「ゴジラ」を知らない私たち


※ネタバレというほどのネタバレはありませんが、全くまっさらな気持ちで見たい方はご遠慮ください※



私の身体は、特撮でできている……わけではない。

物心ついた頃には特撮映画ブームはとっくに終わって、特撮といえばCGを多用した平成戦隊シリーズや平成仮面ライダー、ウルトラマン。

その設定に様々な重みを背負っていた往年の大怪獣達は、親しみやすく可愛いゆるキャラにデフォルメされて、布やお皿にプリントされている。
そんな世代だ。
もちろんそこには初期の特撮が背負っていた社会問題や戦争の爪痕なんて存在しない。

だって、私達は戦争や原爆、水爆を知らない。
もちろん知識としては識っているし、恐ろしいとは思う。
けれど、物心ついた頃には高度成長によって戦争の爪跡は塗りつぶされ、ベルリンの壁は壊れ、ベトナム戦争やそれに付随した安保闘争やラブ&ピースの波もおわり、「戦争」という言葉が遠く中東の彼方へと移っていた後だった。
身近にある危機と言ったら地震や大雨火山噴火くらいで、もちろんそれも恐ろしい。というか、それが一番私達日本人にとって恐ろしい存在だろう。


私達は戦争を知らない。

一夜にして全てが壊されていく恐怖と諦観を知らない。

だから「ゴジラ」はKing of monsterではなく、ただの怪獣映画の主人公だった。


ゴジラと言ったら、GOZIRAだし、ミニラだし、さらに言ってしまえば、可愛らしいハムスター達が冒険を繰り広げるアニメの同時上映でやっていたよくわからないものだ。
初代の、戦争から生まれた核によって理不尽な災厄をもたらす化け物ではなく、どこからともなくやってきて色々なものを壊していくただの怪獣映画の一つでしかない。しかも行動原理はお腹が空いたからとか縄張り争いとか極めて動物的なもので、きちんと説明はつく。それが私達00年代にとってのゴジラ像だ。
(もちろんそこには、エンタメ性と成功のメソッドと、そして製作委員会方式をとることで発生する大企業の利益的なものに縛られた、業界の闇のようなものも絡んでいるんだろうけれど)

そして生まれたシン・ゴジラ
色々なところで言われているけれど、これはあの2011年3月11日を経たからこそ生まれたゴジラだと強烈に思った。
というよりもそれしか言えない。
往年の特撮ファンや、樋口真嗣監督や庵野秀明監督と共に育って同じ文脈を共有している人たちからすると、もっとたくさんの感想や視点があると思う。
ゴジラやヤマト、ガンダムの衝撃をリアルタイムで感じていないし、エヴァが生まれるまでの文脈を共有しているわけではない私にとって、その世界は「なんとなく凄い」「今の礎になった」ことはわかるけれど、その狂乱を体感はしていない。

なにもかもがないないづくしなのだ。

けれど、それでも、だからこそ突き刺さった。

踏み潰されるのではなく、押し流されることによって壊れる住宅街。テレビだけでなく、動画サイトやインターネット越しに拡散していく悪夢。ただ真っ直ぐ逃げるのではなく、誰かを探したり何かをたすけようとしていたり、スクープを逃せない心理や現状を記録しようとする意志によってスマートフォンを翳し続ける人。妙な余裕……むしろ若干のアトラクション感すらもって避難する人。早く逃げようと急かされる中、生活必需品を詰めようと躍起になる母親。

そんな人々に、何か巨大な力によって迫ってくる瓦礫の山。第一形態のゴジラは間違えなくあのときの津波を彷彿とさせる。

ひとりぼっちで、余震が続く中ただテレビやパソコンの液晶画面を眺めているしかなかったあのときと同じ心境だ。

そして展開されていく霞が関でのバタバタ劇。
おそらく震災の時も同じようなことが行われていたのだろうし、実際にゴジラが現れたらこういうことになるのだろう。と思わせる話の展開の仕方。

謎の巨大生物が去った後には、いつも通りの日常が始まって、みんな登校するし、出勤する。化け物が現れたことよりも、日常を営むことが最優先される。
けれど、テレビはずっと臨時放送、画面はL字テロップが表示されたままで。

すべて、あの震災があったからこそ現実味をもって私達に迫ってくる。



3.11を語るならばドキュメンタリーやもっとしっかりとした映画があるのにわざわざゴジラで以下略という感想もちらほらと見かけたけれど、たぶんこれはゴジラという虚構だからこそできたことだと思う。

何よりも。べつに3.11のときの政府対応や縦割り行政への批判をするのが目的なわけではないのだから、そんな批判はナンセンスだ。
ゴジラはただ、3.11を経た日本の虚像を映しているだけ。もちろん鏡やレンズ的な意味での虚像。
あの日を描くのではなく、あの日があったからこそ描かれた物語。

シン・ゴジラの本質はたぶん、煽りどおり「現実vs虚構」
前半は現実=日本と虚構=巨大生物の戦いを。
後半、どうしようもない理由や壊滅した都市のなかで生まれた虚構=日本(の理想形)と現実=巨大生物(災厄)との戦い。
まさしくスクラップ&ビルド。
破壊のなかから新しいものが生まれる再生の物語であり、虚構の力が現実に打ち勝つという祈りの拳。


おそらく、歴代のゴジラ達のなかで、戦争の焼け跡から生まれた初代ゴジラだけが持っていたであろう物語の力。


ただ単にあの日を経験したからこそ生まれた新しいゴジラ。
戦争を知らない私達に、新しい危機に直面しようとしている私達に渡された新しいゴジラ。


真、新、神、進


シン・ゴジラは批判と賞賛の数だけ意味を増やして、私たちを呑み込んでいく。




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