減ったようだ。
以前も何かの議論でけっこう激しくTwitter上で言い合っていた記憶がある。
言ってることは正しいと思うんだけど、多分伝え方が上手くないんだと感じる節がある。

それは置いといて。


わたしは一度だけ母に叩かれたことがある。
嘘を吐いたときだ。
小学生くらいだったと思うけど、
そのときの頭蓋骨がぺん、と響く音や母の険しい表情も
いまだにリアルに思い出せる。
ぺしん、と軽くだったけれど、たった一度のそれが衝撃だった。

だから今も嘘をつくのはとても嫌な気持ちになる。
いや、逆じゃなくてよかったけど。
そもそも嘘つくなって話だし。だから感謝してるよお母さん。


でも、親に叩かれる経験は、幼いこどもにとって衝撃の体験なのだ。

そしてヤンキーの喧嘩でもなく、公式の格闘技でもなく、
大人がこどもに手を上げることは、どこをどう間違っても愛にはならない。

あまりの出来事にパニックになった親の未熟さが、させてしまうこと。
そうやって叩かれて育てられてきた人間が親になって繰り返していること。
わたしはそう思う。

主人も父親から『身体で教えられて』育ってきたという。
主人は元ヤン。非行少年になった。ダメじゃん。その子育て真似したら。

なのに「言っても聞かないなら身体で覚えさせるしかない」と
なかなか言うことを聞かない息子に時々手を上げる。

わたしはそういう場面で恐怖に立ち竦むしかなくて、
怯える娘とその場を離れてお互いをハグして背中をさすりながら、
早く終わるといいね、怖いね、と震えるのだった。

そして"お仕置き"が終わって泣いている息子のフォローをする。
怖かったね、と。その手も震えているんだけど。
なんなら涙目なんだけど。


とか言うわたしも息子を叩いたことがある。

iPadの取り合いになり娘と息子が揉めて、
息子が頑なにiPadを離さない、と娘から言われたときだ。

iPadを取り上げて、叩いた。

ああ、やってしまった。あたしのバカ。

切り替えが下手だから一度その場を離れて頭を冷やす。
そしてよし、と気合いを入れて息子を呼ぶ。

険しい表情のまま、戸惑ったように息子がこちらに歩いてくる。
その時点で「ああ、ひどいことをして本当に傷つけてしまった」と
泣きそうになる。

そして、「手、」と両手を差し出しながら息子の手が伸びてくるのを待つ。
恐る恐る差し出された手を両手で握りながら、ぽつりぽつり話す。

「さっきは痛い想いやつらい想いをさせてしまって、ごめんね」

息子は静かに涙をぽろぽろと流した。

「お母さんも怒ってしまって、乱暴なことをしちゃったね。
でも、わたしはね、iPad使うなら順番を守るってことや
お姉ちゃんの気持ちも考えるってことをして欲しかったんだ。
わたしもさ、怒った時にいきなりひどいことしたりしないように
がんばるから、あなたも少しずつ、少しずつでいいから、
順番を守ったり思いやりを持ったりするの、がんばってみない?
できそうなら、やってみてほしいんだ」

息子は、「わからない」と言いながらも、
「やれるようにがんばってみようか」という言葉に、
頷いてくれたように見えた。


叱るにしても、同じだ。
わたしは母親になるまで『怒鳴る』というスキルを使ったことがなかったが
母親やってるとこのスキルが発動するシーンに出くわしてしまう。

主人も「叱ったら叱りっぱなしはよくない。ちゃんとフォローまでしないと」ということをわたしに教えてくれた。
わたしはそんなことされたっけなぁ?と思いながら、
どうやってそのフォローをしたらいいのか主人に聞いたりしながら
だんだんやれるようになってきている。


子育ては、本当に理不尽だ。
子育てか仕事かだったら絶対仕事したい。
ここで自分の身分『継母』を言うと杏子ドM説が流れそうだが
それは否定しません。……ん?何?

ああ、逸れちゃったけど
本当に人間を育てるというのは骨が折れることです。
思い通りにならない、なんてレベルじゃないことが起こりうる。
そんな日常なのだ。
その中で親だって完全な存在じゃなくて
頭にきたり自分が抑えきれなくて罵声が飛んだり手が出たりする、
そんな可能性だってある。
でもそれは『善』にならない。間違いなくこどもは傷ついている。
人を傷つけることが善になるわけがないのだ。

仕方のないことかもしれない、けどそれならやった側が
精一杯のフォローをしなければならないだろう。
その精一杯のフォローをする心の動きが愛情なのかもな、とは思う。
本当はそうならないように親がコントロールできるようになるのが
一番いいのだけれど。
そう言ってしまうと親がとても苦しい。

間違ってもいい。失敗しながら生きるのが人間だ。
だけど間違ったら、失敗したら、ちゃんとやり直したいよね。
謝る。癒やす。寄り添う。あなたのこと大切だよって伝える。

親だって人間で、こどもに育てられたりするんだから。
お互い様。

倍にして返すくらいの文章を書くよ!!!!!