初めてスローモーションを見た日

死ぬかと思った

 身に危機が迫った時、「周りの光景がすごくゆっくりに見えた」という表現を耳にする。
 嘘だあ、と思っていたけれど、そういえば私自身にもそんな経験があったことを思い出した。

 幼少期は幼稚園に通っていた。
 園専用のバスは地区別に分けられ、同じルート上に住む子ども達の家々を巡回して送迎される仕組みになっており、私は道路を挟んだ自宅の向かいで乗り降りをしていた。
 道路といっても住宅街にある道なので、車一台が通ることもある、というレベルの信号もない道だった。
 私はその道で、生まれて初めてスローモーションを見た。

 幼稚園から帰ったある日、バスを降りると母が停留所で待っていてくれた。
「ただいま!」
 と元気に挨拶をした途端にもう目の前に見えている自宅に向かって走り出した。
「危ない!」
 母の声だったと思う。次の瞬間には車が急ブレーキをかける音が響いた。
「すみません」
 と車の窓から顔を出して謝る男性と頭を下げる母。車がゆっくり去ったあと、案の定飛び出したことを怒られた。

 上記が当時の状況を思い出しながら書いた客観的視点だ。以下に私の心象風景を描きたいと思う。

 バスを飛び降りてママに「ただいま!」って言ったあと、早く家に帰りたくて走って道を渡ったら、右からすごいスピードの車が走ってきて、「あ、ひかれる」って思ったら、ママが「あぶないっ!」って叫んで、びっくりして足を止めたら車がキーッて止まったの。
 ママがあぶない! って言ったのと、車が止まったのとがおんなじタイミングだったと思うんだけど、右から車がびゅんって来たときから止まるまで、なんかゆっくりに見えてね、「ひかれる」って思う時間があったの。
 ひかれるのが怖いのより、飛び出してママが怒るのが怖かったし、怒られて嫌だった。

 危うく事故になりかける瞬間は、本当に周りの光景はスローモーションに見えるらしい。そしてその光景は20年以上経った今でも強烈に記憶に残っている。

「スローモーションに見える」感覚の獲得

 面白いのは、まだマンガ的表現としての「スローモーションに見える」という概念を知らなかった年頃の子どもでも「ゆっくりに見える」という感覚を覚えていることだ。
 もちろん、長い時間を経て獲得した「スローに見える感覚」を過去の出来事に遡って適応させている可能性はあるが、「自身に命の危機が迫った際に周りがゆっくりに見える」という感覚は、人間が先天的に持って生まれているものなのかもしれない。

 先行研究なんて調べていないのでそんな研究があるかどうかもわからないうえに、もし研究をしていたとしても身に危険を晒すような実験はとてもできないので、サンプル1の経験談でしかないが、5歳でも命の危機とスローモーションは感じることができるし、ずっと記憶に残り続けるということが、何かの参考になればいいと思う。


幼少期の記憶力と理解度

 『ミステリと言う勿れ』というマンガで、主人公・久能整のセリフに印象的なものがある。

子供はバカじゃないです
自分が子供の頃、バカでしたか?
『ミステリと言う勿れ』3巻

 遺産相続にまつわる謎解きのために、ライバルの子供からこっそりヒントを得ようとした人物を窘める際に発したセリフだ。
 ほとんどの人が明確にNOと言うのではないかと考えている。実際、この問いを投げられた人物も「親の顔色を窺っていた」と自身の子ども時代を振り返り反省している。
 大人になり、子どもの頃のことはどんどん忘れていく。
 しかし、細かなことは忘れても、強烈に印象に残る記憶はある。5歳頃の「スローモーション」の記憶をはじめ、人生最古の記憶は2歳頃に救急車に乗ったものだ。
 今覚えている幼児期の記憶は、たぶんこの先の人生でも忘れない。そして、残る記憶はコントロールができない。
 「残る記憶」と書いたが、どちらかというと「残ってしまう記憶」というのが感覚に近い。つまり、未だ保ち続ける幼少期の記憶は良くないものが多い。
 身の危険、叱られた事、嘘をつかれた事、親の陰口……遡って思い出せるのはことごとくなんか嫌な思い出だ。

 嫌な記憶ほど残りやすい。それは大人も子どもも同じだと思う。嫌な記憶を保存できるから、失敗から学び危機を回避することができる。
 子どもは意外と親の話を聞いているし、理解もしている。
 口の悪い父が自分の子どものことを「ガキ」と言うのが小さい頃からすごく不快だった。姑と折り合いの悪かった母が祖母の陰口を言うのが怖かった。
 子どもは理解している。自分が悪し様に言われていることも、大人が他者に向ける悪感情も。
 「子どもだから」と舐めて接していると、きっと痛い目を見る。

 子どもを産み育てる友人も増えた。そういう年頃だ。きっと友人の子に会う機会もあるだろう。あるいは親族の子どもに会うことも。
 私はせめてその子の記憶に残らないよう、静かに、清く生きていきたい。

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