校歌とアイデンティティ

校歌からみえる土地の歴史

 小学生の頃、二度の転校を経験し、二つの小学校に通った。A小学校(生まれ育った地元)→B小学校(転校先)→戻った先もA小学校という形だったので、二つ。
 もう随分前のことなので細かな記憶は曖昧だが、強く残る思い出がいくつかある。その一つが校歌だ。

 小学校時代の校歌を覚えていますか?
 全部は覚えていなくても、歌詞に出てきた単語なんかはいくつか思い出せるかもしれない。
 田舎に育ったため、本当の都会の校歌がどんな歌詞になっているのかはわからないが、山に囲まれた地域にある学校であればその山の名前が、大きな川が近ければ川、海の見える町であれば海など、その土地に馴染みのある自然に関する単語や固有名詞が歌詞に入っていがちではないだろうか。
 実際、A小学校のある土地は山に囲まれており、その中でも一番大きな山の名前が歌詞の一番冒頭に入っていた。これは中学、高校も同じで、「自然と平和と希望と」、みたいな歌詞で構成されていた。
 そんな地元との違いを強く感じ、カルチャーショックを受けたのが転校先のB小学校の校歌の歌詞だ。どれくらいの衝撃だったかというと、当時の同級生の名前はほとんど忘れてしまったのに、たった2年弱通ったB小学校の校歌は今でも歌えるくらい、強く印象に残っている。
 歌詞に「中山道」という単語が入っていた。

江戸日本橋から、上野、信濃、木曽、美濃、近江を経て京三条大橋まで135里32丁(約534km)69宿あり東海道とともに幹線道路であった。
https://www.jinriki.info/kaidolist/nakasendo/ より抜粋

 B小学校は関東にあり、五街道の一つである中山道が通っていた場所だったらしい。
 土地の歴史が小学校の校歌にまで反映されている……!
 そんなことまでは当時の私は考えるわけもなかったが、郷土史を含めた歴史の授業を通して、江戸日本橋を起点とした五街道という大きな道が江戸時代に作られたこと、そのうちの中山道という道沿い(旧街道沿い?)にB小学校があったことを知った。

 私は、その歴史的事実がとても羨ましかった。古くまで遡ることのできるルーツがあるということを未だにひどく羨ましく思う。

アイデンティティのゆらぎ

 私の出身地は北海道だ。
 古くは蝦夷地と呼ばれ、アイヌの人々が住む土地だった。そこへ和人が流入し、大きな歴史の動きがあって、現代では本土から海を隔てた北海道も日本として組み入れられている(という大まかで雑な理解をしている)。
 私の先祖はおそらく和人だ。アイヌ人だったという話は聞かないので、どこかのタイミングで蝦夷に来た和人だったのだろうと思う。
 「三代住めば江戸っ子」という言葉があるが、自分から遡って三代前の祖父母4人は皆北海道で生まれ育ち、両親も北海道で生まれ育っているので、その点で言えば私は生粋の道産子と言える。
 だが、本当のルーツは北海道にはないはずだ。何故なら和人の末裔だから。
 自分の知る限りでは曾祖父母も北海道出身だったそうだが、それより前を知らない。たった五代遡るだけで、もうどこから来たのかわからないのだ。

 北海道は、「日本の北海道」という意味において歴史が浅いと思っている。
 Wikipediaをざっくり調べたところ、一番古い年号が蠣崎氏(後に松前藩を作る人)に関する記述で、1454年とあった。ただ、蠣崎氏(松前氏)が何か大きな事業を成し遂げたというイメージはない。
 そもそも北海道は広すぎていくつかの国に分かれていたし、松前藩が全道の覇権を握っていたわけではない。北方警備のために配備されたが、その後戊辰戦争により城はあっさり陥落している。城自体は函館から車で2時間かかる場所にあり、大人になって初めて旅行として行くことができるような田舎にある。
 そして日本史で北海道が出てくるのはかなり後半で、屯田兵による開拓が進むのも明治期になってからだったと記憶している(かなり曖昧です)。
 つまり、その近辺の学校はともかく、全道的には校歌の中に歴史的事実を織り込むことができないのだ。少し離れれば違う国になるような地域性で、松前藩や城に関する情報に馴染みもないし、正直影も薄い。
 周囲にある自然くらいしか歌詞に入れられるようなことがないくらい、北海道の歴史は浅い。そして、決してピースフルな歴史でもない。

 私は心のどこかで「北海道は借りている場所」という意識があるのだと思う。勝手にやってきて、その地で暮らしていた人々の生活に少なからず影響を与え、戦い、奪ってきた。歴史にifはないけれど、少しでも判断が違えば北海道は日本ではない未来があっただろう。
 確かに私は北海道出身だが、上記の意味において究極の出身は北海道ではないはずだ。
 自分の祖先がいつ、どうして、北海道に移り住むことになったのかを知りたい。元はどこで生まれた人なのかを知りたい。
 そういう意味で、私の日本人としてのアイデンティティに少し揺らぎがある。
 これは、校歌という一片にも歴史の風を感じることができるという経験がなければ気づかなかったことかもしれない。北海道出身の人は、地元のことをどう思っているのだろう。長い歴史のある土地を羨ましいと感じることはあるのだろうか。そんなことは普通考えもしないことなのだろうか。

 究極の出身地がわかったところで、そこを出身地だと言い張ることはない。実際生まれ育ったのは日本の北海道だから。
 でも、家系図を辿り、どのタイミングでどこから来た人が先祖なのかは純粋な興味がある。
 現在の戸籍制度よりも遡りたければ檀家になっている寺に照会をする必要があるらしい。歴史の授業で習った戸籍制度の始まりのやつだ。本当にそれ現代でも有効なの? と疑っているが、どうやらそうらしい。
 私は自分の家の葬式がどの宗派で行われているのかよくわかっていない。検索してもそれらしい情報が出てこないのだ。両親は究極のルーツには興味がないらしく、詳細な家系図は気にしたことがないという。父方の寺に行くにも母方の寺に行くにも、寺も分からなければ、私は免許を持っていないので足もない。それになんて言えば教えてもらえるのかもわからない。

 みなさんは小学校の校歌を覚えていますか。そして、生まれ育った土地の歴史について考えたことはありますか。もしよければ、一度振り返ってみてください。歴史の大観の中に自分の住む地が織り込まれているとシンプルにテンションが上がると思います。

※過激な思想を持っているわけではありません。特定の人々を貶す意図は一切ありませんし、北海道は日本じゃないなんて言いたいわけではありません。ただ、「先祖って北海道に移住してきたよなあ、たぶん」となんとなく思っているということと、「歴史ってロマンあるよね」ということが校歌からも感じられる面白さを書き散らしたかっただけです。

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