日記、もしくは外出の記録 五月二十一日

気圧のせいか、ずっしりと重い身体を無理やり引き摺り出すようにして外へ出た。さすがに二日も外へ出ないとシャバの空気が恋しくなるものだ。

特に目的もないので、近所の氏神様へお参りへ行く。普段からコツコツ集めている五円玉を放り、最近好きな作家が増えたこと、面白いラジオを見つけたことの報告と、ご縁を結んでくださったことへの感謝を伝える。アマチュア神道信者が言うのも烏滸がましい限りだが、神道の最も大切な教えは感謝の心なのである。

その神社には本殿の他に小さな祠が二つ、弁天様とお稲荷様が祀られている。弁天様へは貯蓄が上手く増えるように、お稲荷様へは6月からの職場復帰が上手く行くように祈った。もちろんお賽銭を忘れずに。

参拝の帰り、アルベール・カミュの異邦人とペストを買おうと書店の前で立ち止まった。しかし家ではまだ朝井リョウのエッセイ、ジェフリー・アーサーの短編集、アンソニー・ホロヴィッツのカササギ殺人事件の下巻、図書館から借りている神取先生のミクロ経済学、サキのレジナルド……とかなりの冊数が「はよ読めや」と私を待っている。フィロソフィーのダンスというアイドルの写真集は、楽しみのあまりまだ開封もしていない。

本はとうの昔に本棚から溢れ私の生活スペースを侵食し始めている。これに加え、実家にも大量の本があるのだから困りものだ。なお実家の私の部屋は図書室と呼ばれており、家族が勝手に出入りしては本を借りて行く。自分で買った本を私の本棚に勝手に押し込むこともあるので実家の蔵書もかなりのものだ。軽々しく捨てる気にはとてもならないし、大多数が古本なのでもう一度売れるかどうかが分からない。もし叶うのであれば、本を大切にしてくれる人へ全て差し上げたいが、いかんせん周囲の人間は本を読まないので出来かねる。

なんとも嘆かわしい事態である。書は捨てずに携えて町へ出るべきである。寺山修司の本のタイトルを確認するために本棚を覗き込んだら未読のラヴクラフトが大量に発見された。ここにも居たか、オマエタチ。

最悪、行きつけの文具屋の3階が貸本屋になっているので、店主に掛け合って売れない本は引き取って貰おうと考えている。今のうちに大量の文具をその店で購入し、大いなる貸しを押し付けておく必要がある。

本棚からまだ読まれていない本たちが私を睨みつけている気がする。休職期間が終わるまであと10日、8月末に予定している退職を機に引越しをするため、その準備もある程度進めておきたい。残された時間で何が出来るのか、改めて考えさせられている。考えることをやめたい。鬱と気圧のせいで脳が五月病真っ盛りである。本日も残りあと9時間を切っている。



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