無職でも腹は減るなり

無職、道を見失う。の巻

働いていた頃の無職には、確かに目標があったという。
しかし午睡の間にそれが無くなってしまったと、近頃の無職は嘆いている。

「まるで蜃気楼にでも化かされていたようだよ。」

と無職は語る。ますます声が細くなったように思える。

「昨日は図書館へ行った。世間は休日だったので周りで中学生が試験勉強をしていた。学校で支給されるドリルをこなしていればある程度の合格点が貰えるあの行事だ。あの頃は何時間でも何かに集中することが出来た。今や四半刻が限界だ。これが老化だろうか。嘆かわしい。」

無職はその目標とやらを具体的に話すようなことはしなかったが、達成のためにはかなりの努力を必要とするものであるらしい。在職中からコツコツと準備を始め、激務の中で中断と継続を繰り返しながら歩を進めてきた。道程は遠く、しかも正しいのかどうかも分からないが、立ち止まるよりは良いと思っていた。それを信じていたのだ。

「それなりに楽しんでいたはずなのだ。好きだったことをやろうとエンジンに火をつけてみたものの、今やすっかり空噴かしだ。前も後ろも真っ暗闇だ。もう参考書を開くのも嫌だ。先日など何を思ったか、気がついたら歳時記を購入していた。」

無意識下で俳人に憧れているのかもしれんなあ、と呟く無職はますます遠くへ行ってしまいそうな気がして、私は少し胸が痛んだ。

無職は今、立ち止まっている。無職が最も嫌悪する行為だ。鮪の如く、常に回遊していないと呼吸が止まって死んでしまう。しかし向かう先が定まっていないと足を進められないのも無職の性質で、宛もなくブラブラすることを最も苦手とした。目標に向かって脇目も振らず、大股で私の遥か先を歩んでいた頃の無職は影もない。今は悲しみの無職、焦燥の無職。

「昔、スカートというバンドの澤部という人が、ライブMCで『 迷路に迷い込むということは、迷路に入る勇気はあった。』と言っていたよ。」
「2019年のフジロックだろう?配信で観ていたよ。そういえばライブもめっきり行かなくなったなあ。だって開催されないのだもの。」

昨年の今頃は土砂降りの音博に居た、と思い出のページを捲り始めた無職は、何もしていないのに今日もまた腹が減ってしまった、と言って電話を切った。

夕餉は母君の作るシチューだそうだ。

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